高野山について

高野山地図

高野山は和歌山県伊都郡高野町にある標高約800mの平坦地で、平安時代に弘法大師空海が嵯峨天皇から下賜された修禅の道場で、ユネスコの世界遺産に登録されています。

壇上伽藍

壇上伽藍

高野山の壇上伽藍は一般寺院で言うところの本堂に当たる区域であり、弘法大師が真言密教の曼荼羅の思想に基づいて設計され、大塔、金堂、御影堂、不動堂などの建物が建ち並びます。

大塔

根本大塔

真言密教の根本道場としての日本で最初に建てられた多宝塔で、空海が816年(弘仁7)7月に高野山開創の勅許を得たのち建立に着手して、弟子の世代になって没後約半世紀で完成したものの、落雷や火災などを繰り返し、現在の建物は昭和38年完成で48.5mの高さを誇ります。

曼荼羅の胎蔵界と金剛界を一つに融合した「金胎不二」の思想を可視化して実現した立体曼荼羅にっなています。

金堂

金堂

伽藍の中央にあって高野山の総本堂であり、重要な行事のほとんどが個々で執り行われます。本尊は薬師如来で秘仏とされていますが、高野山開創1200年の行事に合わせて開帳されました。

不動堂

不動堂

建久9年(1198年)、鳥羽上皇の皇女・八条女院を願主として創建された不動堂は14世紀初頭(鎌倉後期)に高野山・一心院谷(いっしんいんだに)に建立されましたが、明治32年(1899年)に国宝に指定されてからは明治41年(1908年)に解体修理、現在地に移築されました。

御影堂

御影堂

弘法大師空海が住んでいたとされる堂で建物で、如意輪観音を安置し、弘法大師が常に念誦していたので、念誦堂、持仏堂と言われています。

空海入定後に弟子実恵が真如法親王筆の弘法大師御影像を安置したことから御影堂と言われています。

奥之院

奥之院

壇上伽藍とともに高野山の二大聖地であり、一の橋から弘法大師御廟までの約2kmの参道には約20万基を超える諸大名の供養塔や慰霊碑などが樹齢700年を超える杉木立の中に建ち並び、高野山信仰の拡がりと歴史を感じることが出来ます。

お大師様の傍に納骨を…高野山奥の院納骨(分骨)のご案内

ベタベタと化粧されたお地蔵様…奥之院の化粧地蔵

金剛峯寺

高野山金剛峰寺

高野山真言宗の総本山で、国の史跡であり世界遺産。

高野山全体の宗務が行われ、高野山真言宗管長が住職に就任するしきたりになっています。

大主殿、別殿、新別殿と分かれていて、境内にある「蟠龍庭」(2,340m2)は日本最大の石庭です。

大門

大門

高野山の総門であり聖域としての結界のシンボルで、門の左右には金剛力士像が安置されています。1705年再建、国の重要文化財、世界遺産。

徳川家霊台

徳川家霊台

寛永20(1643)年に三代将軍家光が建立した江戸幕府初代将軍徳川家康と2代将軍秀忠を祀る霊台です。

大師教会

大師教会

高野山真言宗の布教活動の中枢となる建物で、本尊には弘法大師、脇仏には愛染明王と不動明王が安置されています。

大正時代建立の講堂で、高野山真言宗の布教、宗教舞踊などの総本部で、受戒体験・阿字観指導・講演会・定例布教などに使われている。受付で申し込めば誰でも菩薩十善戒を授けられます。

高野山霊宝館

霊宝館

大正2年開設の高野山の寺宝の保管と展示を目的とする宝物館で、国宝や重要文化財などを保有しています。

中門

中門

大門が高野山の総門であるのに対して中門は伽藍を結界するための門であり、天保14(1843)年の火災で焼失していましたが、高野山開創1200年の記念事業として172年ぶりに再建されました。

刈萱堂

刈萱堂

奥之院の入り口付近に位置する刈萱堂は、石童丸物語の哀しい話で知られる刈萱道心(かりかやどうしん)と石童丸ゆかりのお堂です。

高野山に出家した父親に会いに麓の学文路(かむろ)まで来た子の石童丸は、高野山が女人禁制のために母を残して、石童丸だけが入山しました。
そこで出会った修行中の僧(苅萱道心)に、いつわりの父の死を告げられ、学文路に戻るがすでに母は他界。高野山に戻って出家し、実の父とは知らずに苅萱道心について厳しい修行を積んだという伝承があります。

高野山の歴史

高野山は空海によって真言密教の修行道場として開創された宗教都市です。

  • 816(弘仁7)年…空海、高野山下賜を上奏し、嵯峨天皇より勅許が下る
  • 892( 寛平4)年…度山の慈尊院「弥勒仏坐像」(国宝)造立
  • 994(正暦5)年…高野山大火
  • 1086(応徳3)年…金剛峯寺「仏涅槃図」(国宝)完成
  • 1117(永久5)年…金剛峯寺「金銀字一切経」(国宝)書写
  • 1145(久安1)年…金剛峯寺「善女龍王像」(国宝)開眼供養
  • 1149(久安5)年…高野山大火
  • 1156(保元1)年…金剛峯寺「両界曼荼羅図(血曼荼羅)」(重文)
  • 1223(貞応2)年…金剛三昧院「多宝塔」(国宝)を建立
  • 1401(応永8)年…伽藍西塔炎上、新御塔、文殊楼、本経蔵、正智院一切経蔵に類焼
  • 1464(寛正5)年…高野山大火
  • 1486(文明18)年…金剛峯寺「諸尊仏龕」(国宝)付属「銅製厨子」製作
  • 1521(永正18)年…高野山大火、全山壊滅状態となる
  • 1594(文禄3)年…豊臣秀吉が高野山を参詣し、生母大政所の三回忌追善法要
  • 1599(慶長4)年…奥の院「経蔵」(重文)建立、金剛峯寺「高麗版一切経」(重文)を奉納
  • 1599(慶長4)年…正智院「高麗陣敵味方戦死者供養碑」建立
  • 1599(慶長4)年…清浄心院「佐竹義重霊屋」(重文)造立
  • 1604(慶長9)年…蓮花院松平秀康及び同母霊屋(付属宝篋印塔7基)」(重文)造立
  • 1622(元和8)年…天徳院「天徳院庭園」(国の名勝)造園
  • 1630(寛永7)年…高野山大火
  • 1690(元禄3)年…落雷により大門炎上
  • 1691(元禄4)年…千手院萬精院より出火、安養院まで延89か寺全焼
  • 1792(寛政4)年…奥之院護摩堂より出火、焼失
  • 1809(文化6)年…南谷から出火し、中門、勧学院一帯類焼
  • 1843(天保14)年…高野山大火
  • 1863(文久3)年…金剛峯寺「青厳寺本殿」(県指定)再建
  • 1869(明治2)年…青厳寺・興山寺を合併して金剛峯寺と号す、 11月3日 高野山に神仏分離通達
  • 1870(明治3)年…西院如意輪寺、南谷南院焼失
  • 1872(明治5)年…興山寺全焼
  • 1879(明治12)年…千手院寂静院、普賢院、金剛頂院など焼失
  • 1882(明治15)年…自性院他2か寺、谷上蓮金院等全焼
  • 1884(明治17)年…高野山とその周辺の13か字が合併して高野村。高野山大火
  • 1888(明治21)年…高野山大火
  • 1910(明治43)年…持明院全焼
  • 1911(明治44)年…龍泉院、泰雲院、徳善院全焼
  • 1915(大正4)年…高野登山鉄道が大阪の汐見橋から橋本まで開通
  • 1919年(大正8)年…高野口駅より椎出間を乗合自動車運行
  • 1923(大正12)年…金剛峯寺木屋炎上、4月2日 正智院全焼、4月16日宝善院焼失
  • 1925(大正14)年…大阪高野鉄道が橋本から椎出まで延長。 九度山から紀伊神谷間登山バス運行
  • 1926(昭和元)年…伽藍金堂炎上
  • 1928(昭和3)年…高野鉄道、高野下~神谷(紀伊神谷)間開通
  • 1929(昭和4)年…高野鉄道、神谷(紀伊神谷)~極楽橋間開通
  • 1930(昭和5)年…高野鉄道、極楽橋より山上までケーブルカー開通
  • 1932(昭和7)年…大阪より高野山まで電車直通。一乗院全焼
  • 1938(昭和13)年…正智院より出火、庫裡全焼。明王院裏山崩壊、本堂及び位牌堂大破
  • 1940年(昭和15)年…五坊寂静院全焼
  • 1946年(昭和21)年…金剛峯寺を総本山とする高野山真言宗設立
  • 2015年(平成27)年…高野山開創1200年記念式典、中門落慶