怒りとは

怒りの心

私達の日常生活の中ではイラつく、ムカつく、頭にくる、なんていうことは日常茶飯事、怒りの感情は常にこみあげてくるものですが、これはほとんどの場合相手に対する感情の表現であり、相手の態度が気に入らない、思い通りにしてくれないなどの結果として怒りが爆発するのです。

三毒とは

三毒とは人間が持つ最も根本的な煩悩のことで貪瞋痴(とんじんち)を根本原因とします。

煩悩は私達が本来持っている正しい心を壊してしまって悪に堕ちてしまうので「毒」という言い方をしています。

「貪」は貪(むさぼ)りの心で人よりもたくさん欲しい、人の物でも欲しいという気持ちのことで、欲しいという気持ちに支配されて人を傷つけても気が付かない程になってしまいます。

「瞋」は怒(いか)りの心で、絶対に許せない、仕返しをしてやるという気持ちのことで、怒りの気持ちに支配されて、他人に対して攻撃的になってしまい、小さなことでは喧嘩に、大きいことでは戦争になってしまいます。

「痴」は無智のこと、真実を知らない心、真実を知ろうとしない心で、いい加減な情報や嘘、デマなどの情報に振り回されて正しい判断が出来ない状態のことです。

怒りは煩悩です

怒りの感情は仏教的には煩悩であり、消しても消しても次々と湧いてくるものです。

  • 相手が気に入らないことをした
  • 悪口を言われた
  • 暴力を振るわれた
  • 嘘をつかれた
  • 騙された
  • 自分を低く見られた
  • 物を盗られた、壊された

など私達の身の回りには怒りの材料はいくらでもあるもので、職場に居ても上司の態度が気に入らない、学校に居ても友達からいじめられるなど、私達の常にストレスになるように怒りの感情を持ち合わせているのです。

不瞋恚について

不瞋恚とは腹を立ててはいけない、自分を見失ってはいけないということで、身(体の行い)、口(口で発する言葉)、意(心で思う事)の規律である仏教の十善戒の中で、意業(心で思う事)に関する規律の一つです。

仏教では心を静めて正しく物を観ることを説きますが、怒りや恨みは心の灯が燃え盛って冷静さがなくなり、自分を見失ってしまうことで、正しい判断が出来なくなるのです。

そういう意味では怒りは心の中がメラメラと燃え盛った状態であり、怒りは火に喩えられますが、周りを焦がしてしまい、何もかも焼き尽くしてしまいます。

心を冷静にして鎮めることは正しく真実を観るために必要なことなのです。

怒りはエネルギー

怒りは本来消し去るべきものですが、人間界には向上心を持つための大切なエネルギーであったりします。

例えば勝負の世界でも負けた者にとっては、負けて悔しいからこそ、勝って喜ぶ相手に怒りがこみ上げてきて、今度こそ負けるもんかという向上心につながるのです。

受験で落ちるようなことがあったにしても、本当に悔しいからこそ、もし受かっていればと思うからこそ、もう一度挑戦してみるのです。

私達の世界では確かに向上心は必要ですが、私達の上の世界である天界では、毘沙門天は怒りの煩悩の象徴である邪鬼を踏むことによって怒りを抑え、その怒りのエネルギーを悟りのエネルギーに変えることを説いているのです。

暴力で相手は変わらない

気に入らない相手を変えさせようと思っても無駄なことです。

人の気持ちを無理やり変えようと思っても、絶対に変わりません。

ましてや怒りの気持ちに任せて暴力で相手を変えようと思っても無駄なことです。

暴力はますます相手の気持ちを引き離してしまいます。

相手を変えようと思ったらまずは自分が変わることで、自分が変わってしまえば相対的に相手が変わったことになるのです。

気にしない事

怒りというものは気にすれば気にするほど大きくなる性質を持っていますが、気にしなければ自然と収まります。

何故なら怒りは最初から心の作用だからです。

心から生じたものであれば、気にしない事、これが一番の方法なのです。

忿怒尊について

忿怒尊とは怒りで衆生調伏する役目を持った尊格で、密教における五大明王が忿怒尊になります。

忿怒尊の怒りとは

お焚き上げ供養で悩んだら

密教における金剛界五智如来が、それぞれに教令輪身として姿を現したのが五大明王であると言われ、大日如来の化身と言うことになりますが、明王は大日如来の命を受けて仏教に反する衆生を調伏(ちょうぶく)するために現れるのです。

調伏しにくいような衆生に対して力づくでも引き入れるようにと、様々な武器を持ち、恐ろしい顔と激しい姿の忿怒の相をしているのです。

忿怒というものは必然的に恐怖を感じるもので、巨大な忿怒尊が武器を振り回して追いかけて来られたら誰もが逃げまどい、最後には観念するのですが、仏法に於いて言うことを聞かない人は必ず居るものですが、真実の世界に引き入れるというのが仏の役目だとしたら、恐怖心を抱かせることによって仏の世界に引き込むのが忿怒尊の役目なのです。

五大明王とは

五大明王

五大明王は大日如来の化身として、不動明王を中心として東西南北それぞれの方角を守護します

北方の守護者は真言宗では金剛夜叉明王、天台宗では烏枢沙摩明王となっています。