お坊さん便

Amazonのお坊さん便

今話題になっているインターネット通販大手Amazonのお坊さん便、

ショッピングサイトで法事の僧侶をカゴに入れれは

法事に来てくれるというものです。

タイトルの「お買い物 僧侶もついでに カゴに入れ」は

ちょっと川柳風にしてみました。なかなか良い出来だと思いますが、如何でしょう。

今やお買い物のついでに僧侶もカゴに入れて来てもらう時代なのです。

元々はみんれびという会社が始めたお坊さんの派遣サービスを

Amazonで展開したら大いに話題になったということなのです。

賛成派

お寺のお布施というものは本来決まっていなくて、

気持ちを施すということのはずなのですが、

人によっての気持ちというものは千差万別で、

例えば僧侶に法事で読経してもらった御礼にと千円包んでもお布施、

10万円包んでもお布施ですから、僧侶というものは、たとえ少なくとも

決して文句を言うようなことがあってはいけません。

しかし、最近の僧侶はお布施を頂いた瞬間に施主の目の前で包みを開けて、

これじゃあ少なくて受け取れません、と言うような守銭奴が実際に存在するのです。

僧侶の側とすれば、言えばもっと持って来るから、言わなければ損という考え方です。

実は一般的にはある程度、それぞれの相場というものが存在して、

寺院の格付けや檀家の数、都会であるか地方であるかなどにもよりますが、

良心的な人でしたら、もし少なかったら申し訳ないからと、

少しでも多めに包むのが人情というものてです。

それがお布施の微妙な駆け引きで、ある程度の相場をイメージしつつ、

心の中では粗相がないようにとの限度額を少し上回る程度の額を決めるのです。

しかし、例えば物を買う時には、近年はインターネットで価格を比較して

安い商品を買える時代です、「値段が分からない」という事に関しては

拒絶反応を起こし、決して近づかないのです。

そういう意味ではお布施というものが少しでも安く、

そして金額が決まっていればとても有難いシステムなのです。

反対派

2010年5月に大手流通企業のイオンがカード会員向けの「お坊さん紹介サービス」で

全国で僧侶を派遣するサービスを開始すると同時にお布施の全国統一価格を表示し、

多くの寺院僧侶の協力が得られる中で、

伝統仏教のほとんどが集結する全日本仏教会は、「布施というものに定価はない」

という理由と「企業による宗教行為への介入だ」という理由などから、

イオンは定価表を削除した話は有名です。

全日本仏教会は「本来布施とは、慈しみの心にもとづいて行われる極めて宗教的な行為で、

人々の苦しみや悲しみに寄り添い(無畏施)、人々と共に考え法を説く(法施)」

と位置づけ、布施の額に関しては、

布施をする人が決めるべきものという立場を示したのです。

このような経緯があって、全日本仏教会は今回のAmazonの「お坊さん便」にも

即座に対応し、全国の寺院が加盟する公益財団法人「全日本仏教会」として

抗議をしたのですが、Amazonはイオンと同じようにはいきませんでした。

今回の問題点

今回の問題点はそもそも、インターネット上で葬儀社を紹介していた「株式会社みんれび」が、

数年前からお坊さんの紹介するサービスも始め、それを今回、

アマゾンと共同で始めたということが発端ですが、Amazonはイオンの比ではないとか、

多くの人が支持しているとか、抗議の矛先がAmazonではなくて、みんれびでしょう、

などの様々な意見があります、確かにそうですが、

実はもう少し深い所に真の原因がありそうです。

貧困僧侶

地方では寺院の檀家が少なくて僧侶としての生活が成り立たないので、

教員や公務員、アルバイトをしながら土日に法事、葬式を勤めて、

休みも無しに住職をしている寺院がたくさんあります。

人口の減少、都市部への移転が続く中で、

今後ますます運営が厳しくなっていく寺院は増え続け、

廃寺になっているのです。

このように努力をしてでも寺院を守り続けようと思う住職にとっては、

同じアルバイトでも僧侶らしいアルバイトの方が助かるのかもしれません。

僧侶の堕落

全日本仏教会の主張はもっともなことで、仏法としては大正解です。

しかし、いくら会として立派なことを言っても、

Amazonのお坊さん便を利用している人がいるということは、

それだけ必要としている人がいるということなのです。

末端の寺院で、檀家となっているが、決別したいという方が

私の所に相談に来られますが、その中身とは

  • お金の事ばかり言う
  • 高額な寄付ばかり要求される
  • 施主のお金の有り無しで態度が変わる
  • お布施が少なかったら読経が短い
  • 贅沢な生活をしていて尊敬できない
  • 法を全く説かない
  • 御布施を貰ったらすぐ帰る
  • お布施を目の前で開ける
  • 得られるものが何もない
  • 高圧的な態度を取る
  • こちらの話を全く聞かないで一方的に説教する
  • 相談に行っても「地獄に堕ちる」などと言われた

私も寺院との交渉事で相談者に付いていくことがありますが、

これまでに、僧侶の態度に呆れてしまい、

これは許せないということが何度もありました。

離檀したいという相談者の気持ちが良く分かります。

僧侶の怠慢

僧侶としての勤めは本尊様にお仕えすることと、法を説くことです。

例えば法事は純粋に仏教では説明できない部分を抱えた法要ですが、

何故しなければいけないのか、どういう意味があるのか、

しなかったらどうなるのか、などを説き続ける努力をしていない方が目立ちます。

そして何よりも自らがご本尊の一番の信者であることを忘れてしまっています、

自分が御本尊の一番の信者であれば、その大切さを一番良く分かっているはずで、

何としてでもその大切さを人に知ってもらおうとするはずです。

こういった努力を忘れてしまった結果として、

法事なんかどうでもいい、戒名なんか要らない、

高いお布施を出しても何も得られないからお金がもったいない、

自分達が苦しい思いをして捻出したお布施も僧侶の遊興費や贅沢品になっている、

と思う人が増えているのです。

また、地方から都会に引っ越ししてきた人でも、

寺院は印象が悪いし、付き合いが面倒だと思う人はamazonを利用するでしょう。

何のための法事

都会のお葬式で葬儀社を呼ぶと、まず最初にどのような形式のお葬式にするかのプランを

示してくれますが、この時点で皆さん、確か実家に仏壇があったから仏式にするか、

というぐらいの簡単な理由で決めておられる方が多く、

宗派にしても、確かこの宗派だったような、ぐらいのことで、

それに見合った僧侶を呼んでもらい、無事に葬儀を済ませたとして、

四十九日や一周忌には、どのお坊さんを呼ぼうか位の気軽な気持ちで

進めていく人が多いのです。

お葬式にしても、法事にしても、どうしてもこうでないといけないという

必然性が全く無いのです。

僧侶に来てもらっていることが、それぐらい、どうでもいいことであり、

しかし、ある程度のことはしておかないと、バチがあたるかも

のような単純な理由なのです。

全ての人がそうではありませんが、僧侶の怠慢の結果として、

少しずつ皆の気持ちが離れている所に、Amazonが目を付けた訳です。

時代の流れだから仕方ない

Amazon事件は時代の流れですから、止められません、

こういう時には人に変えさせようとするのではなくて、

自分が変わるしか無いのです。

人というものは、魅力のある所には自然と集まりますし、

Amazonにそんなこと止めてくれと頼む時間があれば、

御本尊に正しい世の中になりますようにと頼みつつ、

魅力のある寺院にして、ご縁のある人に法事の大切さを説くべきです。

また、寺院もこれからの時代、確実に廃寺が増えていきます、

どのような寺院であっても、魅力ある運営をしていかないと潰れてしまいます。

amazonはこんなことで儲けようなんて思っていません、

もっと壮大な野望があるのです、商業主義と宗教の闘いはもう始まっているのです。

それともう一つ、amazonだけの問題ではありませんよ、周りを良く見てみましょう。

やすらか庵(安羅迦庵)でも必死の努力をしていますが、どうなることやら…

しかしこの危機感はまさに「ヤバイよ!ヤバイよ!」