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丑の刻参りとは
丑の刻参りとは人を不幸にしたり、命を奪ったりする呪いの作法で、丑の刻(午前1時~3時)に白装束と一反の帯、下駄履きで、頭には灯した三本のロウソクを鉄輪に差して被って神社に行き、ご神木に呪う相手に見立てた藁人形を五寸釘で打ち込むことを7日間続ければ相手が死ぬと言われています。
丑の刻とは
丑の刻とは現在の時刻の午前1時~午前3時です。
「草木も眠る丑三つ時」とは全ての物が寝静まる時間のことで、昔の丑の刻を四つに分けた中での三番目の時間のことで、現在の時間では午前二時から二時半頃の時間になります。
この時間には幽霊や妖怪、鬼などが出てくると昔から言われています。
江戸時代まで使われていた延喜法
江戸時代まで使われていた延喜法は十二支で時間を表して、24時間を十二支で表し「子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥」のそれぞれに2時間ずつ割り当てますので、丑の刻は午前1時~3時となり、更に2時間を四つの30分に分けて「一つ時・二つ時・三つ時・四つ時」としましたので、丑三つ時は現在の時間では午前二時から二時半頃の時間になるのです。
丑寅と鬼門
延喜法では干支は時間も表しますが方位方角も表しています。
丑の時間と寅の時間の間の丑寅は「鬼門」と呼ばれていて、鬼が出入りする方角とされています。
丑寅の方角は「鬼門」、未申の方角は「裏鬼門」と言われて昔から神様の通り道であるから清潔を保つように心掛けるべき方角なのです。
丑寅の鬼門が鬼の出入りする方角であることから、丑三つ時には鬼や妖怪、幽霊なども出てくると言われるようになりました。
丑の刻参りの仕方
好きな人に裏切られた、捨てられたなどのことは今も昔もあることで、ひどい裏切り方をした相手を恨む嫉妬の気持ちはやがて呪いの気持ちに変わっていき、それを実行するのが丑の刻参りなのです。
必要な物
丑の刻参りに必要な物は
白装束が無ければ白い服でも構いません、絶対に必要な物は藁人形と五寸釘と金槌です。
五徳とは火鉢などで使うやかんや鍋などを上に乗せるための鉄の道具で、五本足の物を五徳と言うのではないかと思いますが、一般的には三本足で、実際に使う時には上のイラストのように三本足を下にしますが、丑の刻参りの時には逆さまにして足に三本のロウソクを立てて頭に被ります。
丑の刻参りの作法
藁人形には予め恨むべき相手の名前を書いた紙や写真、髪の毛などを中に閉じ込めておきます。
相手の髪の毛や血液、皮膚などがあれば効果は増します。
丑の刻(午前1時~午前3時)になったら白装束に身を包んで神社の参道に立ち、周囲に人が居ないことをよく確認して五徳に差し込んだロウソクに火を灯し、藁人形や金槌、五寸釘などの必要な物を持って参拝し、ご神木の前では丑寅(東北)の方向に向かって恨みを込めて藁人形に五寸釘を打ち込みます。
丑の刻参りの日数
丑の刻参りは必ず毎日同じ時間に行って藁人形に釘を打ち込むこと7日間続けますと成就すると言われています。
相手の身体の釘を打った場所が悪くなるか死ぬと言うことです。
帰る時に黒い牛が見えたら成就した証と言われています。
注意事項
丑の刻参りをしているところは絶対に人に見られてはいけません。
人に見られたら呪いが自分に跳ね返ってくるので、見た人を殺さなければいけないとされ、守り刀は相手を殺傷するための刀になりますが、関係の無い人を巻き込むことは絶対にいけません。
丑の刻参りの原理
丑の刻参りは藁人形の中に呪いの相手の写真や髪の毛を入れることによって魂を移す依り代とし、白装束を着た自分には鬼の魂を入れることで、鬼の霊力を利用して相手を呪う方法です。
藁人形に相手の魂を移すために、そして自分に鬼の魂を入れるには万物が寝静まった丑の刻が最適であり、相手が寝ていれば魂を抜かれて藁人形に移されます。
鬼を利用する訳ですが、鬼も黙って利用される訳ではありません、自分の身体に鬼が入るようになれば、今度は自分が鬼に利用されることになります。
人を恨むという事は自分が鬼になってしまうということなのです。
人を恨むという事
人を恨むという事は仏教の煩悩の中でも大きな煩悩であり、騙されたり裏切られたりした相手に対して恨みの感情を持つのが人間の本質であり、更には相手を苦しめてやりたい、殺してやりたいと思うようになってきます。
絶対に許せない
丑の刻参りをする人が持つ感情は「絶対に許せない」という感情であり、
- 人に言えないようなひどいことをされた
- 身も心もズタズタにされた
- 多くの人の前で恥ずかしい思いをさせられた
- お金を全部取られた
- 失敗の責任を全部自分に押し付けられた
- 何もかも利用された上に捨てられた
- ひどいことをしておきながら幸せそうに暮らしているのが許せない
- 相手の家庭を破壊してやりたい
- 地獄に落としてやりたい
- 自分はもう死んでも構わない
- 自分と同じようなひどい目に合わせたい
などのことが人生の中で実際に起こるのです。
もう自分はどうなっても構わないから、相手を苦しめてやりたい、というのが丑の刻参りの原点であり、古い時代から相変わらず同じような罪を繰り返しているのが人間の悲しい性なのです。
「絶対に許せない」という感情はいつまでも残り続けるほど恐ろしい感情であり、仏の心ではなくて、鬼の心なのです。
殺生は地獄行きです
たとえ直接に手を下さなくても、丑の刻参りが要因で相手が死ぬようなことになったら、これは殺生になりますので、間違いなく地獄行きです。
恨みを晴らすことが出来てスッキリ、自己満足は得られるかもしれませんが、その結果として永遠の地獄の苦しみが待っているかと思えば、スッキリでは済まされません。
仕返しは恨みの連鎖を繰り返す
丑の刻参りで本当に願いが叶ってしまって相手が死ぬようなことがあっても、今度は相手や相手の周囲の人から恨まれるようになり、恨みの連鎖を繰り返すだけです。
相手が直接に見ていないから大丈夫だと思っていても、目に見えない世界というものはそう甘くはありません。
今度は自分の命が狙われるかもしれませんので恐怖の日々を送ることになってしまいます。
天罰というものは
天罰というものは自分で下すものではなくて、天が下すものであり、「自業自得」と言って自らの行いの結果は自分が受けるという絶対的な原理がありますので、本来は自分で下すものではありません。
しかし人間の浅はかさと言いますか、相手に対する恨みは、自分が不幸になってしまって、相手が幸せそうにしていることは、絶対に許せないという気持ちになるものです。
絶対に許せない人に対しては、たとえ自分がどうなっても構わないから地獄の底に落としてやりたいと思うのですが、その代償としての永遠の苦しみが来ることは覚悟しなければいけません。
時代劇でもそうですが、昔から成敗(せいばい)劇は定番中の定番であり、「天に代わって成敗してやる」という人がヒーローになる訳ですから、悪い人はなるべく早く懲らしめて欲しいという気持ちが誰にでもあるのです。
しかし懲らしめた結果として改心して心を入れ替えるのなら成敗も意味がありますが、「斬ってやる」や「呪ってやる」では、その結果は必ず自分に跳ね返ってくるのです。
天罰は天が下すもので、全てを天にお任せすれば気が楽になります。
有史以来恨んだり恨まれたりの人間同士の醜い争いで不幸な結果になって滅びていった人の何と多いことでしょう。
丑の刻参りは、もし行うのであれば相当の覚悟を持つ必要があるのです。
恨むと言うことに使うエネルギーがあれば、自分の魂を向上させることに使いましょう。
もし自分の敷地の中で藁人形が見つかったら
屋敷の中に生えている樹や所有する山林、別荘などで釘で打たれた藁人形が見つかったら、とても気持ち悪いことであり、恐ろしいことでもあります。
藁人形と釘には塩を振って取り外し、お焚き上げでお祓いをしてもらったらよいと思います。
自分ではどうしても何も出来ないような時にはやすらか庵にご相談下さいませ。