求不得苦とは

求不得苦のイラスト

求不得苦とは欲しいものが手に入らないという苦しみのことです。

欲しい物とは

「今一番欲しいものは何ですか」という問いに対しておそらく「何も要らない」と答える人は居ないことでしょう。

多分皆さんお金が欲しいという答えになると思いますが、たとえば車や家などの具体的な物が欲しい人なら、必要なお金さえあれば誰だって簡単に買うことが出来るのですから、一番欲しい物になるのではないでしょうか。

もちろん世の中にはお金で買えないものもたくさんありますので、たとえば彼女が欲しい、温かい家庭が欲しいような時には素敵な御縁がないと実現しません。

私達にとって欲しい物があるということは仏教で言いますと全て欲望であり煩悩ですから、欲望に振り回されるばかりしていますと悟りから遠くなるばかりなのです。

欲しい物が得られない

お金にしても彼女にしても、欲しいと思った時に簡単に手に入れられるものではありませんので、我慢や苦労、努力も必要ですが、いくら努力しても中々欲しい物が手に入らない時には、手に入らないという事が苦痛になってしまいます。

欲しい物を手に入れるために一生懸命に頑張っているのに手に入らないのは努力の仕方が間違っているのだろうか、それとももう少し我慢すれば手に入るのだろうかなどと考えて、いろんな試行錯誤をしても叶わないとしたら、心のイライラは増すばかりで折角の努力が無駄になるようで、悔しくて仕方ありません。

しかし苦労してやっとの思いで欲しい物が得られた時の喜びは何物にも代えがたいのです。

欲しいものは人によって違う

貧乏な生活が続いている人にとっては「おいしいご飯」を食べることが出来ればそれで幸せですし、欲しいものを何でも手に入れたお金持ちの人が欲しい究極のものは「不老長寿の薬」かもしれません。

人間というものは歳を取ればだんだんと欲しい物が無くなって来るものですが、私達はどんなに歳を取っても「何も要らない」ということではなくて、何か必ず欲しい物がある、それが欲望なのです。

苦しみを無くすには

求不得苦の苦しみを無くすには欲望を失くしてしまうか、欲望を全部満たすかのどちらかになります。

欲望を無くす

欲望を無くすということは何も要らないということですから、在家の人にとっては無理な注文です。

小乗仏教の僧侶は出家と同時に、欲望を捨てるために自分の持物を持ちません。

俗世間の生活を捨てるために戒律を守り戒名を名乗り、仏の弟子として生まれ変わるのです。

自分の持物は人に差し上げてしまうか教団もしくは慈善団体に寄付してしまい、思い出の詰まった写真などは護摩の火で焚き上げてしまえば物に対する執着は無くなってしまいます。

欲望を全部満たす

欲望を全部満たすにしても、満たした後には必ず次の欲望が湧いてきますし、欲望が大きくなりすぎて地球が欲しい、宇宙が欲しいとなったとしたら、これはもう絶対に叶うことの無い欲望になってしまいます。

少しの欲で満足すること

三衣一鉢のイラスト

欲望といものは全部捨てるという訳にもいきませんし、全部満たすにも限界があります。

そこで仏教では「小欲知足」(しょうよくちそく)というとても良い考えがありますので、是非実践して頂きたいと思います。

私達の欲望というものは放っておけば次々と勝手に湧いてきて、その欲望を満たすようにという指令に支配されてしまうのですから、湧いてくる欲望の中でも不必要だと思えるものは気にせずに無視して捨て去るようにし、本当に必要なものだけに絞って、その欲望が実現した時にはそれで完全に満足するようにしましょう。

そして常に感謝の心を持ち、周囲の人達に感謝の気持ちを表し、出来るだけ小さな欲望で満足することを心掛ければ、他人に対して優しくなり、心は穏やかになるのです。

次々と湧いてくる欲望に振り回されて人生を終えた所で気が付けばあの世に持っていける物は一つも無し、この世で得られた満足感は幻のように消えてなくなり、何のための人生だったのだろうかと後悔するだけです。

出家して僧侶になる時に自分の持物を捨て去るのは、欲望にこだわり続けて得られる満足感よりも、何も持たずに得られる真実の世界での満足感の方が遥かに優れていることに気付いたからなのです。

遥か悠久の昔から続いている魂の旅の行く先のことを思えば、今この世にこうして生まれてきたことは類稀なることであり、欲望に溺れている場合ではないのです。

そうした大切な事に気が付いたら、今からでも遅くありませんので、まずは小欲知足から始めてみましょう。