真言宗は平安時代に空海が開創した宗教で、高野山金剛峰寺を修禅の道場、教王護国寺(東寺)を根本道場とした大日如来の秘密の教え(密教)です。

真言宗

真言宗の歴史

平安時代に空海が開創した真言宗は1200年を経た現代まで息づく宗教として法の火を灯し続けてきましたが、長い歴史の中では様々な変遷があったのです。

密教の歴史

仏教の開祖の仏陀は紀元前5世紀頃の実在の人物で、欲望からの解脱による悟りを説き、当時既にあった呪術を基本とするバラモン教を否定していたのですが、仏陀の入滅後、時が経つにつれて仏塔が建ち仏像が造られるようになると古くからの儀礼が仏教に摂り入れられるようになりました。

7世紀頃になるとこのような儀礼が体系化されて「大日経」と「金剛頂経」に集約されて大日如来を教主とする密教になり、両部の大経と言われる「大日経」と「金剛頂経」の経典がサンスクリット語から漢字に訳されて中国に伝わったのが8世紀になってからです。

空海が請来した密教

空海の若い時代には阿波の大滝岳や大和の金峯山などの霊山を巡り歩き、そしてある時は奈良の大寺院の経蔵に籠って経典を読みふけりの修行を積み重ねる内に大和国高市郡の久米寺にて「大日経」に出会い、密教の真髄が書かれていることに驚嘆し、即身成仏や諸仏諸菩薩の秘法の習得には師の伝授が必要であると痛感し、遣唐使として入唐出来る機会を伺っていたのです。

804年に空海は遣唐使として入唐し、その当時にはまだサンスクリット語で書かれていた大日経を善無畏が訳し、金剛頂経を金剛智が訳して隆盛を極め、大日経と金剛頂経の両部の教えを継承した唯一の相である恵果(けいか)から密教の奥義を学んで胎蔵界、金剛界の両部灌頂を受けたただ一人の継承者となったのです。

806年(大同元年)空海は密教経典142部247巻を始めとして密教法具や曼陀羅などを日本に持ち帰ることが出来ました。

真言密教の成立

空海が帰国して4年が経過した809年(大同4年)、空海は都入りを許されて洛北の高雄山寺に居住してその翌年には鎮護国家の修法を、そして翌々年には天台宗の最澄を含む百数十人に我が国で初めての胎蔵界、金剛界両部の結縁灌頂を行いました。

816年には密教の修行道場としての静寂の聖地を求めて旅に出た後、仏縁に導かれた高野山の下賜を得て、更には823年、平安京鎮護のために建てられた東寺を下賜され、真言密教の揺るぎない基礎が出来上がったのです。