福を焼く

毘沙門天は天部において、吠室羅摩那郭大城(べいしらまやかくだいじょう)

という城に住んでいますが、さすがに天部というだけあって、

福がこんこんといくらでも湧き出ているので、福の処分に困っているとのこと、

そこで毎日3回その福を焼くのが毘沙門天の仕事だということです。

福がありすぎて散らかってしまうので、お掃除をしているということです。

実にもったいないことですが、天界という所はそういう所なのです。

何と贅沢な所ですね、うらやましいですね。

福もあり限ると困りものですが、

そもそも福というものは、ケチケチすることが福ではなく、

贅沢に大盤振る舞いするのが本当の福なのです。

私達も人に何か物をあげる時には、大抵、

本当に要らないものをあげるのですが、

それで相手が喜んでくれればいいのですが、

案外自分が要らないものは、相手も要らなかったりするものです。

それとは反対に、自分がどうしても必要なものや、

欲しい物は絶対に人にはあげませんよね。

こういう気持ちが人間世界の性であり、セコイところなのですが、

あまりにセコイ人にはセコイ人しか寄ってこないもので、当然福も来ません。

気前の良い人にはもちろんセコイ人も来ますが、

大勢の人に慕われて、福もやってくるのです。

私達の世界ではお金を撒き散らしたら、大勢の人が付いてきますが、

お金を撒き散らすことは福を撒き散らすことではありません。

福というものは、誰もが欲しいものが福であり、幸せになるものです。

そして福というものは、使い方にも気を付けないといけません。

お金も誰もが欲しくて幸せになるものですが、只単にばらまくだけではなくて、

相手を思いやる使い方をしないといけません。

天界の福は天界の物ですが、私達にもそのおすそ分けがもらえるそうですが、

それには条件があるそうです。その条件についてはまた次の機会にでも。