四苦八苦とは

四苦八苦

四苦八苦とは仏教で説く人間が共通して持つ四つの苦しみと八つの苦しみのことであり、生きていることは常に苦しみの連続であるということ。

四苦八苦の使い方

四苦八苦はいつも苦労している様を表す時に使われます。

  • 彼は借金の返済に四苦八苦している
  • あの人の四苦八苦している様子は見ていられない
  • 私の人生は四苦八苦の連続で御座います

苦しみについて

釈迦は私達人間が無限に六道の世界と言われる地獄餓鬼畜生阿修羅人間天界輪廻転生して生まれ変わり死に変わりする間は常に「苦しみ」が存在して決して逃れることが出来ないと説きますした。

それらの苦しみから逃れる方法はただ一つ「解脱」と言われる悟りを得ることしかありません。

しかしこの六道の世界から脱すれば、もう六道の世界に戻ってくることの無い苦しみの無い世界にたどり着けるのです。

釈迦は実在する人間として「解脱」の世界にたどり着いた唯一の存在ですが、釈迦にとっても「解脱」への道のりは果てしなく遠く、六道で輪廻している間に修行を積み重ね、更に今生に於いても生死の境を彷徨うほどの難行苦行を乗り越えて到達したのです。

私達人間世界では苦しいこともありますが楽しいこともあるからこそ希望を持って生きていけるのですが、釈迦が人間世界で生きていくことを苦しみと説いたのは、人生なんてあっという間に終わり、長い目で見れば地獄に堕ちて苦しむようなこともあるという事実を知っていたのです。

四苦とは

四苦とは最も根本的な四つの苦しみのことです。

生苦(しょうく)

生きていることは苦しみであると説きます。

生きていれば人から裏切られたり騙されたり、思い通りにならなかったりすることの連続であり、そういった苦しみは生きている限り続きます。

生きていることが苦しみの連続であるからこそ「生まれる」ことも苦しみであると説くのです。

夫婦の間に子供が生まれたら目出度いこととして祝うものですが、釈迦の眼には人間界に生まれたことで苦しみ多き人生が始まったと映るのです。

老苦(ろうく)

人間歳を取れば若い時に比べて苦しみが増えるものです

  • 目が見えなくなってきた
  • 耳が聞こえなくなってきた
  • 歯が抜けてしまった
  • 腰が曲がってきた
  • 肩や腰が痛い
  • 歩けない
  • 動けない
  • 食べることが出来ない

などのことで苦痛が増えるばかり、若い時には何でも自分で出来ていたのに、もう何も出来なくなった、それでも天寿を全うするまで生きていくしかないのです。

病苦(びょうく)

病気は誰もが経験するものですが、病気になれば体の痛みや自由が利かないことなどで苦しむことになります。

病気の苦しみは

  • 患部が痛い
  • 熱がある
  • 寒気がする
  • 動けない
  • 寝ていないといけない
  • 自由が利かない

などで、病気になれば健康の有難さが分かります。

死苦(しく)

死ぬことは最大の苦しみで、死ぬ瞬間の苦しみはもちろんのこと、まだ生きていたいという欲望が断ち切られる苦しみ、愛する人と別れなければいけない苦しみ、死後の世界に向かう不安の苦しみなどがあります。

息が出来なくなる苦しみは大きく、誰でもそうですが、どれだけの時間息を止めることが出来るか試してみても、だんだんと苦しくなってきて、3分も持たずに次の息をしてしまいます。

息が止まることは大いに苦しいことなのですが、臨終を迎える人は失神してしまい苦しみを感じることなく死後の世界に向かいます。

人は必ず死んで肉体は焼かれて骨になり、遺品は捨てられたりお金に変えられてしまいます。

遺品整理の時に家族に見られてはいけない物があったら早めに処分するかお焚き上げに出しましょう。

後継者が居ないなどでご先祖様のお墓が無縁になることが分かっていたら、墓じまいして樹木葬散骨供養などで綺麗にしておきましょう。

八苦とは

八苦とは四苦の「生老病死」の他に四つの苦しみを追加した八つの苦しみです。

愛別離苦(あいべつりく)

愛するものと別れてしまうことで、生き別れの場合と死んで別れる場合の二通りがあります。

別れというものは辛いもので、まだ一緒に居たい、もっと一緒に居たいという気持ちを引き裂かれる訳ですから、一人ぼっちになることがどんなに辛いことでしょう。

どんなに愛していてもいつかは必ず別れなければいけない時が来るということで、誰にでも死は必ずやって来て、愛する者と別れて一人で死後の世界に向かいます。

そして残された者は一人で寂しい思いをしなければいけません。

怨憎会苦(おんぞうえく)

嫌いな人と会わなければいけないことで、愛別離苦の逆の意味になりますが、これもまた大いなる苦しみです。

職場で嫌いな人が居て、どうしても毎日会わなければいけないような時にはもう会社に行きたくなくなってしまいます。

「あの人さえ居なければ」といつも思うのですが、そういう人に限って居続けるものです。

夫婦間でも家庭内別居、全く別に暮らしていて、会わない、会いたくないという事もありますが、大抵は家やお金のために仕方なく我慢しているのです。

嫌いを通り越して恨みや憎しみに変わっていることもあり、万一どちらかが介護されるような立場になった時には何かしらの事件になってしまうようなことが多々あります。

求不得苦(ぐふとくく)

求めたものが得られないことで、欲しいものが手に入らないことはやはり苦しみです。

どうしても欲しいものがあって中々手に入らない時には何としてでも手に入れようと努力するものですが、それでも手に入らない、諦めきれないという時には苦しみになります。

また最も基本的なところで、お腹が空いてたまらないけれど、お金が無いなどの理由で食べ物が手に入らないような時にはまさに真剣に苦しみます。

五蘊盛苦(ごうんじょうく)

五蘊盛苦(ごうんじょうく)とは「五つの要素に執着する苦しみ」ということで、五つの要素とは

  • 色(しき)…全ての物質、「身体」の機能のこと
  • 受(じゅ)…物事を見る、外界からの刺激を受ける「心」の機能
  • 想(そう)…見たものについて何事かをイメージする「心」の機能
  • 行(ぎょう)…イメージしたものに意志判断を下す「心」の機能
  • 識(しき)…外的作用と内的作用を総合して状況判断を下す「認識作用」の機能

これらのことは私達が生きている限り次々と湧いてくる作用であり、どうしてもその作用に執着してしまい、離れなくなってしまうことによる苦しみです。