隣の芝生は青いとは

隣の芝生は青い

隣の芝生は青いとは、自分の敷地の芝生よりも隣の敷地の芝生の方が青々として良く見えることの喩えで、他人の物の方が良く見えたり、他人の方が自分よりも幸せそうに見えてしまうことを言います。

妬みの心

仏教では人間が克服するべき煩悩の中でも大きなものを特に「三毒」と言って貪瞋痴(とん、じん、ち)つまり貪り、怒り、無智の三つの項目を悟りを妨げる毒として例えられています。

他の人が羨ましいと思う妬(ねた)みの心は三毒の中でも瞋(じん)から来ると言われ、人が良い思いをしている事に対しての自分の足りなさ、みすぼらしさが、相手に対する怒りの感情に繋がってしまうのです。

憧れと妬みの違い

誰にとっても憧(あこが)れの人や理想の人は居るもので、そういう人がきっかけになって影響を受け、自分の将来が決まったりもします。

テレビで活躍する歌手を見て、自分もそのようになりたいと歌の練習をしたりダンスの練習をしたりすることは自分にとって良い刺激になって自分を向上させることが出来ます。

憧(あこが)れは羨ましいと思う相手に対して、尊敬の対象として好きになることです。

妬(ねた)みは羨ましいと思う相手に対して憎むことで、悪意を抱いたり、相手が不幸になれば良いと思ったりします。

自分の不幸

誰でもそうですが、悩みや苦しみがあったり、事故や怪我、仕事の失敗などで不幸のどん底にある時には、自分は最高に不幸であり、自分以上に不幸な人は居ないと思ってしまうものです。

自分が不幸だと思う人は周囲が見えなくなってしまい、正しい判断が出来なくなってしまいます。

他人の不幸

不幸になってしまった人は、周りの人を見れば誰もが幸せそうに見えてしまいます。

落ち込んでしまって目の前が真っ暗で苦しみもがいている人にとって、楽しそうに歩いてるカップルや子供連れで歩いている家族、ジョギングをしている人、冗談を言って笑っている人達などの全てが幸せそうに見えるのですが、皆が幸せなのに自分だけが不幸であることは許せないと言う気持ちから、周囲の人が不幸になれば良いと思うようになるのです。

他人の不幸を喜ぶ心-メシウマとは

その心がもっと進めば「他人の不幸をおかずにして、今日もメシが旨い」という歪んだ心になり、幸せそうな人がある日突然不幸になることが最大の楽しみになるのです。

正しく観ること

正しく観るとは、物事を見た時に主観を入れず、あるがままに見ることです。

隣の芝生は青かった

也の芝生を見た時に、「良く手入れの行き届いた青くて綺麗な芝生だった」とありのままに見て、隣の人と出会っても「良く手入れをされている芝生ですね」と素直に称賛出来れば仏の心に近づきます。

たとえ自分が不幸の状態であったとしても、自分の不幸と隣の芝生は全く関係の無いことなのです。

1961年に旧ソ連の宇宙船ボストーク1号に搭乗したガガーリンが「地球は青かった」と言ったそうですが、「隣の芝生は青かった」で終わらせるのが仏教の修行です。

他人が幸せそうに見えても、果たして本人は本当に幸せなのかは分かりませんし、仮に幸せであったにしても不幸になれと思うのは地獄の心なのです。

仏の心

妬みの心は相手の不幸を喜び、相手の幸せを憎みます。

仏の心は相手の幸せを喜び、相手の不幸に手を差し伸べます。

私達の心は放っておけばどんどん低い所に転がり落ちていきますので、特に今の時代のように新型コロナの影響で仕事がうまくいかない、解雇された、生き甲斐を失くしたなどの方はどうしても心が荒んでしまいます。

しかしこういう時代だからこそ真の意味での幸せを手に入れるチャンスなのです。

多くの方が亡くなっていく中で、私達は生きているだけでも有難いですし、幸せなのかもしれません。

幸せは案外身近な所にあるのに、私達の妬みの感情などの影響で、見えなくなってしまっているのです。