小欲知足とは

小欲知足

小欲知足とは少ない欲で足りることを知るということで、仏教的な色彩の強い言葉です。

欲望とは

欲望は仏教では六根と言われる感覚や意識を司る器官である眼・耳・鼻・舌・身・意が、それぞれ満足するようにとの指令を出し続け、私達はそれらの器官を満足させるべく行動するが、一時的に満足することはしても、より強い満足を得るような指令が出る仕組みの事です。

また仏教の世界では私達の住む世界に隣接した三界には

  • 無色界…欲望も物質も超越した精神世界
  • 色界…欲望を離れた清浄な物質世界
  • 欲界…物質に対する欲望にあふれた世界

があり、この中でも私達の住む世界が欲界であることから、私達は物質と欲望にあふれた世界で生きていく運命を背負っているのです。

小欲知足の由来

大正新脩大蔵経, 涅槃部, 仏垂般涅槃略説教誡経には

「少欲之人無求無欲則無此患」 … 「知足之法即是富樂安隱之處」

少欲の人は求むること無く、欲無ければ、すなわちこの患い無し … 知足の法は、すなわち是れ富楽安穏の處なり

とあるように、少ない欲の人は患うことなく静穏に過ごすことが出来、少ない欲で足ることを知る法は安楽の境地につながることを説いています。

釈迦も欲望との戦いだった

仏教の開祖である釈迦も悟りを得る前の瞑想ではありとあらゆる鬼神や欲望が釈迦の悟りを妨げるべく襲い掛かってきましたが、強い意志を持った釈迦は一切の事象に対して反応することはありませんでした。

仏教では欲望は捨てなさいと説きますが、悟りに対する最大の敵は欲望なのであって、欲望は私達が高い世界へと行こうとすることを鬼神と共に阻止して私達をより低い世界に落とすことが仕事なのです。

欲望は私達を豊かにする

しかし私達の生活は欲望によって成り立っているのも事実で、欲望があるからこそ少しでも良い生活をしようと努力して、家族が少しでも豊かに楽しくと願って努力している訳ですから、欲望が無いと私達の世界の経済的な発展はありません。

お金だって少しでもたくさんあった方が良いに決まってますし、少しでも良い所で暮らしたい、旅行にも行きたい、おいしい物も食べたい、素敵な人と巡り合いたい…などの欲望があるからこそ皆一生懸命に働いているのです。

これって悪いことですか?

役に立つ欲望

私達の住んでいる世界は元々欲望の世界ですから、欲望は家族や周りの人が幸せになれるための欲望でしたら役に立つ欲望です。

逆に自分一人だけの自己満足の欲望や人を傷つけてしまう欲望、人から奪う欲望は悪い欲望で、役に立ちません。

しかし家族が喜ぶようにとの欲望であっても、度か過ぎて周りに迷惑を掛けてしまうような欲望はいけません。

欲望にもいろんな欲望がありますが、他を喜ばすための欲望で、小さな欲望は善い事かもしれません。

欲望があるからこそ足ることを知る

もし欲望というものが無かったら、満足するということが分からないと思います。

欲望を満たされた時に満足するのですから、欲望が無ければ満足する必要が無いからです。

そういう意味では欲望は満足することを知るための大切な材料であり、私達人間の世界で欲望があるのは、満足の先にある悟りの世界を知らせてくれるためなのです。

私達の世界は欲望もあり、その先の満足も、果ては釈迦の悟りの世界へも繋がっていて、更には修行出来る環境を備えた素晴らしい世界なのです。

しかしいきなり欲望を捨てるのではなくて、小欲知足を実践することが修行の第一歩です。

小欲知足のすすめ

小欲知足は仏教の考え方であり、在家の人でも実践できる立派な修行法です。

小欲知足の修行法

欲望は元々人間に与えられたものですから、否定しなくて構いませんが、満足するだけなら修行になりません。

自分の欲望を観察

欲望は否定されるものではありませんが、自分に今、どういった欲望があるのかを観察してみましょう。

電車の中でスマホばかりいじっていないで、たまにはいじるのを止めて目を閉じ、今何をしたいのか、それをすればどうなるのか、しなかったらどうなのか、本当に必要なことだろうか、他にも必要な事は…

などを観察するのです、そしてどうしても必要なものだけを残して実際にに実行し、実行した後で再び心の変化を見てみましょう。

果たして本当に必要だったのか、次回はどうすれば良いのか…

などのことを観察するのです。

満足の正体

欲望を満足させた時の満足の正体は何でしょうか、おそらく心の中で沸々と湧き上がったものが収まっただけのことでは無いでしょうか。

しかし同じ物、或いはより大きな欲望ががまた沸々と湧き上っては収まることを只繰り返しているだけのことなのです。

満足は言葉で言えば「あ~すっきりした」「気持ち良かった」「お腹一杯」ですが、いずれも湧き上がっては収まるを繰り返しているだけのことで、知らず知らずの内にその欲望はどんどんエスカレートして大きくなっているのです。

何かが欲しいのであれば、「もっと欲しい」「まだ足りない」ということに完全に振り回されているのです。

小欲とは

小欲とは少ない欲です。

私達の欲望は放っておいたらどんどん湧いてきますので、その欲望を満足させようとあちこち走り回ります。

しかしそれらの欲が果たして全部本当に必要なものであるかどうかをよく観察し、少しだけ残して、しかも自分一人たげの満足ではなくて相手や家族と共に満足出来るものにします。

欲望は自分が選ばなかったらどんどん湧いてくるばかりで、欲望の赴くままに生きていたらそれらに振り回されてあっという間に一生が終わってしまいます。

欲望を満足させるだけの人生でしたら、生まれて来た時に頂いた使命を全く何もしなままに旅立つのですから、行く先は絶望的です。

私達は人間の世界に生まれてくることが出来たというだけでとても幸せな事であり、折角の徳を持って生まれて来たのに、その徳を全部使いきって死んでいくだけのことです。

知足とは

知足とは足ることを知ることです。

私達の普通の欲望はどんどんエスカレートして私達を振り回さそうとしますので、その都度満足して足りてしまえばエスカレートすることはありません。

食べる事でもそうです、いつもより少なめで「もうこれで満足、有難う御座います、お互馳走さまでした」と感謝して食事が終わることが出来れば、欲望の鬼神に振り回されることはありません。

施しの実践

神仏の世界は施しの世界であり、自己満足ではなく他を思う世界なのです、物に対する執着を捨てるためには実際に物を捨てるということやお焚き上げを利用して心の欲望を焼却することも一つの方法です、お焚き上げ供養で心が軽くなった方はたくさんおられます。

施しは災害を受けた方へのボランティアや募金でもいいですし、家族の中でも出来る施しはいくらでもあります。

施しは相手を喜ばせてあげたり、悩み苦しみを取り除いてあげる事、相手のことを真剣に考えてあげる事です

まずは家族の中で施しの実践をしてみませんか。