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事故に遭ってしまったら
仕事中、旅行先などで事故に遭ってしまったら自分だけでなく家族までも大変な思いをします。
ましてや事故で亡くなった方については、あまりに突然のことで誰もが受け入れられないという気持ちや残念な気持ち、悔しい気持ちが入り混じって前向きな発想が出来なくなります。
事故は何故起こるのでしょうか、事故が起こった時の心の持ち方について。
事故による怪我
誰でも大なり小なり事故で怪我をしたという経験があるものです。
近年では職場や学校、家庭でのパワハラ、セクハラ、モラハラ、カスハラなどの直接的な暴力を伴わない精神的な暴力による病気や自殺などが社会的問題としてクローズアップされています。
交通事故の件数は車の安全装備の充実や道路状況の整備などで減少傾向にありますが、それでも首都圏で車を運転していますと自分は強引に割り込むけれど、他は絶対に割り込ませないという自分中心主義の人達が多く、ちょっとしたことで激高し、あおり運転をしたり道路上で喧嘩をしたりなどの殺気立った状況を感じますので、毎日事故が起こるのは当然のことかもしれません。
事故で怪我をしますと通常の日常生活に支障をきたすことになり、大変に困ってしまいます。
仕事でも車の運転でも怒りの感情に支配されている時には冷静な対応が出来なくなり、事故に繋がりやすいので、感情むき出しになり易い人は注意が必要です。
事故による死亡
予測できなかったことや偶然の出来事が重なって起こるのが事故で、命を失うということだけは避けたいのですが、不運にも命を落とすことになった場合には家族の者としては悔やんでも悔やみきれない深い悲しみに包まれます。
朝行ってきますと元気に出かけた人が帰らぬ人となったとしたら、到底その事実は受け入れることが出来ないでしょうし、何かの間違いであって欲しい、嘘であって欲しいと思うばかりです。
たとえそれが事実だと分かることが出来て、事故の原因と結果がが理解出来たにしても、その奥底にある根本原因は何であるのかが知りたいのです。
世の中の物事が動いている大きな川の流れがあるとしたら、その流れの中で何が起こっているのかということなのです。
現実を受け入れるしかない
交通事故や仕事中の事故などで急に亡くなった場合には、何かの間違いであって欲しいと願う気持ちと、目の前の現実を受け入れられないという気持ちが交錯し、今まで居た人が突然いなくなると、どうしようもない空虚感だけが残るものです。
たとえ現実を受け入れることを頑なに拒んでも現実は目の前を流れていき、恐ろしいほど辛い現実を見せつけられる度に悲しくなってしまいます。
亡き人の片付けは
それでも現実を受け入れるしかなく、お片付けも少しずつでもしなければいけません。亡き人のことは忘れるのではなくて、いつも傍に居てくれると信じて、ある程度のお片付けは思い切っていたしましょう。
物に関しては、まだそこに居そうな気がするから片付けられないと思うような場合でも、通常のお片付けの気持ちで、亡き人に声を掛けて差し上げながらお片付けして差し上げましょう。
こういう時にこそお焚き上げ供養をご利用ください。亡き人に必要な物を届けて差し上げることです。捨てることではありません。
「必要な物は何ですか?」
「これを届けて差し上げましょうね」
「これは如何ですか?」
という感じで箱に詰めていくのです。
亡き人の供養のため
辛い状況の中では苦しいことや辛いことばかりしか見えてきませんが、こちらが苦しんでいれば亡き人はもっと苦しむもので、亡き人の苦しみを少しでも取り除いて差し上げるにはただひたすらに供養の気持ちを届けて差し上げるしか他に無いのです。
自分が苦しんでばかりいれば亡き人を余計に苦しめることになるという正しい現実を見つめましょう。
そうすれば今何をすればよいかが分かってくるのです。
心の整理がつかない時は
また、どうしても気持ちの整理がつかなくて何もできないという方や、亡くなった原因が腑に落ちないなどの場合には、とりあえずご相談ください。
私がご回答させて頂きます、気持ちの持ち方、或いはお焚き上げするにしてもその時期などの適切なお答えが出来ると思います。
場合によってはお家のお祓いなどどんなことでも可能でございますので、どうぞお気軽にご相談くださいませ。
恥ずかしいことではございません、悔しがってばかりいても仕方ありません、解決に向かえば心が楽になりますよ。
亡き人が悲しむ、そして私達も悲しむ、両方悲しみ続けることは最大の不幸であり、どちらも救われません。
相談専用ダイヤル 043-228-1480
災難を除ける方法
事故などの災難を避けるには自分が気を付けることが一番ですが、いくら気を付けていても起こるのが災難であり、出来る事なら避けたいと誰もが思うのです。
厄払い祈願
人生の節目には渡らなければいけない大きな川もあれば、越えなければいけない大きな山がいくつもあり、山を越えたかと思えばどんどん落ちていくと、まさに山あり谷ありが私達の人生で、決して平らな道ばかりではありません。
川を渡るにしても何も知らずに川に入りますと滑って転んで流されてしまうかもしれませんし、高い山を登るにしても何も考えずに登っていますと道を間違えて迷った挙句の果てに体を痛めてしまうかもしれません。
厄払いとは人生の節目を意識して自分の立ち位置を知り、危険な道を避けて時には休み、神仏の力を得て安全に守ってもらい、進むべき道を確認することなのです。
御札、御守
御札や御守りは神仏の出張サービスのようなもので、神仏が身近に守ってもらえます。
但し信心深いことが条件であり、粗末に扱うと罰が当たることがあります。
災難を避ける御札や御守りとしては
厄災消滅…神仏の力で災難や厄を払い除けます。
交通安全…乗り物に乗った時や歩く時などの移動時の安全を願います。
鬼門除…家や会社などの神仏が通る鬼門の方角を清浄に保ちます。
災難除け祈願
農業をしているが過去に大きな災害に遭ったことがある、高所での危険な仕事のために何回か大きな事故を起こしてしまった、などの過去を引きずって居られる方がたくさん居られます。
そうでなくとも危ない目に遭いかかったなど、誰もが経験することです。
災難除けという意味では毘沙門天祈願は最強で、災難から守り事業や商売を繁栄させ、家庭を守る力を頂けるのです。