いじめとは

いじめのイラスト

いじめとは相手に対して精神的、肉体的に苦痛を与える行為のこと。

いじめは犯罪です

相手に対して直接暴力を振るうことはもちろん犯罪ですが、言葉の暴力などで相手を深く傷つけて病気になってしまったり、自殺に追い込むようなことも犯罪です。

相手に「死ぬ」と言っただけで勝手に自殺したのだし、暴力は振るっていないから罪にはならないと思ったら大間違いで、直接的に手を下さなくても、仏教的には殺生の罪に変わりはないのです。

たとえ小さないじめであっても、これくらいなら問題無いと思っていても相手の心や体を傷つける行為は犯罪行為ですから、してはいけないことです。

肉体的ないじめ

肉体的ないじめは暴力のことで、暴力を振るうことはいかなる理由があっても許されることではありません。

暴力を振るって相手を傷つけることや、暴力を振るうぞという脅し、他人を使って暴力を振るわせる、集団で暴力を振るうなどのことは全て許されることではありません。

学校に於いて教育の一環としてという理由の暴力もいけません。

家庭内に於いてしつけのためという理由の暴力もいけません。

精神的ないじめ

「死ね」「消えろ」などの言葉によるいじめは相手に対して深い心の傷になって残ります。

カバンや靴を捨てたりゴミ箱に入れる、隠す、壊すなどの行為は悪質な嫌がらせです。

「臭い」「汚い」などの差別的な言葉は人間性を否定する行為です。

皆で協力して無視する、仲間はずれにするような行為は陰湿な嫌がらせです。

仏教といじめ

チューダ・パンタカ

周利槃特(チューダ・パンタカ、しゅりはんどく)は釈迦十大弟子の中でも「仏説阿弥陀経」に7番目に出てくる、記憶力が大変に悪く、勉強が出来なかった弟子のことです。

兄のマハー・パンタカが聡明であるのに対して弟のチューダ・パンタカの愚鈍な性質は生涯変わらず、その愚鈍さは自分の名前も書けない、周囲から自分の名前を呼ばれても自分のことだと分からないほどだったそうです。

先に釈迦の弟子になった兄のマハー・パンタカのすすめで弟子入りした弟のチューダ・パンタカは四か月を過ぎても一つの句さえも覚えることが出来なかったそうで、自分の無能さを恥じたチューダ・パンタカはやがて教団を去ろうと釈迦に相談します。

釈迦は「自分を愚かだと知っている者は愚かではない。自分を賢いと思い上がっている者こそ、本当の愚か者である」と説き、彼に一枚の布(または箒)を与えて、「塵を除く、垢を除く」と唱えさせて精舎を掃除することを教えました。

以後チューダ・パンタカは釈迦のこの教えを守りただひたすらに掃除をし続けてやがて阿羅漢果という悟りに達したそうです。

チューダ・パンタカは仏教の教団の中にあって何の役にも立たたない自分自身の無能さに落ち込んでしまいますが、それでも誰も彼をいじめるような者はなく、掃除という持ち場を与えられて、そのことに励んだのです。

釈迦の「自分を賢いと思い上がっている者こそ、本当の愚か者である」という説法も素晴らしいのですが、釈迦は日頃から「ただひたすらに修行に励みなさい」と説き、他人をいじめているような時間があるのなら自らの修行に励むことの大切さを説いているのです。

いじめの対応策

いじめはする側もされる側も問題があることから、両方が改善しない限り解決しないのですが、あまり常識的なことに拘りすぎますと、却って悪くしてしまうことがあります。

いじめを受けたら

いじめる側といじめられる側には共に何らかの理由があるはずで、その理由を解決すれば良くなることもありますので、話し合いで解決するものなら、平和的に解決することが理想です。

今も昔もいじめというものは何処の世界でもあって、怒り恨み、嫉妬などの感情が原因で起こることですが、現代社会では自らの欲求不満のはけ口として、「目ざわり」「鬱陶しい」「ウザイ」などの単純な理由でいじめるようなことが増えています。

学校に於いても特定の子に集団でいじめた結果、学校に来れなくなってしまったような子がたくさん居ます。

集団でのいじめの特徴は、数が多ければ罪の意識が薄くなることと、いじめる側に付かなければ自分がいじめられることへの恐怖心からいじめに加わるか、見ても見ぬふりをするのです。

いじめを受けたら、或いは自分の子供がいじめを受けていることが分ったら、相談する窓口はたくさんありますので、すぐに行動しましょう。

第三者が入っての話し合いやアドバイスで解決することもありますが、それでも解決しない時には人生の選択肢はたくさんありますので、学校は休んでも、変えても、元気で生きていけるのならそれで良しと割り切ることも大切です。

「せっかく入った学校だから何としてでも卒業しなさい」というのは親の立場の考えであって、それが故にどうすることも出来なくて自分で命を絶つ子が多いのは残念なことで、そういった事態になってから後悔しても時すでに遅しなのです。

会社や組織などでのいじめは仕事が掛かっていますから、生活に困る事態になってしまいます。

嫌で嫌で仕方ないけれど、お金を稼がないと生活できない、というプレッシャーに負けてしまい、最後には自分を追い詰めてしまうのです。

しかし命を絶ったり病気になって外に出られなくなったりする前に、今ある環境を思い切って捨ててみることもヒットの方法です。

環境を変える

死んでしまうことを考えるぐらいなら、その前に今ある環境を思い切って捨ててみるということも一つの解決策です。

必死になって現状を維持しようとしても、出来ない時があることを覚らなければいけません。

釈迦でさえ王子の地位を捨て名誉も財産も家族も捨てて修行の道に入ったのですから、私達の持っている名誉や地位なんて大したものではありませんから、そもそもこだわるような必要は無いのです。

それよりも生きること、幸せになることに力を注いだ方が有意義な人生になります。

本当に幸せになろうと思ったら、小さなことやどうでもよいことは思い切って捨て去る覚悟が必要なのです。

気にしないの実践

気にしないこと

気にしない」という心の持ち方で流れが変わることもありますので、試してみて下さい。

気にしないは仏教の修行ですから、実践することによって魂が向上していきます。

魂が向上すれば心が豊かになり、くよくよすることが無くなります。

とにかく今の流れを変えていくことが大切で、流れを変えようと思ったら自ら積極的に動かないといけないのです。

いじめは仏教的にも悪行ですからしてはいけませんし、いじめる者は因果応報、そして自業自得で最終的に自分がその報いを受けることになるのです。

大宇宙の真理に照らし合わせれば分かることで、悪行を行う者に対して私達が個人的に罰を与えなくとも、その結果は天が決めて下さることなのです。

祈ること

世の中には自分一人の力ではどうにもならないことがあり、神仏の力というものがあるのなら、お借りすることにより、物事が驚くほど順調に動き出すことがあります。

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新年祈願の御札

毘沙門天は妃の吉祥天、子の善膩師童子と共に家族を守る神ですから家内安全、厄払いの御札をお祀りするだけで流れが変わることもあります。