光明真言とは

大日如来

光明真言は23の梵字からなる真言で、真言宗や天台宗で法事や法要の時によく唱えられていて、在家の方でも日常的によく唱えるとても役に立つお経(真言)です。

正式には不空大灌頂光真言と言い、密教経典である「不空羂索神変真言経(菩提流志訳)」や「不空羂索毘盧遮那仏大灌頂光真言(不空訳)」に説かれています。

光明真言の意味

光明真言

「宇宙を支配される大日如来様、私達の進む道を無量の光で遍く照らして下さいませ」という意味で、amogha(アボキャ)は不空成就如来を、vairocana(ベイロシャノウ)は大日如来を、mahā-mudra(マカボダラ)は阿閦如来を、maṇi(マニ)は宝生如来を、padma(ハンドマ)は阿弥陀如来を指すと解釈され、金剛界五仏(五智如来)に対して光明を放つように祈願している真言であるとも言われています。

金剛界五仏とは

金剛界五仏とは金剛界曼荼羅の中央に位置する「成身会」(じょうじんえ)にあって、大日如来の五つの智慧である法界体性智、大円鏡智、平等性智、妙観察智、成所作智)を五体の如来に当てはめています。

金剛界曼荼羅は大日如来の智慧を多くの仏で図式化して表したもので、密教寺院では胎蔵界曼荼羅と共に祀られています。

金剛界曼荼羅

中央が「成身会」で大日如来を中心に阿閦如来、宝生如来、阿弥陀如来、不空成就如来が取り囲みます

金剛界曼荼羅の成身会とは

金剛界の五仏如来はそれぞれ蓮華座の上に坐していて、その姿と智慧の特徴は

大日如来
大日如来:法界体性智(ほっかいたいしょうち):法界の本性を明らかにする智慧を有する

阿閦如来
阿閦如来:大円鏡智:大きな丸い鏡のようにあらゆるものを映し出す智慧を有する

宝生如来
宝生如来:平等性智:全ての事象と自他の平等を観ずる智慧を有する

阿弥陀如来
阿弥陀如来:妙観察智:すべての事象の違いを正しく観ずる智慧を有する

不空成就如来
不空成就如来:成所作智:自らと他のために為すべきことを成就させる知恵を有する

光明真言の光明とは

光明真言の光明とは

私達が生きていくためには太陽の光が必要で、光は世界を明るく照らし出すて昼間の世界を作り出してくれると共に、生命が生きるためのエネルギーも供給してくれていて、しかも無償で誰に対しても平等であることはまさに如来の慈悲であり、愛でもあるのです。

太陽の光に当たる事無く暗い部屋の中で一日中過ごす生活を繰り返していますと、体の皮膚が青白くなり病気にかかり易くなって、性格が暗くなってきますが、これは陰と陽で言うならば陰気であって心身共に病気になり易く、何をやってもうまくいかない状態です。

陽気な人は昼間の明るさをとても良く好み、誰に対しても隠し事が無くて良く好かれ、笑顔が絶えることなく周囲に人が集まり、心身共に健康で、何をやってもうまくいく順風満帆の人生を歩むことが出来ます。

光明真言は元気が無い時に唱えれば大いなる力を授かり、悩み苦しみを明るい希望に変え、亡き人の供養にもなって、開運にもつながっていく、まさに魔法の真言であり、数ある真言の中でも最強の真言でもあります。

光明真言の効果とは

光明真言の効果

不空羂索毘盧遮那仏大灌頂光真言(不空訳)」によりますと光明真言には次のような効果があるそうです。

過去の罪を滅してくれる

地獄

過去の一切十悪五逆四重諸罪や、一切の罪障を除滅してくれる効果があり、過去とは私達の生きている時に犯した罪を含めて過去世に至るまでという意味合いもあり、そういった過去に犯した罪を消滅させる功徳があるのです。

十悪とは

  • 殺生(せっしょう)-生き物を殺す
  • 偸盗(ちゅうとう)-与えられていない物を自分の物にする
  • 邪淫(じゃいん)-不倫などのふしだらな行い
  • 妄語(もうご)-嘘をつく
  • 綺語(きご)-でたらめなことを言う
  • 悪口(あっく)-悪口を言う
  • 両舌(りょうぜつ)-他人を仲違いさせるようなことを言う
  • 慳貪(けんどん)-むさぼる
  • 瞋恚(しんに)-怒る
  • 邪見(じゃけん)-因果の道理を無視する、間違った考え方

五逆とは

  • 殺父(せっぷ)-父を殺すこと
  • 殺母(せつも)-母を殺すこと
  • 殺阿羅漢(せつあらかん)-阿羅漢(聖者)を殺すこと
  • 破和合僧(はわごうそう)-教団の和合一致を破壊し、分裂させること
  • 出仏身血(しゅつぶっしんけつ)-仏の身体を傷つけて出血させること

四重罪とは

  • 捨正法(しゃしょうほう)-正法を捨てること
  • 離菩提(りぼだい)-菩提心を捨てること
  • 慳悋正法(けんりんしょうほう)-正法を伝えることを惜しむこと
  • 不利衆生行(ふりしゅじょうぎょう)-衆生を利益しないこと

私達の魂は長い長い輪廻転生と言う生まれ変わり死に変わりの中で、地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人間・天界という六道を彷徨い、仏道の修行をすることなく過ごして欲にまみれた生き方をし、時には他を傷つけ、戒律を破り、三悪趣である地獄・餓鬼・畜生道に堕ちて苦しみ続けるのです。

そういった過去の罪障まで消滅してくれるなんて、とても素晴らしいことです。

私達は過去の影響を確実に受けていて、過去があるからこそ現在があるのですが、それでも今こうして人間の身であることはとても素晴らしいチャンスであり、こういう恵まれた環境に生まれるなんて、もう無いと思って下さい。

今こうして人間の身でありながら過去の罪の清算まで出来るのなら今やりましょう、今やらなければもうチャンスは絶対に無いのです。

死者の供養、救済

諸行無常-餓鬼草紙

光明真言には十悪五逆四重諸罪によって、地獄・餓鬼・修羅に生まれ変わった死者に対し、光明を及ぼして諸罪を除き、西方極楽国土に往かせる効果があります。

たとえ十悪五逆四重諸罪によって、地獄・餓鬼・修羅に生まれ変わってしまっていても、光明真言には極楽浄土に往かせるだけの効果があると言うのです。

私達の生まれ変わり死に変わりする世界は六道と言って下から地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天界に分かれていいて、魂というものは過去の行いの善悪に応じてそれぞれの世界に生まれ変わると言われています。

私達の世界である人間界は天界の下にある世界ですが、その下には阿修羅界、動物界、餓鬼、地獄の世界があります。

私達の世界では善悪を見分ける心が与えられ、仏の教えを学ぶことが出来て、更には修行できるチャンスも与えられていて、仏法の実践にはとても恵まれた環境にあり、死後に少なくとも人間界以下に堕ちていかないように、そして出来れば人間界以上の世界に生まれ変われるようにしないと、永遠に苦しむことになるかもしれないのです。

極楽浄土は私達の生まれ変わり死に変わりの世界を脱出した世界であり、悟りを得た者のみ行くことが出来る世界であり、私達が簡単に行ける世界ではありませんが、光明真言には極楽浄土に往かせるだけの効果があるということは、それだけの秘めたる物凄い力があるということであるということは間違いありません。

光明真言が普段の勤行以外にも、法事やお葬式の時などによく唱えられるのは、亡き人の供養、救済にもとても役に立つ真言であるからです。

仏法では本来、自業自得と言いまして、自分の為した行いは自分で受けるということが大原則であり、他人が救えるようなものではありません。

しかしそういった大原則の中にでも供養の心は通じるもので、如来の供養の心は私達にそれを感じる気持ちさえ有れば通じるのですから、光明真言にもそのような力が存在するのであれば、不幸になったかもしれない方のために祈って差し上げましょう。

自らの行になり、他を救う供養にもなるのであれば、とても素晴らしいことなのです。

死後の世界の真相が明らかに…チベット死者の書で説かれる死後の世界

病気を治す

病草紙-歯の病気

光明真言は先世の業の報いによる病人に対し、宿業と病障を除滅する効果があります。

私達の生まれ変わり死に変わりには、業の清算という意味合いがあって、たとえば地獄に堕ちるということは殺生などの罪の清算として地獄に堕ちるのであって、しかも地獄にも罪状に応じて様々な地獄があり、地獄での苦しみを受け続けることによって罪を清算しているのです。

私達の病気にはほとんどの場合、原因があってその結果としての病気であり、原因を取り除けば治っていくものです。

しかし私達の身の回りには原因不明の病気や、それが病気だと気付いていないような病気もたくさんあって、病院に行って薬を貰って治療しても治らない、却って悪くなるようなことも実際には数多くあるのです。

病気の原因を先祖のせいにしたり霊のせいにしたりすることは良い事ではありませんが、万一自分が過去世に成した罪の結果としての病気であるのなら、光明真言にはそれさえも取り除く効果があると言うのです。

光明真言には過去世から未来に至るまでの私達の魂に対して良い作用を働きかけてくれるのですから、真言というものは時空を超えて作用するものなのです。

しかし病気というものは、それを乗り越えることによって心と体の障礙を消滅すると言う役目もありますから、ある程度の苦しみが必要なこともありますし、病気を乗り越えることによって綺麗な心が得られると思えば、病気にも感謝する必要があります。

怠慢な生活をしていて病気になったことで「病気が憎い!」「何で自分が病気になるんだ!」などと思っている人は治らなかったりしますが、「有難う」と心の底から思って涙した瞬間に治った方も世の中には居られるのです。

物の怪、除霊

暗い性格でいつも下ばかり見て歩いているような人は何をやってもうまくいかないことが多いのですが、体の中のエネルギーが不足していたり、何かに取り憑かれているようなこともあります。

貧乏神や疫病神は人の不幸をとても喜びますので、不幸になればなるほど憑りついて離れなくなってしまいます。

病気で弱っている時や精神的に参っている時などに悪い物に憑かれやすいのですが、悪い物は暗くてジメジメした人間に好んで憑りつきますので、光明真言で光を放てば出て行ってくれます。

一心不乱に光明真言を唱えてみて下さい。

手当とは

手当て

手当とは文字通り手を当てる事ですが、病気の時の手当てとは、悪い所に手を当てることによって、悪いものを吸い出したり、気を入れたりすることです。

お母さんが子供のおでこに手を当てて「痛いの痛いの飛んでいけ」のおまじないは手当と言霊によるもので、医者や薬が無くとも手当の力で治る病気もあるのです。

身体の中の悪い所に手を当てて光明真言を唱えることは立派な手当てです。

病院でないと治せない病気は病院で治してもらい、精神的な病や原因不明の病気、何かに取り憑かれたりした時などに対しては光明真言の効果はあります。

病気の人にして差し上げても効果がありますので、悪い所に手を当てて光明真言を声に出して唱えます。

当てている手からは、光が出ていて、それが体の中に入っていくことをイメージします。

うまくいけばだんだんと暖かくなってくることを感じます。

普通の手当ての範囲内で、相手は家族限定にしておきましょう、友人や見知らぬ人などに対してはお互いにまずいことになってはいけませんので。

病気の人のために祈る

事故や病気で面会謝絶の時には付き添いの人は何も出来ずに、ただ廊下やロビーで待っているぐらいしか出来ません。

しかし何も出来ないからとイライラしながら待っていてもただ時間が過ぎて行くばかりです。

こういうときにこそ光明真言を心の中で唱え続ければ、だんだんとイライラしていた心が落ち着いてきます。

自分の心を落ち着かせるために、更には病気や怪我をされた方の治癒を願って唱え続ければ、その思いは必ず届きます。

運気の上昇

光明真言は私達の心と体の浄化をしてくれますので、心と体が綺麗になってきますと自然に運気が上昇するということになるのです。

運気の上昇に心と体の浄化が必要な理由は、私達は普段の何気ない生活の中でいろんな人と接したり、いろんな場所に行ったりすることによって、人や場所から悪い気を受けたり、疫病神に憑りつかれたりしていて、案外そういうことに気が付かずにいても、私達の気の力が溢れている時には、そういった事は自然と跳ね返しているのです。

ところが何かにつまづいたり、病気をしたり、体長が優れないようなきっかけがあると、坂道を転がり落ちるように悪いことが続いてしまいます。

不幸になる時の転がり落ち方はとても早く、あっという間に不幸になりますが、幸福というものはある日突然幸福になるような人は滅多に居るものではありません。

努力して、努力して、少しずつではありますが、幸せになっていくのです。

しかしそのスピードがあまりにも遅いので中々気が付くようなことはありません。

光明真言は覚えておいて決して損はしません、宗教に関係ない方が唱えても全く問題ありません。

唱えれば唱える程少しずつではありますが、力になっていくはずです。

一つだけ勘違いしてはいけないことは、不幸があるから幸せがあるのであって、幸せの材料は実は不幸から出来ているのです。

悩みがあって毎日辛い辛いと思っていた事でも、病気になって入院した訳では無いからまだ有難い、必ず何とかなると思えることが出来れば、その不幸が幸せの材料になるのです。

つまり不幸が無ければ幸せは無いのです。

幸せは何処かに落ちているものではありません、作り出していくもので、そのきっかけになるのが光明真言なのです。

奇跡を起こす、不思議体験

山野を修行する弘法大師空海のイラスト

弘法大師空海は全国を行脚して、至る所に弘法大師伝説が残っていますが、錫杖で地面を付いたら水が湧いた、温泉が出た、大きな岩が割れた、川の水が全部引いたなどの「奇跡」と言われる不思議な事を無数に行っていたのです。

もちろん弘法大師空海は私達とはレベルが違いますので、私達は同じ事が出来ませんが、奇跡を起こした原動力は「祈る力」「願う力」と利他行の実践、そして日々の修行の賜物なのです。

弘法大師がこのような奇跡を起こしたのは自分一人だけの力ではありません、神々の力をお借りして御縁を頂き、民を動かし、時には神々に直接動いてもらって各種の偉業を成し遂げたのです。

もちろん日々の修行の中で神々に感謝することを忘れずにいたからこそ生涯守って頂いたのです。

私達も身近な人が病気で苦しんでいる時には、我を忘れて必死で回復を祈り願いますよね。

その必死の祈りが神々に通じた時に奇跡が起こるのです。

実際に光明真言で不思議な体験をされた方や命を救われた方もたくさんおられるのです。

しかし奇跡というものはいつでも必ず起こるとは限りませんし、神々でも叶えることが出来ない願いもあるのです。

「どうかいつまでも死なないようにして下さい」「若返らせて下さい」などのことは無理な願いということが分かりますが、私達は案外無理な願いを神々に頼んでいるのです。

そういったことを良く考えた上で、自分では出来ないことを大宇宙の神々の力をお借りすればいとも簡単に叶うようなことも本当にあるのです。

光明真言には奇跡を起こす力を秘めていて、ある意味使い方を間違えますととても危ない、危険な真言でもありますが、人間の欲に絡んだ間違った使い方をしなければ全く問題ありません。

毎日毎日唱え続けた結果、そのご褒美として奇跡が起こることもあるのです。

最初からご褒美を当てにしていても、決して貰えるものではありません。

言霊が宿る

言霊が宿る

私達の使っている言葉は自分の意思を相手に伝えるためのものですが、言葉の中には神様に捧げたり、手向けたりする神聖な言葉があって、言霊と言われます。

言葉に魂が宿れば、単に自分の意思を相手に伝えるだけでなく、相手に気を伝えたり神仏からの力を頂いたりすることが可能になります。

その言霊で構成されているのが真言であって、陀羅尼(だらに)、マントラ、呪文などとも言われています。

また言霊は繰り返し何回も唱え続けますと、何もしなくても体の中に魂が宿るようになってきます。

土砂加持

土砂加持

土砂加持とは密教で行う修法のことで、清水で洗い清めた白砂を本尊の前で護摩を焚き、光明真言を唱えて加持することです。

加持とは仏の御加護を願う儀式のことで、土砂加持された白砂は墓や亡く亡くなった人の身体の上に撒けば罪障を消滅し、亡くなった人の硬直が取れて体が柔らかくなります。

私達は心の認識である五感と意識でこの世界を認識していますが、眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識・末那識(まなしき)・阿頼耶識(あらやしき)の8つの意識の最も奥にある阿頼耶識は私達の魂であり、肉体が亡くなった後でも残り続けますが、この阿頼耶識には私達の生前中の行動が全て刻み込まれていますので、その中の悪い部分を清めるのが光明真言の効果なのです。

当庵ではお焚き上げの表面の砂にも土砂加持の砂を使っています。

間違った使い方をしてはいけません

仏法はそもそも他を利するという大きな目標があって、自分自身のエゴの満足を願ったり、快楽ばかりを追求したり、他の不幸を願ったりすることは禁じられています。

神仏は時に私達の実に我がままな願いを叶えてくれることもありますが、私達の真の成長を見守ってくれるための方便であり、私達が願いを叶えてもらったことで魂が成長することを願っておられるのです。

ですから光明真言で神仏を自分の都合の良いように使おうなんて考えたら運の尽き、運から見放されてしまいます。

光明真言のよくない使い方として

  • 宝くじが当たりますように
  • 楽してお金が増えますように
  • ライバルが失敗しますように
  • どうかバレませんように
  • たくさんの女性にモテますように
  • あの人は居なくなって下さい
  • 痛い目に遭いますように
  • 別れて下さい
  • 病気が悪化して下さい

光明真言は自分の魂の成長のために唱えましょう。

たとえばお金が増えますようにと願っても構いませんが、もし増えた結果として自分のためだけに使って人に対してケチであったり、困っている人に施すことをしなければ長続きしません。

真のお金持ちは自分も持っていますが、大きく施すということもしているのです。

施しとは困った人、慈善事業をしている団体、僧侶、正しい活動をしている寺院などへ布施することです。

施しというものは、施せば施す程お金が入ってきて、結果として自分も豊かになるという仕組みを神仏が動かしているのです。

お金は留めるものではなくて、回すもの、大きく回せば大きく入ってきます。

光明真言は心が豊かになるきっかけとして使えば良いのです。

光明真言を唱えよう

真言とは宇宙に偏在する神々の言葉であり、大宇宙が神格化された大日如来の大いなる力を得るための真言です、秘密の教えである真言密教の教えは師匠から弟子に伝えていくものであり、使い方を間違えますと危険ではありますが、真言を唱えることは誰にでも出来る行であり、信仰心を高めたり、仏法に親しむことはとても大切なことであります。

光明真言の唱え方

最も普及している方法が

「オン・アボキャ・ベイロシャノウ・マカボダラ・マニ・ハンドマ・ジンバラ・ハラバリタヤ・ウン」

この真言を唱える方法です。

光明真言を唱える環境

なるべく静かで物が散らかっていない環境、もしくは畳1畳か2畳ほどのスペースで構いませんので、自分だけの修行スペースを作ってみましょう。

目の前には何も無くて壁でも構いませんし、大日如来の写真やポスターを飾ってもいいでしょうし、大日如来の仏像があるのならミニ祭壇を作ってみましょう。

座布団1枚にあぐら、もしくは結跏趺坐、正座でも構いませんし、そういった座り方が困難でしたら椅子に座っても構いませんし、横になっていても構いません。

光明真言を唱える回数は7、21、108、千回

光明真言を唱える回数は1回だけでも構いませんし、可能であれば7回、21回、108回、時間があれば千回でも構いません。

回数を数えるのなら数珠を使って数えますが、大切なことは数を数えることではなくて唱えることに集中することであり、数珠を見ながら数えるのではなくて、数珠を見ずに手と指の感覚のみで数えるのです。

或いは心が落ち着くまでということで、回数に拘らずに唱えても構いません。

唱え方は棒読みで構いませんので、繰り返し唱えていれば自然とリズムになって流れ出します。

元々宇宙に流れている旋律なので、僧侶が集団で唱えていたりしますと音楽のように心地よく聞こえるのは当然です。

可能であれば毎日続けること、そして数を増やすことです、大宇宙に流れているリズムとあなたが唱える光明真言のリズムの波長が合った時に、そのリズムは大きな力に成ってあなたの魂は光を放ち、大いなる宇宙と一体化するのです。

そのリズムは心に穢れの無い人でしたらすぐに波長が合いますが、心の穢れの無い人はそう簡単にはいません、とにかく宇宙のリズムが自然と聞こえてくるまで繰り返し唱えてみるのです。

虚空蔵求聞持法は無限の記憶力を得る、別名天才になるための修行法と言われ、虚空蔵菩薩のご真言「ノウボ アキャシャ キャラバヤ ヲン アリ キャマリ ボリ ソワカ」を1日1万回唱えることを百日続ける修行で、百万遍の行とも言われますが、唱えるということにおいて最大の目標は百万遍なのです。

弘法大師空海は若き修行時代に四国の土州室戸崎(高知県室戸市最御崎)で虚空蔵求聞持法を修法している時に「心に観ずるに、明星口に入り、虚空蔵光明照らし来て、菩薩の威を顕す」(御遺告)、「明星来影す」(三教指帰)と著されるように、明けの明星が口の中に入ってくるという超常体験を果たしたのです。

空海の抜群の記憶力と各地で伝説に残された神通力の数々は、虚空蔵求聞持法によって得られたと言っても過言ではないのです。

光明真言も1日千回唱えれば1年で36万5千回となり、3年続ければ百万回を超えることになりますし、1日百回でも30年続ければ百万回を超えることになりますので、百万遍も唱えれば何かしらの大きな力になっているはずで御座います。

宇宙と一体になるということは、宇宙のリズムと一体になるということであり、真言、マントラはリズムですから、音程にしてもリズムにしても色々と試して変えてみて、続けていたら不思議と宇宙のリズムと一体化する感覚が得られることでしょう。

カラオケの練習をして上手くなって皆にチヤホヤされた所で拍手をもらっておしまい、自己満足の世界ですが、魂のレベルは向上しません。

光明真言を唱えて魂のレベルを向上させた方が真の幸せが見えてきて、仏の心で過ごすことが出来ますし、争いを好まず、平和を好むようになれば、自然と人が集まってくるのです。

光明真言の印の結び方

密教の行には必ず観想と言いまして仏を心の中で思う修行が付き物です。

瞑想が心の中の雑念を取り払って無の状態にすることに対して観想は仏や特定の事象を思い描くことであり、身口意の行は三密行と言って、体(手)で印を結び口で真言を唱え、心で仏を思うことであります。

印は「智拳印」(ちけんいん)と言って大日如来の智慧を表す印を組みます。

印の結び方は左手を握りしめて人差し指だけを立て、その人差し指を右手で覆うように握り、この時右手の人差し指と親指で左手の人差し指の頭を押さえます。

智拳印

もしくは膝の上で両手を軽く合わせる「法界定印」の方が負担が少なくて楽に出来るかもしれません。

法界定印

そして口では「オン・アボキャ・ベイロシャノウ・マカボダラ・マニ・ハンドマ・ジンバラ・ハラバリタヤ・ウン」を唱えます。

光明真言を唱える

心では自らの身体の中心から光が放たれていることをイメージします。

光明真言[梵字]サンスクリット版

古代サンスクリット語が神々の話す言葉であり、宇宙に偏在しているリズムであるのなら、そのまま唱えるのが正しいという事が言えます。

古代インドの言語であるサンスクリット語で伝えられたマントラ(真言)は中国を経由して弘法大師空海によって日本にもたらされましたが、その当時の経典はサンスクリット語(梵字)を漢字に書き替えられたものをそのまま日本に持ち帰ったのですから真言は当初の頃と比べると発音や読み方にかなりの違いがあります。

サンスクリット語(梵字)での光明真言は

oṃ amogha vairocana  mahā-mudrā maṇi padma  jvāla pravartaya hūṃ

オーム アモーグァ ヴィーロチャナー マハームッドッラー マニ パッドゥマ ジュバラ プラバルッタヤ フーム

これが究極の光明真言ですが、事の本質というものは皆が普通に唱えている光明真言が間違いで、正しく発音さえすれば驚異的な霊力を発揮するかと言う問題ではありませんし、ましてや唱えさえすれば光明真言が何かしてくれるかと言えば、そういう問題でもありません。

自らの光明真言に対する姿勢と真剣さ、そして地道な努力がいつか実を結ぶようなことなのです。

それを信じて実践するのが宗教であって日々の修行なのです。

継続は力なり

たった1回唱えただけで願いが叶うような人は相当にラッキーな人で、本当に奇跡が起こることもあるものですが、1回唱えただけで願いが叶う人は、そこまでの準備がもう既に出来ていて、あと一歩の所まで来ている人であって、世の中は因果応報、原因があって結果が現れているものです。

何となく効きそうだからと、ある程度やってみたけれど効果が無かったから止めたという人は多いと思います。

ある程度というレベルは人によって様々ですが、大体において人は三日程度やってみて諦めるもので、俗にいうところの三日坊主なのです。

効果が無かったから他の方法にしようと、難解な宗教の理論に走ったり、天才になる修行法などに飛びついたりしてもますます迷いの闇は深まるばかりです。

私は毘沙門天の信仰を続けていますので、毎日何千回も真言を唱え続けていますが、少しずつ力を頂けるようになったかなという程度で御座います。

継続は力なり、神々のエネルギーが頂ける力は私達が生きている時も、そして死後の世界にでも必ず役に立ちます。

昨日今日に始まったような修行法ではありません、普遍の事実としてあり続ける修行法なのです、続けてみて下さい。

疑ったり諦めたりしたら、そこで終わりです、絶対に喰らい付いて離れないぐらいの執念がないといけません。

「神様、愚かな私をお救い下さいませ」と、それで十分です。

釈迦の弟子のチューダ・パンタカは頭が悪くて出来が悪く、自分の名前も忘れる程でしたが、釈迦から掃除をすることだけを続けるように言われ、その教えを忠実に実践し続けたチューダ・パンタカは悟りを得ることが出来たのです。

掃除で悟った仏弟子チューダ・パンタカ、しゅりはんどく

自分には素質が無いとか才能が無いとか余計な事を考えるのではなくて、神仏に対しては馬鹿になりきるのです。

馬鹿とは馬も鹿も神様の御使いで、ただひたすらに言われた通りにするから馬鹿なのです。

光明真言の究極の目標

光明真言の究極の目標は全ての生き物の幸せを願うことであり、六道の世界に転生し続ける民衆を少しでも高い世界に引き上げることです。

太陽の光が無償で誰にでも平等に照らして、人の心を明るく温かくするように、光明真言もまた大宇宙の大きな力を皆に与え続けているのです。

光明真言を唱えるという行が出来るのは私達人間の特権であり、地獄、餓鬼はもちろんのこと、動物であっても行として唱える事が出来ないのですから、私達は行として唱える事が出来る環境を与えて頂いたことに大いに感謝して、光明真言の大きな力を頂くとともに、周りの方々が幸せになれるよう、祈っていくこともまた行なのです。

光明真言の曲を聞こう

光明真言の曲を作りました、電子キーボードで作曲してパソコンで編集しましたが、音楽に関しては楽譜など全く分からない素人ですから、少し音がズレているかもしれませんが、渾身の力作ですから、一度拝聴して下さい、私の声はよろしくなかったので、唄は声の綺麗な優梨亜さんです。

光明真言は唱えても聞いても功徳になる真言、今の時代に私達が生き残る方法は歌って踊れる念仏なのです。

聞くだけで不思議な力が湧いて来る、光明を感じることが出来るリズムは一度聴いたら忘れられません。

光明真言開運法

光明真言開運法

光明真言は宇宙からの大きな力を頂ける真言で、生命エネルギーを強くすることから、上手く活用すれば最強の開運法になります。

光明に感謝

光明は太陽の光のことで、太陽は私達が生きていくのに絶対に必要な存在であり、太陽が無ければ忽ちにして暗黒の氷の世界になり、動物や植物が生きていくことが出来なくなってしまいます。

地球上に緑の植物があり、青い空や蒼い海があって昆虫や動物などの無限の生命が活動し、私達が暮らしていけるのも全て太陽のお陰なのです。

太陽は大日如来の姿の表れだと言われますが、如来はただひたすらに大きな愛や光を無償で与え続けてその代償を一切要求しないという偉大なる存在です。

私達は日々無償の光明を頂きながら、それを当たり前だと思い、感謝の心を忘れてしまいがちです。

我が国では昭和の時代位までは宗教に関係なく朝日に対して毎朝パンパンと拍掌して拝んでいた方が多く居られましたが、最近ではそういう方はほとんど居ません。

夕陽になって沈んで行った太陽が次の日にまた出てくることは死と再生の象徴であり、夜になって眠りについた私達が次の日に太陽の如く目が覚めることを当たり前だと思うのではなく、朝になって目が覚めないことがいつの日か必ず来ることを思えば、朝の太陽が昇る姿を見ただけで感謝の気持ちがこみ上げてきて、ただひたすらに礼拝するしかないのです。

無償の愛を受け続けながらも感謝の気持ちを忘れた者たちの行く末は自滅の道しかありません。

如来は感謝の気持ちを忘れた者に対して罰を与えることはしませんが、自業自得の法則だけはいつの世にも必ず存在するのです。

光明に感謝、太陽に感謝、常に気持ちを太陽に向けて「ありがとう」と言うことです。

心を明るい方向に向けて光に包まれて、自らも光を発することが出来るように努力しましょう。

光明真言の「オン・アボキャ・ベイロシャノウ・マカボダラ・マニ・ハンドマ・ジンバラ・ハラバリタヤ・ウン」は「宇宙を支配される大日如来様、私達の進む道を無量の光で遍く照らして下さいませ」という意味です。

大日如来の表れである太陽は私達の日常を照らしてくれると共に、私達の進んで行く道をも明るく照らしてくれるのです。

「気」を採り入れること

経絡

家は人が住むことでエネルギーに満ち溢れ、人が住まなくなった家はエネルギーの流れが止まってしまいます。

エネルギーは「気」であり、エネルギーに満ちた状態が「活気のある」状態なのです。

家には「繁栄」する家と「没落」する家があり、活気のある家は繁栄して、活気の無い家は没落します。

家に活気があるかどうかは、そこに住んでいる人の状態で決まりますが、「活気のある人」と「活気の無い人」は何が違うのでしょうか

活気のある人

活気のある人はエネルギーに満ち溢れていますので、何をやってもうまくいく人です、具体的には

  • 性格が明るい
  • 失敗が少ない
  • 失敗しても人のせいにしない
  • 失敗しても立ち直りが早い
  • 人付き合いが上手い
  • 体調が良い
  • 周りに多くの人が自然と寄ってくる

性格が明るいと言うのは光明に満ち溢れた人であり、光が体の中から溢れているのですから、周りの人にも良い影響を与えますし、全てが明るいのは当然なのです。

活気の無い人

活気の無い人はエネルギーが不足しているか無くなっているので、何をやってもうまくいかない人です、具体的には

  • 性格が暗い
  • 失敗が多い
  • 失敗を人のせいにする
  • 失敗しても立ち直れない
  • 人付き合いが下手
  • 体調が悪い
  • 常に孤独である

性格が暗い人はエネルギーの無い状態ですので、「陰気」で人に接することのない孤独を好みます。明るい場所を嫌い、暗い場所を好みます。

「光明」を採り入れる

光明とは太陽の光であり、活気のある人は生活の中に光明を上手く取り入れています。

体の中にエネルギーを採り入れようと思ったら太陽を利用するのが一番です。

特に冬場は太陽光線に当たる機会が少ないので、積極的に当たるようにして、外を歩く時でもなるべく意識して当たるようにします。

紫外線に敏感な人でしたら直接では無くて間接的でも構いませんので、なるべく当たるように致します。

家の中でも日中でしたら全く日の当たらないところよりも、日の当たる所に近い方に居るようにして、カーテンを閉めて照明で明るくするよりは、レースのカーテン越しの自然の光で過ごすように致しましょう。

私達の体内には体内時計が備わっていますから、太陽の向きや角度を意識した時間の過ごし方をすれば、体の中に備わっていた大宇宙と繋がるための機能も復活します。

清浄な雰囲気を作り出す

光明を採り入れたり光明真言を唱えるにしても、家の中が散らかっていて不浄の場所があればエネルギーが吸い取られてしまい、最悪の場合にはマイナスのエネルギーにさえなってしまいます。

神仏をお祀りする寺院では御本尊様の浄土の世界を作り出すために清浄なる雰囲気を保ち、トイレなどの不浄な場所にさえ神を祀り、清浄なる雰囲気を保つ努力を惜しまないのですが、一般の家では厳格に実践することが難しいかもしれませんが、出来るだけ清浄に保つようにしましょう。

活気のある家で活気のある人になるためには清浄なる雰囲気作りも大切です。

散らかった物は綺麗に片付けて汚れた所は綺麗に掃除しましょう。

光明真言の活用法

自分の家はなるべく明るく、そして清浄を心掛けていても、私達は学校や会社に出かけたり、用があって外に出かけたりする機会があれば、外の世界は地獄、餓鬼などの六道の世界が入り混じっていますので、思わぬ所で何かに憑かれたり悪い影響を持ち帰ることもありますので、そういう時にこそ光明真言は役に立つのです。

護身用としての活用

お葬式に呼ばれたりお墓参りで墓地に行くような時には必ず光明真言を唱え続けましょう。

初めてい行く所やよく分からない場所に行く時でも有効です。

光明真言と併せて、葬儀の時に頂く「清めの塩」を使用しても有効です。

お祓いとお清め

霊感の強い人で何かに憑かれやすいような人や、行った場所の気を受けやすい人には特に有効です。

人に憑り付くような悪い物は、標的にしやすい相手を選ぶという特徴がありますので、気力の無い人や霊的なレベルの低い人は要注意です。

光明真言は自らの霊的なレベルを上げるための真言であり、大日如来の光明を発する真言ですから、低レベルの者が近づくことは出来ません。

光明真言の護符を持っていることも有効ですからお試しください。

光明真言の護符を作りましたので、紙にプリントアウトしてからどうぞお使い下さい、カバンや定期入れなどの中に入れる時にはビニール袋やパスケースなどに入れたら汚れることがありません。

スマホの画面にも使えると思いますので護身用にお使い下さい。

護符の所にカーソルを持っていき右クリックしてから「名前を付けて保存」して下さい。

光明真言護符のイラスト
光明真言の護符です、どうぞお使い下さい

気力を上げるための活用

気遣い、心遣いと言うように、気のエネルギーというものは、日常生活の中で知らない内にどんどん無くなっていくものであり、意識してためていく必要があります。

気力を上げるためにはマントラを唱える瞑想法の他に日常的に光明真言を唱える勤行が有効です。

護符を持ったり貼ったりすることも、気力を上げるためにとても有効です。

物事がうまくいかない時

長い人生の中で誰もが何をやってもうまくいかない時を経験するもので、本当に「ついていない」というしか他に方法が無いのですが、仏教的には原因があって結果があるだけのことで、何か悪い原因を排除するだけで劇的に好転するようなことも実際にあるのです。

物事がうまくいかない時には気力が下がっていることが多く、または悪い物に憑かれていたりするもので、こういう時にこそ光明真言の力を信じて一心に祈ってみることをおすすめいたします。

大日如来の大きな力が頂けるのなら、一生懸命に祈ってみる価値はありますし、何もかも忘れてただひたすらに祈ってみましょう。

神仏の世界に通じるためには何もかも忘れて祈ることはとても大切なことであり、私達が現代社会の中で身に付けた常識やルール、世渡り術など一切通用しない真実の世界の扉を開けるためには一心に祈る姿勢が大切なのです。

光明真言は自分で出来る修行法で毎日続けるものですが、困っている時には誰かに助けてもらいたくなるのが人情で、そういう時に限って霊能者に騙されたり、利用されたりで却ってひどい目に遭っている方もたくさんおられます。

何代前の先祖が悪いとか、過去世の悪事のせいだなどと言われても、多額のお金を払ってはいけません。

確かにそういう世界もあるのですが、低い世界の泥沼にはまるようなものです。

もっと高い世界に解決の道筋があるはずで、魂のレベルを高めるしか方法は無いのです。

自分のことを人に何かしてもらおうということ自体が間違いなのです。

光明真言には真実の力が隠されています、あなたも一度試してみませんか。

ここに書いてあることを実践してもダメだという方は私が無料相談しています、どうぞご利用下さいませ。

無料相談専用電話043-228-1480(朝9時~夜8時まで)