毘沙門天の邪鬼

毘沙門天にいつも踏まれているのは仏法を犯し、悪をばらまくという邪鬼です。いつも踏まれっぱなしで苦悶の表情をしているのですが、良く見ると愛嬌のある顔をしていて、大袈裟に苦しいような演技をしているようにさえ見えます。

毘沙門天王功徳経には弟子の阿難の「どういう因縁があって、両方の足で羅刹毘闍舎鬼を踏んでいるのですか」という質問に対して釈迦は「邪鬼は悪業や煩悩を押さえつけるために踏んでいるのです」と答えます。

邪鬼は鬼として悪事を働くと共に、私達の心の中にもいて悪い心を働かせるのが仕事であり、世の中には善と悪が必ず同時に存在し、仏法の世界では常に煩悩との闘いがあり、毘沙門天は仏法を犯そうとする悪い邪鬼を踏むことによって、仏法を護ると共に、邪鬼を正しい方向に向かうように教え導いているのです。

私達は何かのミスをしてしまった場合に、心の中で、「黙っていれば分からない、人のせいにすれば良い」という悪の気持ちと、「素直に謝ろう」という善の気持ちの葛藤があります。

また、相手を傷つけてしまった場合には、心の中で「絶対に相手が悪い、自分は正しい」という悪の気持ちと、「やっぱり自分も悪かったかな」という善の気持ちの葛藤があります。

そういう時には毘沙門天の前に座って心を落ち着けますと、自然と答えが出てくるものです。