粉骨供養とは

 

読経-やすらか庵

後継者が居ないなどの理由で散骨するためには、お遺骨を粉状にする粉骨が必要ですが、巷の業者では名は人のお遺骨を粉骨するのに粉砕機を使ってまるで飼料の粉砕のように短時間で粉にしてしまいます。

出来あがりの粉はサラサラの微粉末で散骨するには申し分ないのですが、ただ2ミリ以下の粉にして撒けば良いという考えが蔓延していて、他の業者との差別化のために骨を洗う洗骨処理や六価クロムを無害化する処理などの付加価値を付けたり、激安価格を打ち出して安売り合戦を展開したりと、様々な営業展開を繰り広げているのです。

しかしながら粉にしているのは場合によっては礼拝の対象ともなり得る亡き人の尊厳あるお遺骨であることを忘れて製粉業に精を出しているのが現状であり、粉にして撒けば合法であるということは、亡き人をあの世に送り出すことなどまるで何も考えていない不法投棄の犯罪行為と同じことなのです。

粉骨と言えども葬送の儀であり、儀式が必要で尊厳を持って対応しないと亡き人は迷ってしまいます。

亡き人が迷わぬように供養を伴う粉骨こそが粉骨供養なのです。

機械で粉骨してはいけない

遺骨粉砕機

粉骨するための機械或いは粉骨に利用出来る機械として粉砕機がありますが、主に散骨、粉骨業者が使っているものとしては、回転刃が高速で回転するミルサーと呼ばれる物で、ステンレスのカップの中にお遺骨を入れて蓋をしてスイッチを入れれば高速で回転刃が回転し、あっという間に粉末になります。

こういった粉砕機は茶葉や乾燥大豆、煮干しなどを粉砕するためにあるのですが、散骨や粉骨の業者が大容量の粉砕機を欲しがるので良く売れるのでしょうか、今や粗悪で激安の中華プロセッサーが通販サイトに溢れていて簡単に買うことができます。

何故機械で粉骨してはいけないのでしょうか、それは私達人類は地球上の生物ですので、死して自然に還り、次なる生命の糧になるということで太古の昔からバランスを保ってきた訳ですが、本来は長い時間をかけて自然に還るのが自然の理であることを思えば、遺骨は粉骨するのが地球に優しいのですが、機械で一瞬にしてというのは飛躍しすぎなのです。

粉骨には儀式が必要

お祓い

粉骨と言えども葬送の儀であり、当然儀式が必要なのですが、儀式とは亡き人に今の状況を説明して理解してもらう所作なのです。

お葬式もそうです、亡き人に今の状況を知らせてあげて、決して生き返ることが出来ないこと、そしてあの世の世界に迷わず行くことを説いているのです。

亡き人はまだ生きることに未練があり、まだ生きていたいと思う気持ちがあると共に、亡くなった時には頭を殴られて失神している状態と同じで、今の状況が分かっていないし、理解することが出来ないのです。

お葬式では亡き人を導いて差し上げるから「引導作法」と言って、手を引いて導いて差し上げるのです。

参加する粉骨

参加する粉骨

亡き人をお送りする葬送の儀である以上、可能な限り皆で参加して亡き人に対して声を掛け、出来ましたら自分達も粉骨に参加して奉仕することで亡き人の供養になります。

奉仕するとは心と体を使って祈りながら亡き人をあの世に送るということをすることです。

何十年という月日が経過した亡き人のお遺骨ならばもうあの世に行ってはいるでしょうけれど、亡き人の残した亡骸を自然にお還しするお手伝いをすることで、亡き人のこの世に残したものを綺麗に清算し、亡き人に供養を届けて差し上げることが出来るのです。

手作業の粉骨

手作業の粉骨の仕方

手作業の粉骨の仕方は高野山真言宗やすらか庵に粉骨に来て頂ければご指導させて頂きます。大切なことは1つ1つの動作に祈りを込めることで、私はいつも般若心経を心の中でお唱えしながらさせて頂いております。

何をするにしても亡き人への供養だと思えば自然と心が籠ります、供養の所作は祈りに繋がり、祈りは亡き人に届きます。