竹林精舎とは

竹林精舎のイラスト

竹林精舎とは中インドのマガダ国の首都、王舎城(現在のビハール州ラージギル)郊外に建てられた最初の仏教寺院です。

竹林精舎の由来

当時は迦蘭陀(カランダ)長者が所有していた竹園でジャイナ教に対して与えていましたが、長者が仏教に帰依したことにより、長者は仏教の教団に寄付することになり、そこに頻婆娑羅(ビンビサーラ)王が伽藍を建立したことにより、仏教の最初の寺院、そして修行道場として使われるようになりました。

精舎とは

精舎(ヴィハーラ)とは雨季に出家修行者が集まって修行する場所のことです。

出家修行者は厳しい戒律を守りながら修行するのですが、戒律の中でも不殺生戒は、生き物を殺してはいけないと言う戒律で、重い罪になりますので、これを守るために出家修行者は歩く時には自分の前を掃きながら歩くという念の入れようで、水を飲むにしても虫が入らないように布で濾してから飲むのです。

雨季になりますと虫が湧いてきて歩いていても避けることが出来ないので、出家修行者は堂内に籠って修行しますが、このお堂の事を精舎と言うのです。

最初の仏教寺院

釈迦在世当時に寄進された竹林精舎は仏教では最初の寺院ということになります。

出家者の集団が生活し、修行する場所としての寺院は、教団が世界中に広がっていくための礎となったのです。

寺院があることで在家者と出家者の繋がりが出来て、在家者は出家者に対して布施をすることで功徳を積むことが出来るという関係が出来ていくのです。

釈迦が竹林精舎で説いた法は仏教の経典に多数登場することになります。

竹林精舎が出来てから

竹林精舎ができて間もなく、六師外道の懐疑論者サンジャヤの高弟であった舎利弗(サーリプッタ)と目連(モッガーラナ)の2人が兄弟弟子250人と共に釈迦に帰依し教団に加わりました。

当時最高の悟りを求めて修行していた宗教家は難行苦行を繰り返して一定の境地に到達し、それを悟りの境地として多くの信者を抱えていたのですが、釈迦が最高の悟りの境地に到達したことは誰もが認める事実となり、釈迦の弟子になる者が続出したのです。

竹林精舎で説かれた経典

毘沙門天の説法イラスト

竹林精舎で説かれたと言われる経典はたくさんありますが、毘沙門天功徳経もそのうちの一つです。

真偽の程は別として

  • 佛説毘沙門天王功徳経
  • 如是我聞 一時仏在王舎大城竹林精舎
  • 与大比丘衆 千二百五十人倶

釈迦が竹林精舎に居る時に1250人の弟子の前で阿難の質問に対して説いたとされます。

途中で毘沙門天が出て来て毘沙門天信仰功徳に付いて説くという展開になっています。

釈迦は竹林精舎で弟子達に対してよく説法をしていたという仏法が説かれた場所でもあるのです。