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戒名授与とは
戒名授与とは仏門に入って戒律を守る者に対して釈迦の弟子になったという事で師僧から仏弟子としての新たな名前を授けられることです。
戒名の由来
戒名はお釈迦様の弟子として仏門に入った証として頂くものであり、仏門に入るということは、仏の世界の中で生きていくための新たな名前を付けて頂くことなのです。仏の世界に新たに生まれ変わったと同じことなので、新しい名前が必要なのです。
本来は生きている時に釈迦の弟子として名前を頂き、戒律を守りながら仏道に入りますよという意味での戒名なのですが、出家することの無い在家の身で守るべき五戒でも
という戒律がありますが、仕事の都合で上司に嘘の報告をしたり、会社が終わってストレス発散のために飲みに行ったりなど、たった五つの戒律ではありますが、どれも中々守れそうにないものばかりです。
私達は生きている間は欲望に溺れ、たった五つの戒律さえ満足に守れないのです。
しかし死んだ後には欲が無くなるから、その時に仏門に入って修行すれば良いというのが死後に頂く戒名でありますが、真っ暗闇の世界に放り出されて何をしてよいか分からない時に、僧侶が死者の枕元で枕経の作法をして仏門に導き、一筋の光明を示して引導して差し上げる、その第一歩としての戒名なのです。
授けた戒名を位牌に書いて本人の魂に知らせて差し上げるのが位牌の役目なのです。
我が国には死者の魂をお祀りするという習慣があり、死者の魂が天から降りて来る依り代としての位牌が仏教の形で存在しているという説明の方が分かりやすいかもしれません。
いずれにせよ位牌は亡き人の姿を思い描いたり、対話したりして、死者との交流をするための礼拝の対象ですので、ある意味とても大切な役割があるのです。
位牌はもっと親しみが持てるものであるべきです。
いくら立派な戒名をもらって立派な位牌を作ったところで、何もしないのであれば、最初から作らないことです。
作るのでしたら、死ぬまで大切にしましょう。
故人を偲ぶために、そして供養のために、そして感謝するために位牌は作るもので、手を合わせる礼拝の対象としての位牌なのです。
更に詳しく…戒名と戒律
戒名の御布施(値段)や相場は?
戒名を付けるのに特別に本山からの許可申請をもらうとか、役所に届けるなどの手間がかかることはありませんし、僧侶が葬儀の前に来てその場で決めるということが多いので、何かの特別な手間がかかっているとは思えません。
戒名にはランクがあり、分かりやすく言いますと上・中・下のようなものですが、寺院の側からすれば特上・上・普通・お気持ち、とした方が聞こえが良いのもので、「皆さん普通はこのランクの戒名にされます」との妙に納得できる「普通」ランクが必ずあり、お金が無い人に対しては「お気持ちで結構です」という救済措置が必ずあるものです。
戒名料の値段の相場は全くありません、本山からの指示もありませんし、一つ一つの寺院が独自に決めることで、数万円から数百万円まであるものですが、基本的にはランクにより低額の戒名も選べるようになっているはずでございます。
しかしながら世の中で実際に問題になっているのは、高い戒名を一方的に押し付けたり、「お気持ちで結構です」と言いながらお布施の中身を見てダメだと言う僧侶が居ることです。
お気持ちというものは差し出す人の気持ちで決まることですから、「お気持ちでどうぞ」と言ったのなら、その内容についてはお任せしますという意味なので、不平不満を言ってはいけないのです。
檀家を持って運営している檀那寺では、運営の費用を全てお布施や御供で賄っていますので、 戒名料が大切な運営費になっていることは事実です。
僧侶というものは出家して神仏に仕え、檀信徒の幸せを祈る仕事ですから、昔から在家の者がその生活を支えるという仕組みで成り立っているのですが、「神仏に仕え、檀信徒の幸せを祈る」という仕事が満足になされていない僧侶がお布施と言う名目でお金ばかり請求することで寺院離れが進んでいるという現実もあるのです。
戒名は見栄に使うべからず
戒名のランクは死後の勲章みたいに扱われる一面があり、立派な業績を残した人には立派な戒名が付けられるという事実があります。
戒名をもらう立場として
戒名を頂く側からすれば、墓石にも刻まれますし、位牌にも刻まれますので、家柄を表すようなもので、見栄を張るために高い戒名を選んでいるという現実もあります。
今の時代は少なくなりましたが、男の子供の結婚するお相手の女性の家柄や評判を近所や親戚などに確かめに行く「聞き合わせ」という風習がありましたが、要するに結婚するのにふさわしい相手であるかということを、近所の評判や家柄などで判断しようということで、その際にはお墓も必ず見に行って亡くなった方の墓標や戒名なども見たそうです。
立派な戒名が付いている先祖が並んでいれば良い家系だということでスムーズに縁談が進むのです。
戒名をつける立場として
戒名を授ける側からすれば、安い戒名で良いという施主に対して、「これまでのご先祖様が皆このランクですから、せめてこれ位にしておかないと」とか「故人様は立派な方でたくさんの方が参列されますから、せめてこれ位にしておかないと」などのような言い方をして、なるべく高い戒名を付けてもらえば、それだけ寺院の収入につながります。
しかし実際には、仮に先祖が皆「院居士」の戒名にも拘わらず「居士」や「信士」の戒名を頂いたにしても、死後の行く世界が違うということは決してありません。
極楽浄土にも高い低いがあるようですが、高い戒名をつけてもらったから高い世界に行き、低い戒名なら低い世界に行くというようなことはありません。
但し戒名を勲章みたいに思うのであれば、今まで立派な勲章を差し上げていたのに、急に止めてしまったらこれまでと比較されて気の毒ですよ、ということでしょうか。
戒名というものは、あれば極楽に行けるとか、無いから地獄に堕ちるということではありません、ましてや信士だから普通の浄土で、院居士だから極楽浄土のようなことはありませんし、あってはならないことでございます。亡き人に対して、何か精一杯のことをして差し上げたいとか、これまでのご先祖の位牌が仏壇にあるから、作って差し上げたいと思う気持ちがございましたら、大切にしてください。
位牌とは
位牌とは亡き人の戒名や俗名、没年月日、享年などを刻んだ木の札の事で、礼拝の対象とするものです。
位牌の由来
位牌とは亡き人の戒名を書いて祀る木の札の事で、中国の儒教にルーツがあると言われています。
儒教では故人の生前の位官や姓名を書いて祀るという習慣があり、日本には宋代に禅僧が中国から伝えたとされるが、庶民に一般化するのは江戸時代以降になります。
仏教での先祖供養として位牌が使われるのは江戸時代に檀家制度が敷かれてからのことになりますが、それでも身分の高い人が寺院で供養してもらうための位牌でした。
位牌の役割
位牌は亡き人の霊の依り代になるもので、霊が降りて来る物としては山、大木、巨岩などの自然物であり、木から作られた位牌を祀ることによって、亡き人との心の交流をしたり、亡き人の加護を得たりします。
開眼供養とは
開眼供養とは神仏像に神仏の魂を入れたり、位牌に亡き人の魂を入れたりすることで、新しく購入した時に僧侶や神官にしてもらう宗教儀式です。
開眼供養の役割は
木彫りの神仏像が新しく出来たにしても開眼供養していなければ単なる観賞用の神仏像であり、土産物屋やデパートで販売している神仏像でしたら応接間に飾っておくだけで、線香を上げたり礼拝する必要はありません。
しかし礼拝用として、或いは信仰の対象としての神仏像でしたら神仏の魂が入っていなければ拝んでいても通じるようなことはありませんので、新しく出来た時には必ず開眼供養をします。
また必要性が無くなった時や壊れた時などには閉眼供養した上でお焚き上げ供養します。
開眼供養をもっと詳しく…開眼供養とは
位牌の開眼供養
位牌は新しく作った時に必ず開眼供養をして、亡き人の魂を入れることにより、礼拝の対象になります。
開眼供養は僧侶がする仕事ですが、本来は位牌に魂を入れるなんて仏教の教義では有り得ないことですが、先祖供養という土着の信仰における神官の代わりとして行う儀式なのです。
位牌が亡き人の霊の依り代として使われている以上、開眼供養をしていなければ只の木の札なのです。
位牌のお焚き上げ供養
位牌は33年或いは50年お祀りすれば必要が無くなりますので、閉眼供養の上でお焚き上げ供養するのが丁寧な方法です。
やすらか庵でのお焚き上げ
位牌は亡き人が天から降りて来る依り代なので、使い始めの時には必ず開眼供養しています。もし不要になったような場合にはやすらか庵のお焚き上げ供養を利用しましょう。
やすらか庵ではお位牌は毎日読経供養させて頂きますし、閉眼供養した上でお焚き上げ供養いたしますので安心でございます。
そんなに大きな位牌でなければレターパックプラスで送るお焚き上げ供養料は3千円でございます。