煩悩とは

煩悩のイラスト

煩悩とは仏教に於ける悟りを邪魔する人間の欲望のことで、煩悩を完全に消滅した先に悟りの世界があるのですが、煩悩は人間世界での様々な苦しみの原因になっていると説きます。

三毒とは

三毒とは人間が持つ最も根本的な煩悩のことで貪瞋痴(とんじんち)を根本原因とします。

煩悩は私達が本来持っている正しい心を壊してしまって悪に堕ちてしまうので「毒」という言い方をしています。

「貪」は貪(むさぼ)りの心で人よりもたくさん欲しい、人の物でも欲しいという気持ちのことで、欲しいという気持ちに支配されて人を傷つけても気が付かない程になってしまいます。

「瞋」は怒(いか)りの心で、絶対に許せない、仕返しをしてやるという気持ちのことで、怒りの気持ちに支配されて、他人に対して攻撃的になってしまい、小さなことでは喧嘩に、大きいことでは戦争になってしまいます。

「痴」は無智のこと、真実を知らない心、真実を知ろうとしない心で、いい加減な情報や嘘、デマなどの情報に振り回されて正しい判断が出来ない状態のことです。

百八の煩悩とは

除夜の鐘のイラスト

12月31日の大晦日の夜の日付が変わる前に、寺院では「除夜の鐘」と言って、百八の煩悩を消滅させるために、百八回鐘を突く習慣があります。

百八回鐘を突く理由は、私達の持っている煩悩の数が百八あるからだと言われていて、この百八の数には色々な言われがありますが、正確な理由は不明です。

暦から来た説

百八の煩悩が暦から来たという説は

  • 一年十二か月…12
  • 大寒・立春などの二十四節気…24
  • 二十四節気をさらに三つに分けた七十二候…72

12+24+72=108ということで、人間の煩悩は一年中何時でもあるからということによるそうです。

一年中何時でも湧いてくるのが煩悩なのです。

六根説

人間の感覚には

  1. 眼…眼で見る
  2. 耳…耳で聞く
  3. 鼻…鼻で臭いをかぐ
  4. 舌…舌で味わう
  5. 身…体で感じる
  6. 意…心で感じる

という六種類があって、五感と呼ばれる感覚(眼耳鼻舌身)と心の感覚(意)で六感になるのですが、物事に対しては

  1. 好き
  2. 嫌い
  3. どちらでもない

の三種類の感情を持ち、さらに

  1. 浄…きれい
  2. 不浄…きたない

の二種類の差別をしてしまい、さらに

  1. 現在
  2. 過去
  3. 未来

の行いがあって、それぞれに煩悩があるので全部で6×3×2×3=108の煩悩

ということになるそうです。

人間の感覚を満たそうとする欲求が煩悩なのであり、その感覚を時系列で表せば、常に煩悩が湧いてくるということです。

八万四千の煩悩とは

仏教ではそもそも「八万四千の煩悩」と言われ、それ程人間の煩悩の数は多いということですが、「八万四千」とは「(数えきれないぐらい)たくさん」という意味なのです。

煩悩を細かく細分化したところで人間は生まれてから死ぬまでの間に毎日毎日、その時々でたくさんの煩悩が出てきては消えを繰り返す訳ですし、人によって煩悩が違うのですから、実際の所はたくさんという表現で良さそうです。

「百八」という数字も実際には「たくさん」という意味合いがありますので、人間には元々数えきれない程のたくさんの煩悩があるという事で良いのではないかと思います。

煩悩は消し去る物

仏教では煩悩は悟りを邪魔するものだから消し去りなさいと説かれます。

簡単には消せない煩悩

煩悩は一旦満足したら消えるのですが、またすぐに湧いてくるという性質があります。

先ほどの三毒の「貪」について再び解説しますと、例えば趣味で集めているコレクションがあったとして、最初はあまりこだわりなく集めていても、やがてはちょっと変わった物が欲しくなり、やっと手に入った物をインターネットで公開したら、多くの人からすごい、素晴らしいの賞賛の嵐で嬉しくなり、気持ちが浮き上がるようなことを経験した人は多いことでしょう。

そうなれば、もっと褒めて欲しい、ちやほやされたい、人よりも良い物が欲しい、人が持っていない物が欲しい、自分だけが独り占めしたい、という煩悩地獄に堕ちてしまうのです。

しかし趣味というものは人生を豊かにするもので、仕事で少々のストレスがあったにしても趣味のおかげで乗り切ることが出来たとしたら、大いにプラスになることで、本来は安定した心を保つためのものです。

また趣味のおかげでたくさんの友達が出来たり、人間関係が広がったり、勉強することが出来たりすれば、心が豊かになります。

そういう意味で言いますと、煩悩は決して悪い物ではないことに気が付きます。

どうせ悟りなんか開けないし、開く必要なんてない、朝から晩まで瞑想ばかりするのは嫌だという人にとっては、むしろ煩悩があるからこそ人生楽しいのです。

煩悩は他人のために使おう

煩悩は欲望のことですが、私達は欲望を断ってしまったら会社でも勤まりませんし、家庭でも嫌われてしまいます。

仏教に目覚めたお父さんが家族に向かってたとえば「テレビは娯楽ばかりで煩悩ばかりを放送しているから捨てた」なんてことしたらどうしますか。

ましてや「テレビを見る時間があったら修行しろ」なんて言われたらもう一家離散です。

煩悩と言われるもののほとんどは自分のために使うもので自己満足だけで終わりです。

例えばおいしい物を食べようと思ったら自分一人だけで食べるのではなくて、家族と一緒に食べて家族の喜ぶ顔を見て満足することで煩悩の質が向上します。

そうです、同じ煩悩でもレベルを上げていけば煩悩ではなくて、慈悲の心になってくるのです。

全ての仏は自分のことを言わずに他の幸せを願っています。

全ての仏は他の笑顔を見て喜んでいるのです。

少しでも仏に近づこうと思ったら、他のと幸せを願う利他行がおすすめです。

利他行は仏教の基本であり、全ての仏が実践している行なのです。