忘れるとは

忘れるイラスト

私達の生活は毎日の経験による脳への記憶の積み重ねで成り立っていて、記憶は人生を豊かにすることに繋がりますが、私達の脳には記憶出来る容量に限りがあり、必要の無い記憶を消し去って忘れることによって脳のバランスが保たれています。

忘れ物

持ってくるのを忘れた物を忘れ物と言いますが、どうでも良い物を忘れたのなら、後から何とか対応が出来ますが、大切な物を忘れてしまって大失敗することもありますよね。

必要な物を持ってくるのを忘れたら困るもので、雨の予報だったのに傘を忘れた時にはもう、濡れて帰るしかありません。

学校での忘れ物は誰でも経験することですが、自宅の机の上に置いた宿題を忘れた、持ち帰って洗濯した体操服を忘れた、などのことは、持って行こうと思っていても、朝寝坊してバタバタしていたら、出掛ける時に忘れてしまうのです。

買い物に行ったら財布を忘れた、車の運転をするのに免許証を忘れたなど例をあげればきりがありません。

大切な会議のために必死の思いでまとめあげた資料を持ってくるのを忘れた…このような忘れ物は、恥をかいた上に折角のチャンスを台無しにしてしまいます。

忘れ物をしないためには

  • 予め準備をしておく
  • 紙に書く
  • 予定表につける
  • 声をかけてもらうように誰かに頼む

などのことをしておけばかなりの効果があります。

いずれにしても行動を始める時の集中力が必要で、心の中でシミュレーションしておけば何が必要かが分かってきます。

ちょっとした手間で面倒なことではありますが、紙に書いて必ず見る場所に置いておくことが、おすすめの方法です。

そのためには不要になった紙を切って、付箋のようなメモ帳にしておけばかなり活用出来ます。

デジタルの情報よりはアナログの情報の方が訴えかける力があります。

物忘れ

分からないのイラスト

人間というものは「忘れる動物」であると言われているそうですが、脳が成長している若い時には勉強していろんな知識を身に付け、勉学や仕事に活かして豊かな生活を送っていても、やがて歳を重ねて高齢者の域に差し掛かると同時に脳の萎縮が始まって物忘れがひどくなり、覚える事よりも忘れることの方が多くなってしまいます。

物忘れは若い時でも起こることで、人の名前が思い出せない、言われたことを忘れてしまった、昨日のことが記憶にない、などで失敗したり、日常生活に支障が出るようになってしまいます。

世の中には生まれつき天才と言われる人が居て、一度聞いた話を忘れない、人の顔と名前をいくらでも覚えているような人は大変に羨ましい限りなのですが、凡人として生まれた者としては、聞いた話はすぐに忘れるし、人の名前が中々思い出せないのです。

修行僧が膨大な数の経典を暗記して読誦するために記憶力を増大させる修行法として「虚空蔵求聞持法」が知られており、大宇宙智慧を体得している虚空蔵菩薩真言を御堂に籠って100日間で100万遍唱えるという荒行により、無限の記憶力が得られると言われている修行です。

普通の人には中々出来ない修行ですが、虚空蔵菩薩の真言を唱える事で真言に含まれているエネルギーと波長が大宇宙のエネルギーと波長に一致した時に大宇宙との一体化が実現するのですから、少なからず得られるものがあるはずです。

大宇宙からの智慧というものは神々との対話の中でも頂けるもので御座います。

しかしながら凡夫の身である私達にとって無限の記憶力が得られる修行法など無縁のものであり、一日一日を生きていくだけで精一杯なのですから、失敗したことや悪い結果になってしまったものは、すぐに忘れてしまった方が得であり、釈迦悟りの内容である煩悩の消滅を実現するためにも、何時までも同じことに執着するのではなくて、すぐに忘れて捨て去ることが大切です。

痴呆症

老人ホームのイラスト

痴呆症の特効薬はありませんし、症状が進むばかりで自分の事を忘れ、そして家族のことさえ忘れてしまうようになるのは、家族にとって辛いもので御座います。

更には暴言を吐かれたり暴れたりするようになりますと、家の中の人間関係が滅茶苦茶になって、家庭崩壊にまで繋がってしまいます。

痴呆症で何もかも忘れてしまっても、生きているのに変わりはありませんので、病気を責めることなく、病気なのだから仕方がないと割り切って、それでも何時ものように接して差し上げるしかないのです。

痴呆症の症状が進めば日常生活に支障が出るようになり、徘徊、興奮、暴力などの症状として現れるようになり、自分が困るだけではなく周囲の人に迷惑を掛けてしまうようになります。

痴呆症は本人にはその自覚がなく、加齢による物忘れとは違い、病気として治療する必要があります。

記憶が人生を豊かにするものだとしたら忘れることは人生を不幸にするものと考えられていますが、果たしてそうなのでしょうか。

忘れることは悪い事?

忘れてしまって困ることはたくさんあります。

  • あの人は以前に会ったことがあるが誰だか思い出せないし、改めて聞くのは気が引ける
  • 友人と約束した内容がよく思い出せない
  • 本屋さんで気に入った本を見つけて買ったけれど、以前買っていた本と同じだった
  • 家の鍵を閉めるのを忘れたような気がする
  • 台所の火を消したかどうか思い出せない

忘れてしまったことを何時までも考えたり、思い出すことばかり気を取られて何も出来なかったりすることはありませんか?

人と話をしていても、人や物の名前がすぐに出てこないと思い出すばかりに気を取られてしまいますと、話をすることが次第に苦痛になってきます。

人と話をして楽しいと思うのは、自分と共通した部分があることで、同じ価値観であったり同じ趣味であることですが、話が合う部分で自分が詳しい知識を持っていれば相手から尊敬されるでしょうし、自分の知らないことを相手が知っていたら詳しく知りたいと思うものです。

忘れてしまうことは苦痛の種になりますので、苦しみを生み出してしまうという意味では忘れることは悪い事かもしれません。

記憶の正体

私達の五感

私達が生きている間の行動や身体で感じたことは全て潜在意識の中に記憶されていて、絶えまなくビデオで録画されたような状態で潜在意識の中に書き込まれています。

但しその記憶はあまりにも膨大な量なので、簡単には引き出すことが出来ませんが、高齢になってから突然幼少期の記憶を思い出したり、時には寝ている時の夢の中に映像として出てくることもあります。

一生を通して蓄積された記憶は死んでしまったら終わりという見方もありますが、生前中に為した行いは死後に裁かれる時に使われ、輪廻転生し続けると言われている魂に刻まれて旅をし続けるとも言われています。

しかし私達が死んだ時には所有していた物や肉体、記憶などは他人から見たら消え去っていくものであり、苦労して取得した資格や学んだ技術、豊富な知識などはあっさりと消え去ってしまうのですから、死んでしまえば無くなるようなものにこだわること自体、愚かなことかもしれません。

忘れる事

貧者の一灯

多くの知識を知っていることは良いことですが、他人と話をしていて自分の方が正しい、相手が間違っていると気が付いた時に、怒りの感情が湧いてきたり、相手の方がより多くのことを知っていたら嫉妬の感情が湧いてくることがあります。

怒りや嫉妬の感情は相手に対する攻撃や争いにつながることが世の常で、こうした小さい争いが大きな争いにつながってしまうのです。

どうでもいいような情報をたくさん仕入れて自慢する人よりも、何も知らないけれど感謝の一日を過ごすことの出来る人の方が幸せであることに気が付かなければいけません。

知識というものはたくさんあると自己満足になってしまうことがあり、常に他人から賞賛して欲しいと思い、自分より優れている人に対しては邪魔な存在だと思うのです。

人間歳を取って来れば忘れることが多くなってきて、知識の範囲がどんどん狭くなってきますが、忘れてもくよくよしてはいけません。

忘れても忘れても、それを肯定的に捉えて、忘れることは良い事だと自分に言い聞かせ、明るく生きることが大切なことで、幸せで前向きに生きる方法を仏教では智慧と呼ぶのです。

私達は脳の中に不要な情報をたくさん詰め込んで、減らさないように、少しでも増やすようにと毎日努力していますが、不要な情報がたくさんありすぎるからこそ本当に必要な情報が埋もれてしまうのであって、不要な情報は一度全部捨ててしまって空にすることでリセットされ、本当に必要な智慧がどんどん入ってくるようになるのですから、意識的に忘れるということをするのが仏教の修行法です。

瞑想する時にでも頭の中に浮かんでくる日常の事象に対して、気にしない、消し去る、忘れることで空っぽの状態にしておけば雑念の無い真実の世界が見えてくるのです。