般若心経とは

玄奘三蔵のイラスト

般若心経とは正式には「般若波羅蜜多心経」と言い、梵名はPrajñā-pāramitā-hṛdaya、 プラジュニャーパーラミター・フリダヤで、大乗仏教の根幹をなす経典であり、仏教の諸宗派でよく唱えられる経典です。

玄奘三蔵が中国からインドに求道の旅をして持ち帰った多数の経典の中の一部で、わが国で最も普及した経典の一つです。

般若波羅蜜多心経の意味

般若波羅蜜多心経とは

  • 般若…梵語では「プラジュニャー」、「智慧」のこと
  • 波羅…梵語では「パーラ」、「彼岸」つまり悟りの境地のこと
  • 蜜多…梵語では「ミター」、「渡る」こと
  • 心経…重要な経典

「智慧を持って悟りの境地に渡ることを説いた経典」を意味しています。

玄奘三蔵とは

般若心経にはサンスクリットの原典の他に漢訳としては般若訳、鳩摩羅什訳、法月訳などがある中で、私達が勤行の時に唱えたり写経をするのに最もよく使われているのが玄奘三蔵訳の般若心経です。

玄奘三蔵(602~664)は本名を 陳褘(チンイ)と言い洛州緱氏県で生まれて地方官として働く父を10歳の時に亡くしてからは次兄の長捷が出家して洛陽の浄土寺に住むようになったことをきっかけとして、自身も浄土寺で「維摩経」と「法華経」を誦すようになりました。

経典の研究を進め、各地の有名寺院を転々とした玄奘は、仏典の研究には原典に依るべきと考え、インド行きを決意した玄奘は629年、唐王朝に出国の許可を求めたが許可が下りなかったために国禁を犯して出国し、天山南路から天山北路、さらにはヒンドゥークシュ山脈を越えてインドに入国しました。

インドではヴァルダナ朝の王ハルシャ・ヴァルダナの保護を受けて、ナーランダ大学で戒賢(シーラバドラ)に師事して唯識を学び、各地の仏跡を巡拝し、16年の歳月を費やして研鑽を重ねた玄奘は、西域南道を通って貞観19年1月(645年)に、657部の経典を持って長安入りしましたが、時の皇帝・太宗は玄奘の功績を高く評価し、密出国の罪を問うことはありませんでした。

玄奘のインドへの旅の様子は「大唐西域記」にまとめられ、後の「西遊記」が生み出されました。

般若心経の功徳

仏教の経典と言えば難解な文字が多くて長いものという印象がありますが、般若心経は276文字の短い経典で比較的覚えやすく、大乗仏教の真髄を表していることから、仏教の諸宗派でよく唱えられる経典です。

智慧を得る

般若心経は「智慧を持って悟りの境地に渡ることを説いた経典」ですから、大いなる智慧のプロセスを端的に表現したお経です。

唱えれば唱えるほど智慧の内容が体に染み込み、悟りへと一歩近づくことになり、心が落ち着き、迷いが少なくなります。

正しい智慧を持った者は人から信頼され、大きな仕事も任されるようになり、物事が順調に進むようになります。

正しい判断が出来るようになる

正しい智慧を得ることが出来れば正しい判断が出来るようになります。善いことか悪いことか、必要か不要か、右か左か、行くか戻るかなどの判断は、間違えますと人生が狂ってしまうことがあります。

般若心経を唱える、写経するなどを繰り返せば正しい判断が出来るようになってきます。

悪いものが憑かない

疫病神や貧乏神、死に神などに取り憑かれますと、何をやってもうまくいかなくなってしまいます。

このような悪い神や鬼などの類は、憑いた相手が不幸になればなるほど喜ぶのです。

何かに憑かれていると霊能者に言われたなどで心配になって私の所に相談される方がたくさん居られますが、何かに取り憑かれているからと慌てふためいてあちこち、走り回っていること自体が、悪い神の思う壺なのです。

低い世界の出来事を低い世界で解決しようとすれば、永遠の戦争に巻き込まれるだけの話です。

般若心経はそういった事でさえ「空」である、つまり幻であると説いているのです。

真実を語っている人に対しては、悪いものが取り憑くはずがありません。

般若心経の実践法

般若心経を日常生活の中で実践しようと思ったら、唱えることと書き写すことが出来ます。

般若心経を唱える

般若心経は基本的な経典になりますので、般若心経だけをお唱えしても構いませんし、他の経典や真言と組み合わせて唱えても構いません。

般若心経を唱える数

般若心経は道を歩きながらでも電車に乗っている時でも唱えることが出来ます。

スマホばかりいじっていても魂の向上はあまり望めませんが、そのような時間があるのであれば目を閉じて心を落ち着けて般若心経を唱え続けた方が遥かに魂の向上に役立ちます。

可能であれば何回も唱えて般若心経をループさせ、その回数は1回、3回、7回、21回、108回など自分で決めて下さい。

供養のために

子供と一緒にお墓参り

般若心経は亡くなった人や先祖の供養にも役立ちます。

般若心経の最終章のクライマックスの部分には「掲帝 掲帝 般羅掲帝 般羅僧掲帝 菩提僧婆訶」と梵字をそのまま漢字に当てはめただけの部分があり、「さあ行こう、仏の国に、悟りを得た者と共に行こう、悟りあれ、幸いあれ」という意味になります。

生きている人も全ての生き物も、亡くなった人も転生の途中にある魂も、全ての魂が仏の国を目指していこうと説いているのです。

護身のため

不動明王の剣のイラスト

般若心経は自分の身を護るためにお唱えすることも出来ます。

正しい法は諸悪を寄せ付けないからなのです。

葬儀、告別式に行く場合、霊園、墓地に行く場合などにお唱えして構いません。

こういう時には光明真言が役に立ちます。

光明真言で開運を、唱え方と印の結び方

般若心経と光明真言をセットにすれば最強です。

神社仏閣にて

初詣

般若心経を神社で唱える時には最初の「仏説」を抜いて「摩訶般若波羅蜜多心経」、その後に柏手をパンパンと打って、勢いよくそして少し早めにお唱えします。

寺院では「仏説摩訶般若波羅蜜多心経」と唱えて少しゆっくりめに唱えます。

般若心経だけお唱えしても構いませんが、「開経偈」から始まって「般若心経」そして「ご本尊様の真言」などと続き、最後に「回向」を入れると良いかと思います。

寺院でも巡礼として錫杖などを振りながら唱える時には少し早めにお唱え致します。

般若心経の写経

写経

写経は般若心経を紙に書き写すことですが、最後に願い事を書くようになっていますので、家族が平和に暮らせますように、病気が治りますように、息子の受験が受かりますように、などの願いを込めて書き写します。

写経の歴史

釈迦の悟りの内容は当初は口伝と言って、口伝えに伝承されていましたが、やがて紙に記録するようになりました。

仏教の経典は黎明期の頃には紙が貴重なものであったことに加えて、今の時代のような印刷機やコピー機がありませんでしたので、一人でも多くの人に仏法が伝わるようにとの願いを込めて一文字一文字書き写していたことが写経の始まりです。

悟りを得るための正しい法が書いてある経典を一人でも多くの人に知ってもらい、悩み苦しみから解放されて、魂の向上につながって欲しいという願いが籠っていたのです。

写経の目的

写経のイラスト

写経の大きな特徴としては最後に願い事を書くようになっていることです。

その目的としては

  • 病気が治りますように
  • 手術が成功しますように
  • 家族が健康でありますように
  • 会社が繁栄しますように
  • 受験に合格しますように
  • 元気な子が生まれますように
  • 厄が払えますように
  • トラブルが解決しますように
  • 借金が返済できますように
  • 仕事が安全でありますように

などの様々の願い事の成就のために写経しているのです。

経典には詠むこと、書き写すこと、法を説くことなどで功徳を積むことが出来ますので、その功徳を願い事に充てるということなのです。

写経の方法

写経は仏教の修行ですので、それなりの作法がありますので、出来ましたら一度は作法を学んでから実践されたらよいかと思います。

作法自体は一度学べば分かりますが、基本は自らの体と心を清めてから精神を統一して始めます。

半透明の紙の下にお手本の般若心経を置いてお手本の字をなぞるという方法が一般的で綺麗に仕上がりますが、覚えてしまった方はお手本無しで書く方も居られます。

字は下手でも構いません、間違っても気にすることはありません、訂正してとにかく大切なことは完成させることです。

そして可能ならば毎日でも続けることです。

写経の奉納

写経は毎日続ければ少しずつたまっていくもので、一年間続けますと365枚もの写経が出来上がります。

一年ごとに紐で閉じれば本みたいになって分かりやすく、後になってめくってみれば自らの魂の成長が分かるものです。

あの時には悩み苦しみの中にいて、本当にくるしかったな、などのことが分かるのです。

写経は寺院で行っている写経に参加すればその寺院に奉納します。

写経の奉納のみを受け付けている寺院もありますので、奉納料がと共に納めます。

奉納料についてはお気持ちのお布施という所もあれば、料金が決まっている所もあります。

高野山真言宗やすらか庵では願い事の気持ちを天に届けるお焚き上げ供養を行っています。

これはお焚き上げしても良いですか-写経-

般若心経を読み解く

般若心経は全600巻からなる「大般若経」の中からエッセンスを簡潔にまとめられたお経です。

般若心経漢文と読み

仏説摩訶般若波羅蜜多心経 [ぶっせつ まか はんにゃ はらみた しんぎょう]

觀自在菩薩 [かんじざいぼさ]
行深般若波羅蜜多時 [ぎょうじんはらみたじ]
照見五蘊皆空 度一切苦厄 [しょうけんごうんかいどいっさいくやく]
舍利子 [しゃりし]
色不異空 [しきふいくう]
空不異色 [くうふいしき]
色即是空 [しきぞくぜくう]
空即是色 [くうそくぜしき]
受想行識 [じゅそうぎょうしき]
亦復如是 [やくぶにょぜ]
舍利子 是諸法空相 [しゃりしぜしょほうくうそう]
不生不滅 [ふしょうふめつ]
不垢不淨 [ふくふじょう]
不増不減 [ふぞうふげん]
是故空中 無色 無受想行識 [ぜこくうちゅうむしきむじゅそうぎょうしき]
無眼耳鼻舌身意 [むげんにびぜっしんに]
無色聲香味觸法 [むしきしょうこうみそくほう]
無眼界 [むげんかい]
乃至無意識界 [ないしむいしきかい]
無無明 [むむみょう]
亦無無明盡 [やくむむみょうじん]
乃至無老死 亦無老死盡 [ないしむろうしやくむろうしじん]
無苦集滅道 [むくしゅうめつどう]
無智亦無得 [むちやくむとく]
以無所得故 [いむしょとっこ]
菩提薩埵 [ぼだいさった]
依般若波羅蜜多故 [えはんにゃはらみったこ]
心無罣礙 無罣礙故 [しんむけげむけげこ]
無有恐怖 遠離一切顛倒夢想 [むうくふおんりいっさいてんどうむそう]
究竟涅槃 [くぎょうねはん]
三世諸佛 [さんぜしょぶつ]
依般若波羅蜜多故 [えはんにゃはらみったこ]
得阿耨多羅三藐三菩提 [とくあのくたらさんみゃくさんぼだい]
故知般若波羅蜜多 [こちはんにゃはらみた]
是大神咒 [ぜだいじんしゅ]
是大明咒是無上咒 [ぜだいみょうしゅぜむじょうしゅ]
是無等等咒 [ぜむとうどうしゅ]
能除一切苦 眞實不虚 [のうじょいっさいくしんじつふこ]
故説般若波羅蜜多咒即説咒曰 [こせつはんにゃはらみたしゅうそくぜしゅわつ]
掲帝 掲帝 般羅掲帝 般羅僧掲帝 菩提僧婆訶 [ぎゃていぎゃていはらぎゃていはらそうぎゃていぼじそわか]
般若心經 [はんにゃしんぎょう]

般若心経漢文と訳

仏説摩訶般若波羅蜜多心経
観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五蘊皆空度一切苦厄舎利子色不異空空不異色色即是空空即是色受想行識亦復如是舎利子是諸法空相不生不滅不垢不浄不増不減是故空中無色無受想行識無眼耳鼻舌身意、無色声香味触法無眼界乃至無意識界無無明亦無無明尽乃至無老死亦無老死尽無苦集滅道無智亦無得以無所得故菩提薩埵依般若波羅蜜多故心無罣礙無罣礙故無有恐怖遠離一切顛倒夢想究竟涅槃三世諸仏依般若波羅蜜多故得阿耨多羅三藐三菩提故知般若波羅蜜多是大神呪是大明呪是無上呪是無等等呪能除一切苦真実不虚故説般若波羅蜜多呪
即説呪曰羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶
般若心経


「観自在菩薩」が遥か昔に深い智慧を完成するための「深般若波羅蜜多」を修行していた時に、全てのことが「空」(くう)であることを悟って、一切の苦しみから解放されました。

「舍利子」(釈迦の十大弟子)よ、この世の中のありとあらゆる物質(色)は空なのである。

空は物質(色)そのものである。

しかし物質(色)は空であり、空は物質(色)なのである。

人間の肉体や、感じること、思うこと、行うこと、認識することもまた全てが空なのである。

全てのことが空なのだから、生じることもなく、消滅することもなく、綺麗も汚いもない。

増えたり減ったりすることもない。

それ故空の中には人間の肉体や、感じること、思うこと、行うこと、認識することや、目や耳、鼻や舌などの体の感覚と心で思うこと、その対象としての色、声、香り、味、触れるなどもない。

私たちが目で見ている世界や認識世界もないのである。

そもそも人間の無痴迷妄もなければ、老いや死ぬことに対する苦しみも存在することなく、ましてやその苦しみが尽きることなどないのである。

苦しみというものの実態がなく、それを無くすための道もない。

智慧や悟りもないのだから、何かを得るということすらない。

悟りを目指す者は真実の智慧を得る「般若波羅蜜多」を実践しているのだから、心にはこだわりも執着もなく、恐れるものもない。

過去、現在、未来の三世の諸仏も「般若波羅蜜多」を実践して悟りを開くことが出来た。

「般若波羅蜜多」は大いなる神の呪文、マントラ、最高の真言、この上ない真言である。

一切の苦しみを取り除き、絶対に偽りのない真実なのである。

その「般若波羅蜜多」の真言を説こう。

その真言は「掲帝 掲帝 般羅掲帝 般羅僧掲帝 菩提僧婆訶」

(さあ行こう、仏の国に、悟りを得た者と共に行こう、悟りあれ、幸いあれ)

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般若心経の真髄

般若心経の最後に出てくる真言はとても大切です。

ぎゃていぎゃていはらぎゃていはらそうぎゃていぼじそわか

般若心経の最後の部分で全く意味の分からない部分がありますが、それは「掲帝 掲帝 般羅掲帝 般羅僧掲帝 菩提僧婆訶」の部分であり、「ぎゃていぎゃていはらぎゃていはらそうぎゃていぼじそわか」と読みますがこの部分だけはサンスクリット語のマントラを漢字に充てただけなので漢字としての意味がありません。

しかしこの部分は

  • 是大神呪…偉大なる神の真言
  • 是大明呪…偉大なる明るい真言
  • 是無上呪…無常なる真言
  • 是無等等呪…これ以上のものはあり得ない最高の真言

と繰り返している形で登場する真言なのです。

マントラの力

ぎゃていぎゃてい…の部分はサンスクリット語では

गते गते पारागते पारसंगते बोधि स्वाहा
gate gate pārāgate pārasaṃgate bodhi svāhā

「ガテー・ガテー・パーラーガテー・パーラサンガテー・ボーディ・スヴァーハー」

と発音されますので、般若心経の結論はこの真言、マントラなのです。

それではこの部分だけを唱え続ければそれで良いのか、と言われればある意味正解なのですが、悟りというものは簡単なものではなく、最終的には空を理解しなければいけないのです。

空とは

般若心経には「空」という言葉がよく登場しますが、とても大切な思想です。

空は悟りの内容である

般若心経に出てくる空は

「舍利子」(釈迦の十大弟子)よ、この世の中のありとあらゆる物質(色)は空なのである。

空は物質(色)そのものである。

しかし物質(色)は空であり、空は物質(色)なのである。

人間の肉体や、感じること、思うこと、行うこと、認識することもまた全てが空なのである。

全てのことが空なのだから、生じることもなく、消滅することもなく、綺麗も汚いもない。

増えたり減ったりすることもない。

このように普通の人には到底理解できないようなことが書かれていますが、釈迦の悟りの内容と重なることであり、この世の物や感情などは全て幻だと説くのです。

そうは言っても私たちの目の前にはたくさんの物が溢れていて、例えば机の上にリンゴが置いてあったら、誰だってそれがリンゴだと同じように認識して、リンゴという実態のある物がそこにあるではないかと。

しかしそれは私達人間がリンゴだと認識している物であって、動物から見たら違うものと認識しているかもしれません。

ましてやリンゴを食べる必要のない天や菩薩、如来から見ればリンゴのおいしそうな香りや色などは全て幻であって、気にすることではないことで、リンゴに気を取られるよりは、もっと大切な宇宙の真理を説いているのです。

悩み苦しみの原因は

般若心経の空では、私たちの住む世界の全ては幻想であり捉われる必要のないものだと説かれます。

この世には霊的なことや精神的なことで悩んでいる方がたくさん居られますが、何かが自分に悪さをしている、何かが取り憑いている、自分のことを悪く言っている、自分を落とそうとしている、などの正体が全て幻であり、気にすることではないと説いているのです。

先祖のせいで病気になった、自分の過去世の行いが悪かったから今となって罰を受けている、などのことも全て幻なのです。

しかしいくら幻だと言われても現実に起こっていることだし、自分は病気になったり怪我をしたりして被害を実際に受けていると思っていても、それもまた幻であり、幻というものは、実に巧妙な手口で人に恐怖を与えたり危害を与えたりしているのです。

私たちは自分の心の中に作られた映像に左右されていて、それは死後の世界にも訪れます。

人が亡くなって魂が肉体から離れていくと、光や音、匂いや味を伴った実に恐ろしい幻影が次々と襲い掛かってきて、それに恐怖を感じた私達の魂はそれが幻影だということに気が付くことなく逃げまどい、逃げた先には低いレベルの世界に堕ちていくのです。

幻影なら何をしてもよいのか

どうせこの世の中の事象が幻影なら人の物を盗んだり、殺しても幻影ではないかと思われる方も居られます。

しかしながら彼岸に渡るための実践をしなさいと説く般若心経は、この世の全てが空であることを理解した上で自らも空として対応し、その対応の仕方は仏が説いているのであって、智慧を磨いて諸悪を断ち、功徳を積むということなのです。

釈迦の瞑想

釈迦はこの世の全ての物が幻想であって永遠に続くものではないということを悟りました。

綺麗に着飾った若い美人の女の人でも数十年後には老いぼれた老人になって死んでいくこと。

贅を凝らした立派な宮殿に住んでいても他国から攻められて略奪されること。

元気だった人が病気で弱って変わり果てた姿になること。

私たちの目の前の誘惑や現象、災難までもがあっという間に過ぎ去っていく幻であって、だからこそ目の前にあることに執着してはいけない、こだわってはいけないということに気が付いたのです。

もっと言えばそれよりも遥かに大切なことに気づいたのです。

彼岸からの景色

般若心経では皆がそろって彼岸に渡ろう、と説いていますが、彼岸から見たらこの世の景色が幻だったのです。

釈迦も彼岸にたどり着いたからこそ、悟りを開いた後にこの世に肉体が残っていても仏として振る舞うことが出来たのです。

彼岸から見れば案外この世の景色は綺麗なものかもしれませんし、彼岸とこの世の境目も無いのかもしれません。

般若心経は私たちに大切なメッセージを発信し続けているのです。