安心(あんじん)とは

安心とは

一般的に使われる安心(あんしん)は気にかかることが無くて心が穏やかな事ですが、仏教では安心(あんじん)と言い、仏法の功徳によって得られた迷いの無い安らぎの境地のこと。

安心の境地

心の中にある天界

安心とは心穏やかで居ることが出来る境地であり、仏教的にその境地を探そうとすれば天の世界であり、極楽浄土などの浄土の世界がまさに安心の世界です。

安心の世界に行けば皆が安心の境地で居られるのです。

しかし仏教的な安心の境地は誰もが無条件に得られるものではなくて、修行の結果として得られるものですから、簡単なことではありませんが、仏教ではこの世の全てのものが苦しみであると説き、その苦しみから抜け出してたどり着くのが安心の世界なのです。

つまり安心の境地にたどり着くには修行が必要なのです。

安心の条件

安心の境地とは心配事の無いことですから、周囲の環境が戦争の無い平和な世界であることと、家族が災難なく過ごせることなど、人や環境などの全ての条件が穏やかであることが必要です。

しかし周囲の環境や人間関係などが穏やかであるということは、自分一人だけが穏やかであってもどうにもならないことなので、自分一人だけで安心を作り出すことは出来ません。

私達は天界や浄土を目指すその前に、この世を安心の地にしておかないと満足な修行も出来ないのです。

この世を安心の世界にしようと思ったら、まずは身近な家族で自分が出来ることを始めましょう。

家族の安心

家庭円満、夫婦和合、家庭の中では家族が仲良く、互いを信頼し合い、コミュニケーションが円滑で、笑顔の絶えない家では家族の皆が安心して暮らすことが出来ます。

家族が安心して居ることが出来るために私達が実施することは次のような項目です。

挨拶すること

家庭の中での挨拶は忘れられがちですが、とても大切な事です。

朝の挨拶「おはよう」に始まり出かける時には「行ってきます」「行ってらっしゃい」「ただいま」「おかえり」そして一日の終わりの「おやすみ」まで家族だからこそ一人一人が忘れずに挨拶すればいろんなことが上手くいくようになります。

「おはよう」の後には「今日は雨があるから傘を忘れずにね」などの会話が続くのです。

逆に言いますと挨拶の無い家庭は会話のきっかけが無い家庭です。

感謝する事

ありがとう」この一言で世の中全てがうまくいく、実に不思議な言葉です。

ありがとうは感謝の言葉であり、お礼の言葉ですから相手に何かしてもらった時に返すことばですが、特別に何かしてもらったということではなくて、どんな小さなことに対しても「ありがとう」を言えば相手の心が和み、自分の心も和み、それが安心につながるのです。

特に自分が相手に頼んでいなくても相手が自主的に何かをしてくれた時には、そのことに気付いて「ありがとう」と言えば気が付いてくれたこと、そして感謝してもらったことに喜びを感じてもらえるはずです。

「ありがとう」なんて言葉最近使ってないな、という人は要注意、たくさん言えば言う程家族が幸せになり、安心して暮らすことが出来るのです。

笑い声

家庭円満の秘訣は笑うことで、家の中から笑い声が聞こえてくる家には必ず福の神がやってきます。

笑う門には福来る」とはまさにこのことで、楽しいことが無いから笑えないと言うのではなくて、楽しいことが無くても笑うのです。

どんなに小さなことでも喜びを感じて皆で笑いましょう。

笑うことで生きる力が湧いてきて、幸せホルモンとも言われる脳内ホルモンのエンドルフィンが分泌されることは医学的にも証明されていて、幸福感をもたらし偉大な鎮痛効果があるのです。

笑うことがなく泣いてばかり、喧嘩ばかりの家には全く安心がありません。

安心があるからこそ笑っていられるのであり、笑うことで安心が得られるのです。

安心は作り出すもの

仏法で言うところの究極の安心の世界である浄土は悟りを得た者が行く世界だとすれば、私達凡人がいくら努力してみたところで行くことが出来る世界ではありません。

しかし私達の世界に最も近い世界としての天の世界に近づこうと努力することでこの世に安心の世界を作ることが可能になってきます。

天の世界の住人である毘沙門天は妃の吉祥天と子の善膩師童子と共に家族の姿を現わし、私達に家族としての安心を説き続けているのです。

天の世界は安心の世界で苦しみの無い世界で、そこには争いも無ければ対立もありません。

私達の世界で家族というものは時には喧嘩もするけれど何とかうまくやっている、というぐらいの関係で、意外と問題だらけで不安ばかり、安心とは中々言えないものです。

天の世界の毘沙門天が夫婦子供の家族で安心して居られるのは、互いに相手を思う心があるからです。

天の世界では自分のことを言わず、相手の幸せだけを願うのです。

私達人間の世界で自分のことばかり言う人が居るのは欲望の成せる業であり、欲望は人のために使えば平和になりますが、自分のためだけに使えば争いの元になるのです。

私達が安心の世界を作り出そうと思ったら相手を思う実践である利他行の実践が最も有効です。

家族の中でも地域の中でも、会社、学校などでも相手の幸せを思い実践する心があれば平和で安心出来る社会にっなってきます。

家庭の中ではお互いの幸せのため、地域では皆が安心して暮らせるよう、相手の幸せを願って、困った人が居れば助けて差し上げましょう。

安心は最初からそこにあるものではなくて、皆で協力して作り上げるものです。