貪りの心について

餓鬼道のイラスト

貪りの心とは人間の持っている欲望の中でも、欲深く物を欲しがることで、手に入れても満足できずに、何時までも欲しがる心のこと。

餓鬼の世界

私達が死後に生まれ変わり死に変わりするとされる六道の輪廻転生地獄餓鬼畜生阿修羅人間天界の六つの世界のことで、私達の行いの善悪によって生まれ変わるとされ、悪行ばかりしていた者は地獄に堕ち、その上には餓鬼の世界があるとされます。

餓鬼の世界は貪りの世界であり、生前中に人の食べ物を取ったり、独り占めして施さなかったりした人が落ちる世界とされます。

餓鬼の世界の住人は皆、栄養失調のためにやせ細って常に腹を減らし、食べ物を求めてうろつき、やっとありついて食べようとしても火が着いて燃え上がったりしますので、いつまでも満たされることがないのです。

また餓鬼同士でもお互いが食べ物のことで醜い争いをしていますので、安らぐということが決してありません。

三毒とは

三毒とは人間が持つ最も根本的な煩悩のことで貪瞋痴(とんじんち)を根本原因とします。

煩悩は私達が本来持っている正しい心を壊してしまって悪に堕ちてしまうので「毒」という言い方をしています。

「貪」は貪(むさぼ)りの心で人よりもたくさん欲しい、人の物でも欲しいという気持ちのことで、欲しいという気持ちに支配されて人を傷つけても気が付かない程になってしまいます。

「瞋」は怒(いか)りの心で、絶対に許せない、仕返しをしてやるという気持ちのことで、怒りの気持ちに支配されて、他人に対して攻撃的になってしまい、小さなことでは喧嘩に、大きいことでは戦争になってしまいます。

「痴」は無智のことで、真実を知らない心、真実を知ろうとしない心で、いい加減な情報や嘘、デマなどの情報に振り回されて正しい判断が出来ない状態のことです。

この中でも「貪」が貪りの心であり、私達が持っている根本的な煩悩です。

貪る人

私達の周りには良く見てみますとたくさんの貪る人が居ることに気が付きます

  • バイキングで食べきれない程の食べ物を持ってきて残す
  • 災害の時にいち早くスーパーに行き食料品を買い占める
  • 冷蔵庫に食料品をたくさん詰め込んで使いきれずに捨てる
  • たくさんあっても人に差し上げることなく腐らせる

貪ることは食べ物をガツガツと食べるだけではなくて、暴利を貪る、睡眠を貪るなどのように、飽きることなく続けることを言います。

お茶碗を箸で叩くと餓鬼が来る

私達の子供の頃には「お茶碗を箸で叩くと餓鬼が来る」または「ガタガタ音を立てて食事をすると餓鬼が来る」と言われたものですが、餓鬼というものはお行儀の悪い人の傍に居て、落ちたりこぼれたりしたものを拾って食べるそうで、マナーの悪い人は食事中にガタガタと音を立てながら貪り食うので、そういう音を聞きつけて餓鬼が来るのです。

貪りの結果は餓鬼道

買占め餓鬼

貪る人の行き先は餓鬼道しかありません。

餓鬼道に堕ちたら常に空腹の状態となり、餓鬼同士で食べ物の争いをしますし、何時まで経っても決して満足することがありませんので、苦しみの連続であり、朝から晩まで食べ物を探して回り、空腹で眠ることも出来ず、やっと見つけた食べ物でも、たべようとしたら火となって燃え盛るのです。

施餓鬼とは

施餓鬼とは餓鬼道に堕ちて苦しむ餓鬼や諸々の精霊に対しての供養をすることで、実際に食べ物を供え、寺院では日課として行ったり、お盆の行事として行うこともあります。

常に空腹の餓鬼であっても施された食物だけは食べることが許されているので、施すことにより、餓鬼に対して施しの大切さを知ってもらい、仏法に目覚めて救済されることを目的としています。

貪りの心を捨てる

貪りの心は誰にでもあるものですが、餓鬼の世界に堕ちてしまいます。

貪りの心を捨てるにはどうすれば良いのでしょうか。

施すこと

貪りの心の反対の心は「施す」心です。

施すとは人に差し上げることで、自分一人が満足するのではなく、ましてや人の物まで盗って満足するのではなくて、自らの満足を少なくして人に差し上げるのです。

餓鬼は施すことが出来ずに、奪い合いばかりしますが、施すことの有難さを知った餓鬼はやがて救われるからこそ、寺院では施餓鬼供養を行うのです。

施すことで相手が喜ぶ、その喜びを自らの喜びにすることが施しなのです。