悩むとは
悩むとは物事を決めきれなかったり、解決できなかったりして思いわずらうこと。
どうしよう
人が悩んでいる状態を一言で表せば「どうしよう」で、何をしたら良いのか分からない状態のことです。
人は考え事などがあると、そこで行き詰って思考が止まってしまい、何も出来なくなってしまいます。
何も出来ないからこそ、自分がどうしたら良いのか分からず、行動出来ないのです。
人によっては部屋の中に閉じこもったまま、外に出ることが出来なくなってしまいます。
苦しい
悩んでいる状態はとても苦しいもので、心も体も辛くなってしまいます。
病気や怪我でないにも関わらず悩むことは苦しいもので、真剣に悩めば悩むほど苦しさの度合いが増すのです。
この苦しみは時間が経てば収まるものではなくて、病院に行っても解決しないし、薬を飲んでも効きません。
悩みの原因
釈迦は私達人間には四苦八苦という苦しみが次々と襲い掛かって来て、人生は苦しみの連続であると説きましたが、生きていればもちろん楽しいこともたくさんあるけれど、苦しみから逃れることは出来ないと説いたのです。
人生の苦しみから逃れるには悟りを得ることで解決し、苦しみに満ちた六道の輪廻転生の世界から離れて如来の世界に行くことが出来るのですが、悟りを得るには出家して多くの戒律を守り朝から晩まで毎日修行するなど簡単なことではなくて、釈迦以外に到達出来る人は少ないことから、私達は所詮苦しみの世界の中を旅する旅人であることを自覚しなければいけません。
生きていることは修行
何事も無く平和に穏やかに過ごしていたいと思っていても、計画していたことが予定通りにいかなかったり、突然の不幸や事故などで人生が狂ってしまうこともあり、他の人が皆幸せそうにしているのに、何故自分だけがこんなに苦しまなければいけないのだろうかと思ってしまいます。
生きていることは修行だと言われても自分から好んで修行している訳でもないのに、出来ることなら逃げ出したいとも思うのです。
しかし元々私達はこの世に於いて修行するために生まれてきたのであり、人生なんて楽しいばかりではないと思っていれば、悩みや苦しみもまた与えられた修行だという前向きな考え方が出来るのです。
私達が修行する目的は自分の苦しみを取ることではなくて、人の苦しみを取って差し上げるためであり、人の苦しみを取り除くことが功徳となり、その功徳を積み重ねることで自分の苦しみが取れるのです。
そして私達が修行するもう一つの目的は苦しみを取り除いて差し上げた人に楽を与えることでその人を救うことが出来、その功徳によって自分にも楽がやってくるのです。
人の苦しみを取り除いて楽を与えることを仏教では「抜苦与楽」(ばっくよらく)と言うのです。
正しい判断
私達が悩むことの原因は正しい判断が出来なくなってしまっていることです。
常に正しい判断が出来る人は迷うことが無いからです。
正しい判断を身に付けるためには毎日の勤行や写経、瞑想などの修行がとても役に立ちます。
神仏に対する御奉仕行や霊場巡りなども魂の向上に役に立ちます。
悩みの対象を捨て去る
たたとえば恋愛の悩み、大好きな彼氏に新しい彼女が出来て突然別れの宣告をされて、地獄の底に落とされたような気持ちで毎日泣いてばかり、こんな時には彼のことばかり考えて何も出来なくなってしまいます。
新しい彼女に対しての嫉妬心や自分の不甲斐なさなどの気持ちが堂々巡りで悔しくて仕方ありません。
一緒に居ると楽しかった彼氏を突然奪われるのですから、家の中に泥棒が入られて大切な物を持って行かれたような空虚感が漂います。
しかしそういう浮気な彼氏と一緒に居たとしても幸せになれないのが世の中の法則であり、そういう事実を知ることにより、傷が浅い内に分かれることが出来て良かったと、更には必ずもっと幸せになって見返してやると思うことで心のスイッチを切り替えるのです。
悩みの対象が元カレだとしたら、自分を不幸にするような人のことは早く忘れて捨て去ってしまうことです。
悩みからの脱出
悩んでいる時には誰にも相談できずにどうしても一人で悩むものです。
誰かに相談するにしても本当に自分の事を思ってくれる人は中々居ないものです。
相談する相手を間違えると、益々迷路に入り込むことになったり、間違った解決にたどり着くこともあります。
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