目次
輪廻転生とは
輪廻転生とは六道と言われる地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、人間、天界の中で生まれ変わり死に変わりを繰り返すこと。
輪廻転生の由来
インドではヒンドゥー教以前の宗教としてのバラモン教で「五火二道」説が説かれていました。
「五火」とは五つの段階と言うことで、
- 火葬されて月に行き
- 雨となって地に落ち
- 植物に吸収されて穀物となり
- それを食べた男の精子となり
- 女との性交により胎児となりこの世に再生する
のです、そして「二道」とは二本の道のことで、
- 祖霊の道(輪廻)…死後は先祖の世界に行き、後に再び五火により人間界に戻る
- 神々の道…死後は神々の世界に行き、人間界に戻らない
死者の魂は月に行った後に雨と共に地上に降り注がれて植物に吸収され、それを食べた男の精子となって女性との交わりで胎内に注ぎ込まれて胎児になって、生まれてくるという「五火二道」説はやがて仏教の輪廻転生に繋がっていきます。
解脱について
釈迦は六道を輪廻転生する有情の姿を苦しみの連続の姿と捉え、その苦しみから離脱して安楽の境地に至るためには、悟りを得て解脱するしかないと修行を続け、ついに悟りの境地に達することが出来たのです。
釈迦は輪廻転生からの離脱を果たした時点で釈迦如来となり、有情の教化の道を歩み始めました。
解脱に至る道のりの第一歩は仏門に入って戒律を受けて戒名を頂いて出家者となり、修行と研鑽の日々を送ることです。
業(カルマ)について
業(カルマ)とは生きている時の「行い」のことで、善なる行いと悪なる行いとがあり、善なる行いをすれば善なる生まれ合わせになり、悪なる行いをすれば悪なる生まれ合わせになるということで、特にインドではカースト制度で生まれながらに身分が決まっているために、カーストの肯定のためにカルマの思想が使われているという指摘もあります。
仏教に於いても「自業自得」「因果応報」の基本は教義として説かれ、行いに関しては後に戒律としての発展を遂げます。
六道とは
有情と呼ばれる魂達は、六道の輪廻転生の世界の生まれ変わり死に変わりを繰り返します。
六道について
三千大千世界は仏教的な宇宙観ですが、私達が輪廻転生する六道の世界がすべて含まれた世界です。
地獄道
私達人間が住む世界は、鉄囲山に囲まれた四つの州の一つである贍部洲(せんぶしゅう)ですが、その地下には地獄があって、重大な罪を犯した者が死後に転生する所です。
地獄に堕ちるという捉え方と、地獄に生まれ変わるという捉え方があります。
その地獄にも罪の重さに応じて上から下までの段階があり、上から順に等活(とうかつ)地獄、黒縄(こくじょう)地獄、衆合(しゅうごう)地獄、叫喚(きょうかん)地獄、大叫喚(だいきょうかん)地獄、焦熱(しょうねつ)地獄、大焦熱(だいしょうねつ)地獄、阿鼻(あび)地獄となっており、下に行けば行くほど地獄で受ける苦痛が増します。
餓鬼道
物欲や食欲などの欲望が強く、他に対して施しをしなかった者が行く世界であり、常に飢えていて満足することが出来ずに他の餓鬼と奪い合いをして互いに傷つけあうことばかりしています。
餓鬼にも三つの種類があって、多財餓鬼、少財餓鬼、無財餓鬼があり、無財餓鬼になればいつも空腹であるが何も食べることが出来ずにいて、やっと食べ物にありつけて口の中に入れた瞬間に炎を上げて燃え出し、内臓を焼き尽くしてしまいます。
畜生道
畜生道は動物たちのことであり、自然界の中で暮らす動物は常に他からの攻撃に怯えながら生きていくことになり、智慧を積み重ねることが出来ない境遇なので、仏道の修行も出来ず、上の世界に行くことも困難な世界です。
修羅道
帝釈天は元々戦いの神であったのですが、同じ天界に住む阿修羅の娘シャチー(舎脂)に一目ぼれして連れ去ったことから、阿修羅は激怒して数多くの戦いを挑むも負け続け、最後には戦いの鬼となってしまったことから天界から追放されて、人間界よりも低い阿修羅界の住人となり、阿修羅界を支配するようになりました。
阿修羅は天界に居たにも関わらず怒りの心を静めることが出来なかったために阿修羅界の支配者になったのです。
人道
私達は須弥山の南にある贍部洲で暮らしていますが、須弥山には東西南北に島があって、それぞれの人間が暮らしているのです。
例えば北の倶盧州の人間は身長が16メートルほどで寿命は千年あるそうです。
しかし私達が住む贍部洲だけが仏が現れて、その教えを聞くことが出来るということで、仏が現れるのは贍部洲だけですから、その恵まれた環境に感謝し、仏道の修行を行いましょう。
天道
前世で多くの修行を積み、徳に優れた者が住む世界であり、寿命も長く、苦しみの少ない世界です。
しかしあまりに恵まれた世界であるためにその徳を楽しむばかりしてしまい、修行する者が少ないために、その徳を使い果たしてしまって次には低い世界に行ってしまう可能性が高いのです。
天界でも輪廻転生の姿である「四有」の内の「死有」が必ず訪れて、その時には
死有に近くなれば人としても老いの姿があり、天界の住人でも次のような兆候が出てくるそうです
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頭上の冠の華がしぼむ
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わき下に汗が出る
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衣装が垢じみて、みすぼらしくなる
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身威光を失う
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うつうつとして楽しめなくなる
最後には嘆き悲しみながら死んでいくのです。