遺品整理で出て来た家族写真

家族写真のお焚き上げ

故郷の両親が亡くなってしまって、子供達が皆都会で暮らしているような場合には、懐かしい故郷の家も売るような価値が無ければ解体撤去という事になりますが、解体撤去の前に遺品整理が必要です。

遺品整理とお焚き上げ供養

遺品整理は不要な物を思い切って捨てないと進みませんので、少々は使える物でも思い切って捨てなければいけませんが、どうしても途中で作業が止まってしまうものがあって、それは家族写真のアルバムなのです。

家族写真が出て来たら

家族写真のアルバムを見つけた以上は中を見てしまいますが、自分達の子供の頃が写っている写真が出て来たりすればもう仕事になりません、たまには休憩も必要ですから、充分に思い出に浸ることにしましょう。

もうすでに忘れてしまった過去の思い出を思い出させてくれる写真は貴重な物で、ある意味宝物かもしれません。

家族写真は皆で見て供養

家族写真のアルバムが出て来たらとりあえずは遺品整理の仕事の手を休めて皆で見て楽しみましょう。お茶の時間ににして、完全に手を休めれば良いと思います。

何十年も昔の写真は、その当時の記憶を留めて切り取ったものであり、自分達にもそういう時代があったのだなと思い出させてくれるのです。

写真を撮った当時の記憶は覚えている人が集まって話をすれば、それだけで盛り上がりますし、懐かしいものです。

その当時には何とも思わなかったような感情が今になって湧いてくるかもしれませんし、亡き親の気持ちが今頃になってようやく分かるかもしれません。

主の居なくなった写真は見て思い出を語ることで最大の供養になります。

親が子を思う心

子供の頃にはうるさいばかりでうっとうしいと思っていた親でも、自分が親の立場になって初めて、親の子を思う気持ちが分かるようになるものですし、更には親が居なくなってしまってから気が付くものです。

昔から「親孝行したい時には親はなし」とよく言われたものですが、その時にならないと気が付かないということはよくあることなのです。

大切な写真を数枚だけ残しましょう

遺品整理の時に思い出の家族写真が出て来たら手を休めて皆で楽しむことが良い供養になりますし、久しぶりに日の目を見た写真たちも皆で思い出を語ることによって役割は終えたことでしょう。

家族写真というものは見て思い出を共有できるからこそ価値のあるもので、誰の記憶にも無いような家族写真はもう、役割を終えたのです。

どうしても残したい自分にとって大切な写真を数枚だけ残して後は処分ということになります。

家族写真はお焚き上げ

残す写真を数枚だけ決めて、残りの写真についてはやはりお焚き上げ供養を利用すれば思い出を無駄にすることがありません。

やすらか庵のお焚き上げは全国対応ですから、全国どこからでも郵送や宅配便を使って利用することが出来ます。

思い出の写真を捨ててしまうことは、大切な思い出まで捨ててしまうことと同じなので、抵抗があると思いますので、思い出を天にお返しすると共に、御両親にもお送りすると思えばやはりお焚き上げ供養が一番だと思います。

お焚き上げ供養の中でも特に多いのが写真やアルバムであり、やはり中々捨てることが出来ないものなのです。

写真を皆で見て思い出を語ったという時点でその写真は役目を終えたのです。

私達もいずれあの世に旅立ったら思い出の写真などは捨てられることでしょうから、せめてお焚き上げに出してもらったら嬉しいことだと思います。

私達の思い出は消えていくもの

私達が生きている時の記憶や、それを残した写真などは、私達が居なくなると同時に皆の記憶から消え去っていきます。

諸行無常

諸行無常とはこの世の中の物は永遠に続くものは何一つないということです。

私達の記憶も思い出も、何もかもがやがては必ず消えていく運命にあるのです。

忘れ去られるという事は寂しいことですが、私達と同じ時間や空間を過ごした人達もまた居なくなるのですから、忘れられて当然なのです。

歴史上に名を残す一部の人を除いて皆忘れ去られます。

何か残そうとすること自体が間違いなのであり、お墓も同じだと思います。

亡くなって50年もすればご先祖様になったということで良いのではないでしょうか。

私達が生きた証というものはやがて消えていきます。

綺麗に忘れるということもまた供養ということではないかと思います。