衆生とは

衆生のイラスト

衆生とはサンスクリット語でサットバ(sattva)を訳した仏教語言い、「命ある者」「心を持つ者」の意味で、輪廻転生で生まれ変わる六道の住人を指すが、六道を脱した仏菩薩まで含めることもあります。

命ある者

命のイラスト

私達の住む地球上には既に知られた約175万種の生物の他に細菌類や未知の生物まで含めると1億種の生き物が生息していると言われています。

命ある者という意味では無数の生物がうごめいている訳で、寿命が数か月の虫でも実にたくさんの虫が生まれては死に、生まれては死にを繰り返しながら種の存続を続けているのです。

命ある者という意味での衆生は無数の存在ということになります。

無数の命が全て輪廻転生の対象だとすれば、一つの命が終わった瞬間に次の命に転生するということも可能です。

心ある者

心のイラスト

心ある者という言い方をすれば命の範囲は随分と狭くなると思われるのですが、心というものが解剖学的に存在するものでは無くて、抽象的なものである以上、仏教的な解釈では善悪の判断が出来る者、或いは感情の表現をする者ということになるかと思います。

犬や猫であっても悪い事をして叱られた時には落ち込みますし、褒められたら感情を表現して喜びます。

私達人間の世界では悪い事をした時に心は痛み、良い事をした時に心が幸せな気分になりますので、善行ばかり行えばよいのですが、世の中をうまく渡っていこうとすれば悪行を重ねることもあり、人を傷付けてしまうことで心は常に善悪の狭間で迷うことになるのです。

日常の生活の中でも心が穢れてしまうような娯楽や悪魔のささやきなど心が乱されるような誘惑が身の回りに溢れていて、正しい判断力が無くなってしまい、誘惑に負けてふらふらと出掛け、後になって後悔するのも心があるからです。

迷うという事が心の表れですから、心ある者は心が揺れ動くのではなく、少しでも心穏やかに居られるように自分で自分をコントロールするのです。

救済の対象

仏の救済のイラスト

菩薩に限らず神仏は衆生の救済を任務としていますので、ありとあらゆる生き物の魂が生まれながらに持っている苦しみから解放されて安楽の世界へと上がっていく段階で実現していく平和の世界を願っているのです。

実は仏に救われる対象としての私達も更に、他を救う任務があって私達と同じ世界、或いは下位の世界の命を救わなければいけません。

生き物全てが他を思いやり、利益していくことで今現実の世界も浄土に近付くことが出来るのです。

今の時代は世界中のあちこちで戦争が勃発し、私達の生活にはもちろんのこと、心の中も戦争の影響を受けてしまい、「やられる前にやってしまえ」「もっと強力な武器を持て」と思う人が確実に増えています。

人が人を殺生することは仏教では最大の罪であり、手助けしたり見て見ぬふりをすることも同罪ですから、本当に戦争というものは罪深いのです。

そして真の意味での安心とは強力な武器に囲まれていることではなく、争いの無い穏やかな場所で相手のことを思いやる者ばかりが集う世界であることを今一度認識する必要があります。

争いというものは人間の我儘な欲望のなせる業であり、経済優先社会の中では欲望のぶつかり合いですから、私達一人一人が真の意味での豊かさについて考え直さないといけません。

私共は何時か必ずこの世を去る時がやってきますので、少なくとも私達が「何故生まれてきたのか、何処から来て何処に向かうのか、今何をしなければいけないのか」という与えられた永遠のテーマに対して気が付いたなら、もうむ残された時間があまり無いことを認識しつつ、他の衆生の救済、魂の救済を始めてみましょう。