豊かさとは

豊かさのイラスト

豊かさとはお金や物に恵まれて衣食住に不足なく、心が満足している様子のこと。

戦後の日本

戦争

第二次世界大戦での敗戦日である昭和20年8月15日を境にして日本国民は敗戦という事実をバネにして皆が一丸となって貧乏に耐え、身内の者を失った苦しみを乗り越えながら努力を続けて今の豊かな社会を築いてきました。

戦前戦後の物の無い時代には食料不足が深刻で、栄養失調の子供が多く、戦争に勝つためには「欲しがりません勝つまでは」という共通のスローガンのもとで耐えることが美徳であり、国のためであるという教育が為されていたのです。

私の父親でさえ子供の頃に芋ばかり食べてきたから今はもう食べたくないと言っていましたので、当時の人は皆、余程辛い思いをしたことでしょう。

私の生まれ故郷である長崎では原爆投下によってその被害で市内が焼け野原になってしまい、多くの人の命が一瞬のうちに奪われて、重度の火傷で瀕死の重傷を負った人達が「水をくれ」と言いながら血と油の浮かぶ川に降りていき、たとえ少量の水を飲むことが出来たにしてもバタバタと倒れて死んでいったのです。

長崎では放射能の影響で今後50年は草木が生えないとまで言われましたが、今はそういった悲惨な事実をすっかり忘れてしまう程に緑豊かな街になっていますが、皆が戦争の悲惨さを忘れた頃にまた同じことを繰り返そうとしているのは人間の愚かさなのです。

豊かさの歴史

肉食のイラスト

人間が本来持っている物欲というものは、人類の長い歴史から見れば狩猟採取時代には如何にして食料を採取して、場合によっては備蓄出来るかという生存をかけた工夫の歴史であり、生きるための食料として動物や植物、昆虫などを毎日獲りに行くものであり、たくさん獲れることもあるけれど全く獲れない時には空腹を我慢するしかないので、木の実や果物、或いは干し肉など少しでも蓄えがあることが豊かさにつながったのです。

農耕時代になると米を備蓄してさえいれば一年中食料に困ることがありませんので、少しでも多くの米を備蓄するようになり、村としての共同生活でコメを生産して多く備蓄することにより村全体の豊かさになっていたのです。

米を多く作るための道具として鍬や鎌、包丁などの鉄器があれば効率的に生産出来ることから、大陸から伝わった鉄器の技術は瞬く間に全国に広がりましたが、青銅器や鉄器の伝来は村同士の戦いに使われる武器としての歴史でもあり、村として力を付けて多くの米を備蓄し、他の村からの略奪に対して村人を守っていくためには武器をたくさん持っていることもまた豊かさの象徴となったのです。

現代では国家として平和であれば集団としての豊かさよりも個人としての豊かさが優先され、お金さえあれば食べ物に困ることもありませんし、世界中のグルメも満喫出来て実に豊かな生活を享受出来る時代です。

物の豊かさ

求不得苦のイラスト

現代社会は物質文明であり経済社会ですから、あると便利な物をたくさん持っていることが豊かさであり、物を買うことが出来るお金を持っていることが豊かさにつながります。

今の時代はお金をたくさん持っていれば自分の好きな物が自由に買える時代なので、お金をどれだけ持っているかが豊かさの尺度であり、それは物をたくさん持っていることとして目に見える形となっていますので、たとえば私達が友人の家に招待された時に大きな家でたくさんの高価な物が置いてあるのを見たら、何と豊かな生活をしているのだろうと思うことでしょう。

たとえば家電製品、お掃除ロボットがあれば勝手に掃除してくれるのでお掃除の手間が省け、自動食器洗い機があれば洗い物の手間が省けて楽になり、浮いた時間で映画を見たりゴルフの練習が出来たりしますので、お金や物をたくさん持つことによって、如何に趣味や娯楽などに自由な時間を持てるかが豊かさの基準になります。

時間とお金という意味では海外旅行にたくさん行ける人や高級車を何台も持っている、豪邸に住んでいるなどのことも物の豊かさの基準になってきます。

心の豊かさ

読経呼吸法のイラスト

身体が健康でありたくさんの物を持っていて快適な生活をしていても心の満足感が得られずに悩み苦しむ人は多く、人から羨ましがられるような贅沢な生活をしている人であっても本当に信頼出来る人が居なかったり、家族が崩壊していたりという事がいくらでもあるのです。

仏教の開祖である釈迦は本名をガウタマ・シッダールタと言い、コーサラ国の属国であるシャーキヤ国の国王シュッドーダナを父とし、隣国コーリヤの執政アヌシャーキャの娘マーヤーを母として生まれ、王子として幼少時より全く不自由の無い贅沢な生活を送っていたのですが、そのような幸せが永遠に続くものではないこと、そして真の幸せではないという事に気付き、家族を捨て王子の身分を捨てて出家する道を選んだのです。

真の幸せとは決して崩れたり無くなることのない不滅の幸せであり、物がたくさんあっても、立派な身分があっても心が満足出来ないなら幸せになることが出来ないのです。

毘沙門天の説く豊かさ

毘沙門天

毘沙門天は「」と「金」と「時間」を廻す神であり、人間世界で真に幸せに生きていく方法を説いています。

私達が悟りを目指すには出家して戒律を守り修行する必要がありますが、在家にあって出家者を支える者も必要であり、在家の者は人として幸せになることを目指せば良いのです。

「命」と「金」と「時間」の全てが豊かになることが幸せになる秘訣です。

命の豊かさ

人としての幸せ

私達の命は御縁を通して頂いた頂き物ですから、決して無駄に駆ることなく、大切に使うことが命の豊かさです。

そして人間世界では自らの命だけではなく他の命も大切にすることが幸せの秘訣で、結婚にしても命の御縁があっての繋がりであり、子供にしても夫婦の命を次の世代に繋げていく宝物なのです。

人として生まれたことに感謝し、家族を大切にし、先祖を敬い、先祖から受け継いだバトンの重さを感じながら、自らの使命を全うすることによって命が豊かになります。

金の豊かさ

お金の豊かさ

お金は自分の楽しみのためだけに使ってはいけません。

御札と書いて「おさつ」とも「おふだ」とも読むのは、元々お金というものが神々に捧げるためのものであって、神々から頂いたお下がりを使わせて頂いてるのですから、人を幸せにするために使うものなのです。

最も身近な他人は家族なのですから、家族を幸せにするためにお金を使いましょう。

お金は使えば使う程廻るものであって、巡り巡って戻ってくるものですから、貯めるばかりしていても誰も喜んではくれませんし、戻ってくることもありません。

家族に限らず他を幸せにするためにお金を使えばお金が豊かになるのです。

時間の豊かさ

時間のイラスト

時間は一日二十四時間、誰もが平等に持っていて、自分の思い通りに自由に使うことが出来ますので、有意義に使うことも出来ますし、何もしなくて只ぼんやりしていても過ぎて行ってしまいます。

毘沙門天は命と金と時間を廻す神なのですが、時間を廻すことについて説明致します。

時間は地球が太陽の周りを回っていることを基準にして決められていますので、太陽が昇ってから沈むことを毎日繰り返していることが循環であり、時計の針のように時間は廻っているのであって、その時間を使う私達もまた時間を廻せば良いのです。

時間を廻すためには自分の時間を自分のためだけに使うのではなくて、家族の幸せのため、人の幸せために使うのです。

災害時のボランティアもそうです、困った人を助けて差し上げるのもそうです。

他を幸せにするために時間を使えば時間が豊かになるのです。

貧乏でも心だけは豊かに

貧乏神は神である

毘沙門天王功徳経は毘沙門天の功徳が書いてあり、毘沙門天を礼拝する勤行で使われる経典ですが、その中には「衆苦の源は貧苦にしかず」という内容があり、皆が苦しむ原因は貧しい事であると説かれています。

貧乏と言っても物が無い貧乏ではなくて、心が貧しいことがいけないと説くのです。

たとえ物が無くても家族の中で互いに思いやる心を持ち、不満を言うのではなく、感謝の心を持ち続けることによって心が豊かになり、幸せになることが出来るのです。

貧乏になって人を恨んだり不平不満ばかり言う人は神仏の加護を得ることが出来ませんが、たとえ貧乏でも感謝の心を持つことが出来る人は神仏の加護を得ることが出来るのです。