釈迦如来とは

釈迦如来のイラスト

釈迦如来とは仏教の開祖であり、歴史上に実在した人物ゴータマ・シッダッタが修行して悟りを得て如来となった方です。

釈迦の生涯

お釈迦様と言われることが多い釈迦は古代インドの実在の人物ですが、寺院では仏さまとしてお祀りされ、人として仏になった最初の人なのです。

釈迦の生誕

釈迦は本名をガウタマ・シッダールタ(गौतम सिद्धार्थ Gautama Siddhārtha)と言い、コーサラ国の属国であるシャーキヤ国の国王シュッドーダナを父とし、隣国コーリヤの執政アヌシャーキャの娘マーヤーを母として生まれました。

白い象の夢

釈迦が白象になって胎内に入ってきた夢を見たマーヤーは間もなく懐妊し、出産のための里帰りの旅の途中で産気づき、マーヤーの右脇から生まれてすぐに七歩歩いて右手を上に、そして左手を下にして「天上天下唯我独尊」と述べたという話は有名です。

誕生仏のイラスト素材

母親の右脇腹から生まれ、すぐに七歩歩いたとか、「天上天下唯我独尊」と言ったなどは釈迦を偉人化するための後付けの話しだと思われますが、あまりにも普通と違いすぎますとやはり私たちは生まれつき悟ることなど無理と諦めざるを得ないのです。

しかしお釈迦様の生誕祭は甘茶祭り、花祭りなどと呼ばれて4月8日に寺院で行われていますが、お祝いするには素敵なエピソードだと思います。

灌仏会、花まつり、甘茶祭りとは

天上天下唯我独尊

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写真は私の師僧である小畑徹真の筆跡ですが、この短冊の裏には解釈が載っていて、それが素晴らしかったので紹介させて頂きます。

「人は、みんな上下などなく平等で、その命はかけがえなく尊く大切な存在である」

これはまさに毘沙門天信仰の真髄なのです。

しかしお釈迦様は生まれてすぐにこのようなことを言われるのなら、もう既に悟っておられる存在です。

母の死

出産を控えて里帰りの旅の道中にお釈迦様を生んだ母親のマーヤーは、急遽里帰りを諦めて帰路につきますが、体調を悪くしてしまって釈迦を生んだ7日後には亡くなってしまいます。

シッダールタと名付けられた釈迦は母であるマーヤーの死後はマーヤーの妹であるマハープラージャーパティらよって育てられることになります。

王子として

その後は父親であるシュッドーダナの後継ぎとしての期待を背負い、専用の二つの宮殿が設けられ、教育、文芸などのあらゆる教養を身に着け、16歳または19歳で母方の従妹であるヤショーダラーと結婚して一人息子のラーフラを設け、幸せな家庭を築きました。

しかし贅を尽くした宴会が毎日開かれて不自由の無い生活を送っていた釈迦は、そういったことに満足出来ないということに気が付いていたのです。

四門出遊

シッダールタは太子として不自由のない生活を送っていましたが、城という囲まれた世界の中だけでの生活に満足することが出来なかった釈迦はある日城の門から外に出てみます。

東門から外に出て最初に出会ったのは老人で、歳を取って体の自由が利かなくなり、活気を失ってしまい、人は皆いつまでも若くはいられないことを悟ります。

次に南門から外に出て最初に出会ったのは病人で、病気になって苦しそうにしていますが、人は皆病気になればくるしまないといけないことを悟ります。

次に西門から外に出て最初に出会ったのは死者を送る葬儀の列で、周りの人が皆悲しんでいますが、人は皆何時かは必ず死が訪れることを悟ります。

最後に北門から外に出て最初に出会ったのは一人の沙門で、世俗の苦や汚れを離れて修行している沙門の清らかな姿を見て出家の意思を固めました。

出家

王子としての安楽の生活をしながらでも心が満ちることがなかったシッダールタはついに29歳の時に王城を抜け出して出家し時の有名な修行者であるバッカバ仙人の苦行を観察したが、天界の境地では悟りに至らないと判断し次のアーラーラ・カーラーマに師事するも無所有処定の境地に満足せず、更にウッダカラーマ・プッタに師事するも非想非非想処定の境地で満足することは決してなかったのです。

彼らには後継者の座を提示されたにも関わらず全てを断ったシッダールタは、ウルヴェーラーの森に入って6年間様々な難行苦行を行い、最後に水と豆類などで何日も断食行を行うと、釈迦は骨と皮だけになってしまい、あばら骨が浮き上がるほどの極端な栄養失調状態になったことを憂いた村娘スジャータの乳粥の施しを受けた時に難行苦行の無益さを悟ったのです。

ウルヴェーラーの森での6年間は父のシュッドーダナがシッダールタの体を気遣い、5人の沙門を同行させて常に行動を共にするも、村娘スジャータの乳粥の施しを受けたことで釈迦が堕落したと思った5人の沙門はシッダールタの元を去っていきました。

悟り

35歳になったシッダールタはナイランジャナー川で沐浴した後に村娘のスジャータから乳糜の布施を受けて体力を回復してピッパラ樹の下に坐して瞑想し、ついに悟りを得ることが出来て仏陀になりました。

仏陀は悟りを得た人のことで、輪廻転生の輪を抜け出して如来の位になったので、釈迦如来とも言います。

悟りを得た釈迦はしばらくの間そこに座ったままで悟りの楽しみを味わい、更に場所を変えて悟りの楽しみを味わい続け、悟りの内容を人に伝えるべきかどうかを考え続けたが、やはり難解すぎて人に伝えることは無理と断念したのです。

梵天勧請

このことを知った梵天は釈迦に対して法を説くことを強く勧め、三度の勧請の末にようやく法を説くことを決意して説法の旅に出るのです。

かつての師匠であるアーラーラ・カーラーマとウッダカ・ラーマプッタに教えを説きに行くも既に死去した後であることを知り、共に苦行を実践した5人の沙門を訪ねて法を説き、やがて悟りを得て五比丘になりました。

法を説く

釈迦はワーラーナシーの長者ヤシャスやカピラヴァストゥのプルナらに法を説き、教団の教主であるウルヴェーラ・カッサパ、ナディー・カッサパ、ガヤー・カッサパの3人に法を説いて高弟の三迦葉になったことで釈迦の教団は大規模なものになりました。

その後はマガダ国の王ビンビサーラも帰依して竹林精舎を寄贈し、やがてシャーリプトラ、マウドゥガリヤーヤナ、倶絺羅、マハー・カッサパなども次々に改宗して教団は膨れ上がり、戒律などの規律も制定されるようになりました。

入滅

その後も釈迦の説法の旅は続き、80歳になった頃、ヴァイシャーリーにて托鉢を行い聖者の教えと神通力について説き、更にはバンダ村 に移り四諦を説き、さらにハッティ村 、アンバ村 、ジャンブ村 、ボーガ市 を経てパーヴァー に着いて戒定慧の三学を説きました。

釈迦はここで鍛冶屋のチュンダに法を説き供養を受けたが激しい腹痛を訴えてからはマッラ国のクシナガラの近く、ヒランニャバッティ河のほとりのサーラ樹の下で入滅しました。

釈迦の入滅を聞きつけて多くの人が訪れて嘆き悲しみ、動物までもが集まってきたそうです。

釈迦が弟子のアーナンダに残した最後の言葉は「アーナンダよ、あなた方のため私によって示し定めた「法と律」が、私の死後は、あなた方の師である」

釈迦如来の印と真言

釈迦如来は人として仏になった最初の人です、私達にも悟りの可能性を示してくださいました。

釈迦如来の印

釈迦如来の印には施無畏印、与願印、禅定印、説法印、触地印などがあります。

施無畏印

施無畏印のイラスト

右手を上げて手を開き指を伸ばし掌を見せる印です。畏れる心を取り除くための印です。

与願印

与願印のイラスト

施無畏印とセットになっていて、左の掌を下に下げます。人々の願い事をかなえて差し上げるという印です。

禅定印

定印のイラスト

阿弥陀如来と同じく、両手の指を伸ばして腹の前、組んだ足の上で掌を上に向けて左手を下に右手を上に重ね合わせ、両手の親指を触れ合わせた形、もしくは人差し指と親指で輪を作る印です。

瞑想をしている寂静の様子、悟りを表した印です。

説法印

説法印のイラスト

釈迦が説法をするときの印で、転法輪印とも言い、両手を胸の前で開いて親指と中指で丸い輪を作ります。親指と人差し指の時もあります。

触地印

触地印のイラスト

甲を向けて地面を触るように右手(左手)を膝の上に置いて下に垂らした印が触地印で降魔印とも言い、反対側の手は,腹の前で拳を握りしめます。

釈迦が悪魔に打ち勝って悟りを開いた時の印です。

釈迦如来の真言

釈迦如来の真言には小呪と大呪があります。

小呪

ノウマクサマンダ、ボダナン、バク

大呪

ノウマクサマンダ、ボダナン、バク、サラバキレイシャニ、リソダノウ、サラバ、タラマ、バシタ、ハラハタギャギャノウ、サンマサンマ、ソワカ

釈迦如来の御利益

釈迦如来は何と言っても人として初めて仏になった方で、私達にも悟りの可能性を示してくださった方であり、一人でも多くの人に対して正しい法を伝え、苦しみの世界から救い上げることに全力を注いだ方でありますし、永遠不滅の如来なので、私達の死後の世界も知り尽くし、是非とも救っていただきたいと願えば叶えてくださるのではないかという望みが十三仏の中にも組み込まれている理由なのです。

釈迦如来を信心すれば善悪の正しい判断が出来るようになり、正しい道へと導いて下さり、更には死後の世界でも私達の魂が迷わぬようにと導いて下さるのです。