高野山中門とは

高野山中門の写真

高野山の伽藍にある中門は高野山入り口にある大門に対して伽藍の入口を守る門であり、819年(弘仁10年)に創建されたと推定されますが、以後は消失と再建を繰り返し、現在の中門は8代目に当たり、2015年(平成27年)に再建されました。

高野山中門の四天王

高野山中門の増長天の写真-その1

高野山中門の四天王は今ちょっとしたことで有名になっていますが、何と四天王の胸にトンボとセミが止まっているのです。

四天王とは仏国土の四方を護る天であり、東西南北を担当しています。

  • 東方-持国天
  • 南方-増長天
  • 西方-広目天
  • 北方-多聞天

一般的な寺院の門の左右には仁王(金剛力士)と言われる守護神が配置され、一体は口を開いた阿形(あぎょう)、もう一体は口を閉じた吽形(うんぎょう)をしていますが、高野山の中門では門の中に四天王が配置されています。

高野山中門の四天王の配置については次のようになっています。

  • 正面から見て右-多聞天
  • 正面から見て左-持国天
  • 裏から見て右-広目天
  • 裏から見て左-増長天

高野山中門の四天王の中でも多聞天と持国天は1843年の伽藍に於ける火災の時に中門は焼け落ちるのですが、幸いに運び出されていて、伽藍の西塔と根本大塔に安置されていました。

そして2012年に大仏師松本明慶(まつもとみょうけい)によって多聞天と持国天の解体修理が施され、その二体に合わせて増長天と広目天が新造され、2015年(平成27年)4月に完成して開眼供養が行われました。

大仏師松本明慶

高野山中門の多聞天と持国天の解体修理、そしてその二体に合わせて増長天と広目天の新造を依頼された大仏師松本明慶は1945年(昭和20年)京都生まれで慶派に属するとされる椿井仏所の流れを汲む仏師です。

京都市西京区に工房を持ち、2006年(平成18年)、京都市上京区に松本明慶佛像彫刻美術館が開館しました。

増長天とは

高野山中門の増長天の写真-その2

増長天とは仏国土の四方を守護する四天王の中でも南方を守護する守護神であり、梵名をヴィルーダカと言い、成長或いは増大した者という意味であり、鎧兜を着て手には戟(げき)を持ち足に邪気を踏む姿が一般的です。

増長天とトンボ

高野山中門の増長天のトンボの写真

高野山中門の増長天の胸にはトンボが停まっていますが、これは「断じて悪を許さない、後ろに引かない」ということを意味しているそうです。

仏像は手の持ち物や着ている衣服、飾り、組んでいる印などで仏の性格を表していますが、まるで胸飾りのように取り付けられたトンボは数ある仏像の中でも類を見ないもので、作者である大仏師松本明慶のちょっとした遊び心のようですが、高野山全体が曼荼羅世界を表現しているとしたら、虫も仏も曼荼羅世界の一員であることを示しているのではないでしょうか。

トンボは素早く飛び回って害虫を捕まえることから、四天王としての外敵を防いで安全を護るということにつながり、前にしか進まず、後ろに下がらないことから、不退転の精神を表すので、トンボの姿や刺繍は武士の甲冑などにもよく使われたという背景もあるのかもしれません。

高野山中門に行こう

高野山中門は高野山の伽藍にありますが、意外と気付かずに通り過ぎてしまいます。

トンボの停まった増長天とセミの停まった広目天は今話題になっていますので、是非とも立ち寄りたい場所です。

中門の場所

高野山中門の案内地図

高野山中門は根本大塔や金堂などの主要な建物が並ぶ伽藍の南側に有りますが、根本大塔や金堂などは見ても中門を見ないという方は多く、せっかくですから増長天のトンボと広目天のセミだけは話のタネになりますから、必ず立ち寄りましょう。

拝観料などについて

高野山中門は無料です、写真も自由に撮影できます。

門の上に登ったりすることは出来ませんが、四天王は是非見ておきましょう。