命日とは

死後の意成身

命日とは人が亡くなった日のことで反対語は誕生日とされますが、仏教では命の始まりの日を母体に生命が宿った日とします。

従って人が生きていた期間とは命が母体に宿った瞬間から命日までのことです。

始まりと終わり

祇園精舎の鐘

諸行無常」とは「この世には永遠に続くものは何もない」という意味で釈迦悟りの内容ですが、この世に存在するものは私達も含めて必ず始まりと終わりがあるということで、もっと言えば始まりと終わりを繰り返しているという循環の法則があるのです。

輪廻転生も命の生まれ変わり死に変わりを説く循環の法則であり、我が国古来の信仰である家の死者が50年或いは百年経って守り神になり、やがてまた生まれ変わって来るという信仰もまた循環の法則なのです。

そういう意味では命の終わりはまた次の始まりであり、魂のように永遠に続くものが新しい体をまとって生まれて生命を全うするまで生きて、やがて命の終わりの時には古い体を脱いでまた旅立っていくのです。

釈迦はこの循環の法則から抜け出す方法を説いているのですが、その方法は簡単なことではないことを過去の歴史が証明しており、釈迦に続く仏が次々と誕生することは困難なので、せめて死後は良い世界に行き、生まれ変わって来る時には良い世界に生まれてくることを望むか、他力本願、つまり阿弥陀如来の救済力にすがり続けるかのどちらかしか無いのです。

命日は過去の人の記念日

魂

誕生日は自分の誕生日としての記念日ですから、生きている限り毎年やってきますが、命日は死んだ日になりますので、この世に於ける自分の命日というものは無く、命日とは過去の御先祖様の亡くなった日のことです。

供養と言うものは全て過去の亡くなった人達のためにすることですから、何故死んだ人のために供養などしなければいけないのかという素朴な疑問が起こるのは当然のことで、誰もが皆自分の生きる事だけで精一杯なのですから、死んだ人のために使うお金など無いという人もたくさん居るのです。

お金に恵まれる秘訣

貧者の一灯

神仏やご先祖は全て目に見えない存在なので、そんなものに時間やお金を使っても無駄だ!という人は神様・仏様・御先祖様を信じない人で、別に信じなくても普通に生きていくには全く問題ありません。

神様・仏様・御先祖様を信じる人でケチケチしない人、神様・仏様・御先祖様のためにお金を遠慮なく使う人は使った以上のお金が不思議と入ってくるのです。

私もお金と時間を随分と神様の為に使わせて頂きましたが、不思議と貧乏ではありますが困った時には必ず助けて頂いています。

お金持ちになる秘訣は「神様・仏様・御先祖様のために時間とお金をどんどん使え」なのです。

自分のためだけに時間とお金を使う人のことを自己満足または利己主義と言い、神様・仏様・御先祖様はあまり応援してくれませんが、世のため人のために使うのなら神様・仏様・御先祖様はどんどん応援して下さるのです。

お金は貯める物ではなくて使うものなのです。

更には「長者の万灯より貧者の一灯

お金持ちがお金に任せてたくさんの立派な灯明を布施するよりも、自分の生活をも切り詰めて差し出したお金の無い貧者が差し出した、たった一つの灯明の方が尊いのです。

心の豊かさは幸せそのものであり、幸せはお金では買えないのです。

命日にすること

御蔭のイラスト

関西では「月命日」と言いまして、毎月の故人の命日には僧侶が家に来て読経供養する習慣があります。

亡くなった月日が同じ日を「祥月命日」(しょうつきめいにち)と呼び、年に一回やってきます。

年忌法要の時には法事と言う形で供養をしますが、法事ではない「月命日」や「祥月命日」の時にはその方の位牌仏壇の特別な位置に配置するか過去帳の該当部分を開くなどの配慮をし、ちょっと贅沢な御供え物をして、可能であればお墓にもお参りしてみましょう。

命日とは命の記念日、命が終わって旅立つ記念日ですから、やがて必ず自分もこの世から旅立つ時が来るのですから、自分も良い旅立ちが出来るようにとの願いを込めて亡き人達を供養して差し上げましょう。