私達の世界は目に見える世界だけではありません、私達の目に見えている世界よりも、目に見えない世界の方がはるかに広くて大きく、神仏やご先祖、地獄界から天界までの世界がすぐ隣に繋がっているのです。

科学万能主義の現代では、このように目に見えない世界については実証されていませんので、目に見えない世界が存在しないということであっても現実世界の中で生きていくのに全く不自由ありません。

目に見えない世界はあっても無くても、同じように生きていけるので、目に見えない世界があるか無いかの境目は、信じるか信じないかで決まるのです。

祈願とは

祈願とは祈ると、願うということで、我が国では仏教以前の太古の昔から、生活の幸せを願い、神々に対して守ってもらったり、感謝の祈りを捧げていたのです。

病気平癒エンター

開運必勝エンター

お札、御守エンター

祈願

祈願の意味

例えば病気になった時には、誰もが良くなりたいと願うもので、良くなるためには、安静にしたり、病院に行ったり薬を飲んだりの努力をするもので、良くなりたいと思うことが願う気持ちです。

また、祈るとは神々に対して願うことで、神々を信じる人が、その信じる神に対してお願いをすることです。

神々に対する祈り

神々に対する祈りは、自分ですることも出来ますし、人に祈ってもらってもらうことも出来ます。

神々の世界との取次ぎをするのが本来の神官や僧侶であり、その道のプロであるべきです。但しどんな願い事でも叶うということではありません、神々の本来の理に適うことかどうかも伺う必要があるのです。

基本的には神々の教理に従うことが大前提です。また、願い事も人任せではいけません、必ず自らも祈る気持ちと、努力する姿勢が必要なのです。

宗教の役割

今の世の中、原因不明の病気や治療法の無い病気が多く、家庭や学校、職場や社会でもどうしよも出来ない人間関係に悩まされ、事故や不幸など、医者や専門職、カウンセラーでも解決できないことが日常的に起こります。

こういう時に何を信じて良いのやら、分からなくなってしまい、電車に飛び込む人が続出しているのです。

宗教は本来、幸せに生きるための方法です、特別な修行はする必要はありません、生活の中に息づいてこそ宗教なのです。

皆様が幸せになるための祈願と、幸せになるため方法を実践いたします。

やすらか庵の祈願

やすらかとは、穏やかで、何の心配もないことであり、仏の心でもあります。

病気や不幸、人に言えない深い悩みで苦しみ続けることは、時には生きていく希望さえも無くしてしまうものなのです。

誰からも見捨てられたような病気や不幸は、本当に治らないことかもしれない、しかし、絶対に諦めてはいけません、諦めたら負けなのです。

勝たなくてもよいけれど、負けないこと、そして生きていく希望を捨てないことこそ、やすらか庵が目指している祈願なのです。

困っている人と共に歩むという覚悟の出来たものにしか出来ないことなのです。


祈願の記事

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