戒名とは

戒名とは

戒名はお釈迦様の弟子として仏門に入った証として頂くものであり、仏門に入ることの条件として戒律を守ることを誓い、仏門の中で生きていくための新たな名前を付けて頂くことなのです。新たに生まれ変わったと同じことなので、新しい名前が必要なのです。

戒名の書かれた位牌は亡き人の魂の依り代として礼拝の対象になります。

葬式仏教

我が国では葬式仏教と言われるように、法事、葬式が寺院にとっての重要な収入源であることから、戒名もまた寺院にとっての大切な収入源になり、ランク付けされてランクが高くなればなるほど高額な御布施が必要になります。

仏教の本来の役割は生きている人の苦しみを取り除き、楽を与えることですが、我が国での仏教は亡くなった人の供養ばかりしていて、結婚式は教会で、葬式は寺院でと言われるようになりました。

葬儀の時に寺院に支払うお布施があまりにも高すぎると問題になりましたが、戒名もまた葬儀での寺院の御金儲けと非難されることがあり、葬式仏教の弊害でもあります。

高い御布施が必要なランクの高い戒名は、最初からもらわなければ良いのでしょうけれど、頂く方の立場としても故人が立派な人だったという証として、墓石に彫り込んだ時に自慢できるような開見様が欲しいという人が居ることも事実です。

戒律を守ること

本来は生きている時に釈迦の弟子として名前を頂き、戒律を守りながら仏道に入りますよという意味での戒名なのですが、出家することの無い在家の身で守るべき五戒でも不殺生戒(生き物を殺さない)、不偸盗戒(盗みをしない)、不邪淫戒(浮気、不倫をしない)、不妄語戒(嘘をつかない)、不飲酒戒(酒を飲まない)という戒律があり、どれも中々守れそうにないものばかりです。

しかし戒律を守ることを条件に頂けるのが戒名ですから、仏門に入って戒律を守りながら修行するという気持ちがないといけません。

在家の五戒とは

在家の五戒とは在家の人が守るべき五つの戒のことです。

不殺生戒

他の人を殺さないことはもちろんの事、生き物を殺さないという意味であり、自分が殺さないというだけではなくて、間接的にも関わらないことが不殺生戒であり、厳密に言いますと例えば肉を食べるにしてもブタや牛などの生き物を殺して食べる事に間接的に関わっているのですから、不殺生戒を守るためには肉を食べないということになります。

また生き物という意味では虫も生き物であり、私達が害虫として殺虫剤をかけるゴキブリやノミ、ダニなどもそうですが、歩いている時に気が付かない内に無数のアリを踏んでいたりするものです。

インドでは宗教的な理由で肉を食べないベジタリアンの方が多く、肉だけでは無くて牛乳や卵も採らない方もおられます。

高野山では山上の宿坊寺院に宿泊しますと肉や魚を使わない精進料理が出てきますし、僧侶になるための修行中の食事は精進料理です。

不偸盗戒

不偸盗戒は盗みをしない事であり、人の物やお金を盗んだりしてはいけませんし、権利やアイデア、時間などの抽象的な物も含まれます。

散々自分為に時間を使わせておいて最後に裏切ることは時間泥棒です、会社の同僚のアイデアを盗んで自分の物にしてしまうことも泥棒です。

不邪淫戒

不邪淫戒は夫や奥さんがいるのに他の人に浮気、不倫することで、分からなければいいと思って隠していても立派な戒律違反です。

不妄語戒

不妄語戒とは嘘をつかないということで、仏教徒は真実を語り、真実を求めます。嘘をつきますとその嘘を隠すためにさらに嘘をつくようになり、正しい道から外れてしまいます。

不飲酒戒

不飲酒戒は文字通りお酒を飲まないということで、お酒を飲んだら正しい判断が出来なくなるからです。

しかしお酒が好きな人にとってはこの不飲酒戒が最も厳しい戒律であり、どうしても守れない方もたくさんおられますが、僧侶にしてもお酒の事を「般若湯」(はんにゃとう)であってお酒ではないと言って飲んでいる人が居ますが、般若湯とは智慧を授かる薬という意味で、お酒を飲むための方便なのです。

お酒は少しなら体に良い薬であるとか、飲まれるのはいけないが嗜むのは良いとか、いくらでも言い訳はあるもので、それでも戒律として存在するのは仏になるための究極の目標なのであり、仏の境地からすれば酒の心地よさなど、永遠には続くことの無い一瞬の幻なのです。

戒名の役割

生きている時には戒律を満足に守れないからと、死んだ後に仏門に入って修行すれば良いというのが死後に頂く戒名であり、本末転倒なのですが、亡き人が仏門に入って修行して仏になっていくのに必要な名前であり、亡き人がこちらの世界を離れて仏の世界で真面目に修行しているのですよ、ということを認識するのが戒名なのです。

いずれにせよ戒名と位牌は亡き人の姿を思い描いたり、対話したりして、死者との交流をするための礼拝の対象であり、霊が降りて来る依り代としての機能もありますので、ある意味とても大切な役割があるのです。

戒名は仏教を考える大切なきっかけ

戒名が仏門に入る人に授けられる釈迦の弟子としての名前だということが分かったら、亡き人の戒名をきっかけとして戒律を守ることの大切さについて考えてみて下さい。

そして自分でも戒律を守るように努力してみて、仏弟子になることの難しさや尊さを実感してみて下さい。

戒律を守ることを続ければ、善悪の判断が明確になり、悪いことが出来なくなると共に、失敗することが少なくなり、人に対しての説得力も付くようになり、日常の生活や仕事の中で困難に直面した時にでもうまく乗り越える事が出来るようになります。

戒名は仏教を考える大切なきっかけになってくれるはずです。

戒律を守ってみよう

私達が日本の国に住んでいて、法律を守りながら普通に生活していると同様に、仏教徒は普段の生活の中で戒律を守ることが定められています。

在家の五戒であっても厳密に守ることは困難ですが、戒律を守ることが全てでは無くて、戒律を守ることから修行が始まるのですから、常に意識して守ること、そして戒律の一つ一つの意味を掘り下げていくことを毎日実践すれば、別に守っているという意識が無くても守っているようになるのです。

戒律を守る目的は

戒律を守ることは修行僧にとって当たり前のことで、何も意識しなくとも守った上で次なる修行があるのですから、普段の生活の中では戒律自体には特別な目的がある訳ではありません。

戒律を守ることで心が静まって、正しい判断が出来るようになり、修行をしても邪念が入らなくなるのです。


戒名についてもっと知りたい方は…戒名の宗派による違い