毘沙門天は時間の神
毘沙門天は時間の神でもあります。時間とは、
時間をかけてしっかりやるという意味と、
長い時間生きていくという2つの意味合いがあります(長生き)
時間も財産である
何をするにしても時間は必要ですが、私達には1日、或いは1年というように、
決まった時間しかありませんので、例えば仕事をするにしても、
1日でいくら分の仕事をしたかで、その人の稼ぎが決まってきます。
また、1時間で3千円得られるマッサージをしている人でしたら、
1日で10時間分のマッサージをすれば3万円の収益になります。
また、最大限死ぬ気で20時間分がんばったとしたら6万円の収益になりますが、
1日の残り時間は4時間しかありませんので、この4時間の間で
食事と風呂と睡眠など満足に出来る訳ありませんので、
こんな生活を続けていたら過労死ということになります。
これは1日が24時間ということが決まっているから起こることで、
1日の時間は誰も増やしたり減らしたりすることは出来ません。
1日の時間が決まっているからこそ大切で、
この時間を使って仕事も出来れば遊びも出来る、何に使っても自由で
とても貴重な財産なのです。
時間は平等
この時間というとても貴重な財産が、誰にとっても平等なのは、
神様にとっての良き計らいです。
但し、この平等というのは、歳を取っていくという意味での時間のことで、
1年経てば1歳年を取ることは老いも若きも同じこと、これだけばどうにもなりません、
お金を出せば若返りする方法があるかと言えばありません。
但し、天のみが知る寿命は天命が半分、自分の努力が半分です。
また、お金を出せば死なない薬が買えるかと言えば買えません。
しかし、普段使っている時間はお金である程度買うことが出来ます。
それは例えば主婦が家政婦を雇い、自分の家事をやってもらうことで、
本来は自分でしないといけない家事の時間が浮いて他の事に使えますので、
時間をお金で買ったと言えるでしょう。
しかし、これもある意味、本当に忙しい人にとっては、
貴重な時間を有効に使っている姿かもしれません。
時間もまた人のために使え
時間もまた貴重な財産であり、神々も私達のために使ってくださっています。
どうせ1日が24時間しかないんだから、精一杯楽しまないと損、
ということで自分の楽しみのためだけに使うのもありですが、
自己満足というものは、どうしても虚しさが漂い、充実感が不足しがちです。
最も有効な使い方は、人の幸せのため、神のために使うことです。
人の幸せのためとは、身近な人のことで家族でも構いませんし、恋人でも構いません、
困っていたら助ける、悩んでいたら悩みを聞いてあげる、
辛そうだったら温かい言葉をかけてあげるのです。
そして人に何かをしてもらったら、「ありがとう」の気持ちを伝える、
このほんの少しの時間で良いのです。
他人でしたら困っている人の救済のためです。
神のためには、毎日少しずつ使えば良いです。
がんばりすぎてたくさんの時間を使おうと張り切っても長続きしません。
長続きするということが大切なことで、毎日手を合わせるだけでも良いのです。
他が幸せになれば、気が付けば自分も幸せになっています。