修行とは

修行とは

修行とは仏道の悟りを目指して体と心を使って魂の浄化と向上を目指し、規則を守り仏道に励むこと。

仏教の修行

仏教の修行と聞いてすぐに思いつくのが滝行と座禅行で、滝行は修験道の行者が行い、座禅行は禅宗の僧侶が行うイメージが強いですが、実は宗派に関係なく行われている修行です。

どの修行法にも必ず作法というものがありますが、たとえば滝行は冷たい滝に打たれることにより穢れを落とすこと、滝に打たれながらひたすら祈ることにより精神を統一し、自我を無くすこと、自然や神と合一することなどを目指しているのであって、冷たい滝に打たれて只ひたすらに我慢し続ける我慢大会ではありません。

滝行の極意は冷たい滝に打たれ続けても寒さを感じないことで、そういう意味では修験道の行者が柴燈護摩の後に行う火渡りで、裸足で燃え盛る火の中を歩いても火傷することなく、熱さを感じない境地でもあります。

釈迦の修行

釈迦の成道

釈迦在世当時の宗教の修行法と言えば難行苦行が多く、立ったままで横になることの無い修行や、断食をして座禅を続ける修行などの体を痛めつけることで肉体の限界の先に悟りの世界があると考えられていました。

死の世界や魂の世界、神々の世界は私達の人知を超えたところにあり、生死を彷徨った人や死んだとされる人が死後の世界から戻ってきた時に不思議な力である神通力を身に付けることがあることから、難行苦行で死を乗り越えることは悟りにつながると考えられたのです。

まさに生きるか死ぬかの瀬戸際を超えた者しか味わうことの無い世界だとされたのです。

悟りに至る修行はただひたすらに耐える修行でもあったのです。

釈迦が悟りを開く前の段階でも釈迦は難行を続け、何も食べずに瞑想修行を続けていて、体は骨と皮だけになり果てていましたが、ナイランジャナー川で沐浴した後に村娘のスジャータから乳糜の布施を受けて体力を回復してピッパラ樹の下に坐して瞑想し、ついに悟りを得ることが出来て仏陀になったのです。

難行苦行が悟りに至る道だと信じられていたので、釈迦が村娘のスジャータから乳糜の布施を受けたことで堕落したと思われて付き人達は去って行ったそうです。

釈迦は最終的には難行苦行が何の役にも立たないことを悟りますが、釈迦の修行の道のりの中で無駄なものは一つも無かったはずです。

釈迦も耐える修行を続けていたからこそ、その先の悟りに到達できたのです。

菩薩の修行

六波羅蜜とは

菩薩とは完全に悟りを開いた如来になる前の修行を続けている者のことで、六つの修行を続けていて、その修行法のことを「六波羅蜜」と言います。

六波羅蜜の六つの修行法は

これらは当然功徳になり、その結果として如来になるのです。

六波羅蜜の修行は菩薩が悟りを得て如来になるような高度な修行で難易度が高いのですが、簡単な実践から高度な実践まであるということですから、簡単な実践を続ければ良いのです。

これらの修行法は菩薩だけの修行ではなくて、私達も出来る修行ですから、是非実践したいものです。

誰でも出来る修行

仏教の修行は難しくて難解なもの、真言宗の修業は支障が居ないと出来ない、などのことが言われますが、仏教というものは本来、皆が救われるべき教えであって、宗旨宗派によって様々な考え方があるものの、菩薩を含めた神々が全ての人の魂を救い上げるまで修行し続けているのですから、私達はそういった恩に報いるためにも修行する必要があるのです。

仏教の修行は実に奥が深くて私達凡夫が一生続けたところで悟りを得るには至りませんが、魂のレベルを高めていくことで徳を積むことが出来、死後の世界はもちろんのこと、現生に於いても豊かな実り多き人生を歩むことが出来るのです。

誰にでも出来る修行として「勤行」と「写経」「瞑想」そして「寺院参拝」をおすすめいたします。

勤行だけでも構いませんから、始めてみて下さい、きっと何かが変わり始めるはずで御座います。

誰でも出来る修行「勤行」

真言宗のお勤めに必要な物

真言宗の勤行は毎日続ける読経供養の修行で、自らの修行のため、或いは他を利するため、或いは亡き人の供養のためなどの目的を持って行います。

唱えると共に自らの行いを反省し、正しい方向に向かうための礎として心に刻みます。

勤行とは神仏や先祖に対する祈りであり、自らの魂を浄化するための修行でもあります。

勤行に説かれていることを実践するだけで仏教的な生活が出来るようになっています。

難しい理論や経典を学ばなくても、誰にでも分かる仏教の基本を濃縮されているのが勤行なのです。

勤行を実践すれば価値観が変わり、生活がとても豊かになります。

毎日唱え続けてその内容を考え、実践することに意義があり、修行そのものなのです。

目に見えない神仏や先祖の加護を得て魂の交流をすると共に、自らの魂のレベルを引き上げることによって、真実の世界に少しでも近づき、日常生活の中で正しい判断と実践をするための基本になります。

勤行の仕方の詳しい説明は…真言宗の勤行の仕方

誰でもできる修行「写経」

写経の歴史

写経は経典を書き写すことですが、供養や修行、勉学のためなどの理由で行われています。

書き写す経典としては「般若心経」が一般的で、写経の最後には願い事を書く欄がありますので、叶えて欲しい願い事を書きます。

心の修行のため、願掛けとして願い事を叶えるための修行になり、心を落ち着けて心の中を空にする、或いは願い事を祈りながら写経します。

写経の詳しい説明は…写経「般若心経」A4用紙版の無料ダウンロード

誰でもできる修行「瞑想」

瞑想のイラスト

瞑想とは心を静めて一点に集中すること、或いは無心になることで、私達の心は常にたくさんの情報で満たされて大切な事を失いがちですが、心を空にすれば今まで見えなかったことが見えてくるようになります。

瞑想の歴史は古く、宗教の世界でも瞑想法は大切な修行法とされ、悟りや神仏との合一などの真実の世界とつながるための修行法でもあります。

瞑想には様々な効果が認められることから、医学の分野や企業会社の生産性の向上などにも利用されています。

詳しくは…瞑想とは-効果と修行法

誰でもできる修行「寺院参拝」

四国八十八箇所霊場巡り西国三十三観音霊場巡りなどの有名な霊場を巡ることは巡礼と言いまして、神仏との御縁を頂き自分自身の心を見つめなおす修行の旅になります。

旅の途中で神仏に助けて頂いたり、人様の温かさに触れたり、大自然の雄大さを感じたりと、普通の旅行では味わえない御縁を感じられるのが巡礼の旅なのです。

巡礼とは基本的に祈りながら歩く旅ですから、旅とは言えとても大切な修行なのです。

巡礼にはそれなりの準備が必要ですが、身近にある寺院に参拝することは神仏を礼拝したり自然に触れたりする上で大切なことです。

最近では御朱印帳を持って「御朱印集め」を楽しんでおられる方もたくさん居られます。

寺院は仏法を身近に感じられる場所なのです。

やすらか庵でも書置きですが御朱印が御座いますのでどうぞ御利用下さいませ。

御朱印

どうしても叶えて欲しい願いがあるのなら「百度詣り」をしても良いでしょう。

百度参り

百度詣りとは寺社の入り口にある「百度石」と本殿との間を百回往復して祈願する方法で、普通のお参りの方法ではなく、どうしても叶えて欲しい願い事がある時に行う修行としてのお参りの仕方です。