「ありがとう」とは

ありがとう

「ありがとう」の言葉は私達がよく使う言葉で、相手に対する感謝の気持ちを表しますが、本来は「有難し」(ありがたし)で滅多にないことを意味します。

ありがとうの起源

僧侶の説明

ありがとうの起源は釈迦が説いた説法を記した経典に見ることが出来ます。

法句経

釈迦如来のイラスト法界定印

法句経(ほっくきょう)は最も古い部類の経典であり、釈迦の言葉がそのまま残っていると言われている詩集です。

その中に「人の生を享くるは難く やがて死すべきもの 今いのちあるは 有り難し」とあり、「人としての生を受けるなんて、本当に難しいものなのです、せっかく人として生まれてもすぐに死んでしまうもの、今この命があるということは、普通では有り得ないことなのですよ」という意味になります。

私達が今この人間の姿でこうして生きていることが簡単なことではなくて、あり得ないご縁の組み合わせで出来ているのです。

くびき

涅槃経

ありがとう

涅槃経(ねはんきょう)という経典には「盲亀浮木」(もうきふぼく)という話があります。

大海にくびき(穴の開いた木)が浮かんでいて、風の吹くまま、潮に流されるまま漂っていて、100年に一度息をするために浮かび上がる盲目の亀がいると、その盲目の亀もまた大海を彷徨っていて、100年に一度だけ浮かび上がるのですが、果たして浮かび上がった時にくびきの中に頭が入るかという問いがあります。

盲目の亀ですから、穴の中を狙うことも出来ませんし、今どこにいるのかも分かりません。

これは確率的に無理だと思うのですが、このとんでもない確率と同じ確率で今私達は人間の姿をして仏法に巡り合ったのだと。

私達も大海を彷徨う盲目の亀と同じであり、彷徨うばかりしているのに、天からのご好意で偶然たまたま人間の命を与えられたと、これは実にありがい、ありがたい、ありがたい…

仏法に巡り合えるという事

仏教では仏法に巡り合えるということ自体が類まれなことであり、とても有り得ないことだと説きます。

私達が六道の世界の中で長い長い生まれ変わり死に変わりの中で、どの世界でも常に苦しみを味わい、この苦しみから逃れるための方法が分からないので終わり、また次の悪趣に生まれ変わることを繰り返しているのです。

この苦しみから逃れるためには仏法に出会い、仏道の修行をするしか他に方法はありません。

仏道の修行をするためには、楽も苦もあり、自らの考えで行動できる人間界に生まれることが一番なのです。

しかし人間界に生まれ変わることは簡単な事ではありません。

自らの魂の大変な努力の積み重ねと天の計らいがあってこそそのチャンスが訪れるのです。

仏法に巡り合えるということはそれ程ありがたいことなのです。

ありがとうはお経です

ありがとう

「ありがとう」は立派なお経で、もっと言えば真言、マントラで、繰り返し唱える事によって効果を発揮します。

光明真言は最強の真言です…光明真言で開運を、唱え方と印の結び方

ありがとうの唱え方

ありがとうはお経ですが、改まって唱えるお経ではありませんし、お堂の中で唱えるお経でもありません。

何時でも何処でも気軽に唱えることが出来るお経です。

声を出して唱えれば効果抜群です、ありがとうは人に言ってこそ最大の効果を発揮します。

人に何かしてもらったら「ありがとう」

少しでもお世話になったら「ありがとう」

いつもの食堂でもトレーを返す時に「ありがとう」、お会計の時に「ありがとう」

ご飯の時には「頂きます」「お御馳走様」そして「ありがとう」

家族に対しては「行って来ます」「ただいま」そして「ありがとう」

ご近所に対しては「お早うございます」「こんにちは」「こんばんは」そして「ありがとうございます」

会社では「お早うございます」「失礼します」そして「ありがとうございます」

何処に行っても唱えることが仏道の修行です。

ありがとうの効果

ありがとうを唱えていれば自然と良いご縁に恵まれ、ありがとうを唱えていれば運気が上昇し、そしてありがとうを唱えていれば困った時に必ず誰かが助けてくれるのです。

ありがとうは人に対して心を開く効果がありますので、騙されるようなことが無くなります。

ありがとうは人の心を豊かにしてくれます。

ありがとうは人を仏にしてくれます。

お金が掛かることなく、特別な事をするでもなく、素晴らしい効果のある「ありがとう」、人生の最後に言えれば必ず良い終わり方をします。

物に対してもありがとう

付喪神

付喪神(つくもがみ)は古い道具を長い間使えばやがて神になるという我が国に古くからある信仰で、私達の祖先は大自然の中の全ての物に魂が宿るというアニミズムの思想を受け入れて、山川草木悉皆成仏、山も川も草も木もあらゆるものが仏になるという信仰を続けてきたからこそ仏教と融合して今の私達に繋がっているのです。

私達は化現代の大量消費文明の中にあってどんどんいろんな物を捨て続けていますが、少なくともありがとうと感謝して、そして本当に良い物を長く使って、神様が宿ったものや魂が籠ったものに関しては最後には「お焚き上げ供養」が「ありがとう」を表現する理想の姿ではないかと思います。

物を大切にする人は人を大切にします。

人を大切にする人は物も大切にします。