奉仕とは

奉仕のイラスト

奉仕とは報酬を求めることなく社会や国家に対して無償の労働を行うことです。

報酬について

報酬とは労働の対価として支払われる金銭や物品のことで、会社で働いている場合には会社の利益のために自らの時間と労力を使って利益を出した対価として給料が支払われるようになっています。

つまり報酬とは会社に利益をもたらした見返りとして支払われるものなのです。

私達は経済社会の中で生きていますので、生きていくためにはお金が必要であり、お金のために働くというシステムの中で、会社で働いて得た報酬を飲食や生活、趣味などに使っているのです。

私達は正社員であってもアルバイトや派遣でも、働いたら報酬を得るということが当たり前になっていますので、働くのであれば少しでも多くの報酬があれば生活が楽になり、報酬が少なければ生活が苦しくなるのです。

そういう意味では報酬の無い労働では生活が成り立ちません。

お金を稼がなくてもよい人

托鉢のイラスト

世の中にはお金を稼ぐということをしなくても構わない人が居て、親からの財産で充分に生きていける人もあれば、嫁に働かせて遊んで暮らす夫も居るのですが、そういう人は世の中的には少数であり、一時的には楽しい生活を送ることが出来るにしても、最終的には落ちぶれてしまって、惨めな最期を迎える結果になるようです。

働くことが出来るのに怠けてしまって働かない人には、お金がある間は多くの人が寄ってきますが、お金が無くなってくると誰も近づかなくなってしまいます。

事故に遭ってしまって、或いは病気などで働くことが出来ない人は保険金や生活保護などで暮らすことになりますが、肉体的、精神的に不自由の多い生活の中で、働くということの無い生活が続けば、生き甲斐ということを失ってしまいがちです。

働くということはストレスも多くなりますが、生活にリズムが出来るので健康であるための秘訣なのです。

釈迦の率いる仏教集団では出家者悟りを目指して戒律を守り修行三昧の生活を送っていましたので、お金を稼ぐという事は当然しませんし、彼らの生活に関しては熱心な在家の信者達が布施をすることで成り立っていました。そういった伝統を守っている小乗仏教の出家者は現代でも在家の人がするようなお金を得るための仕事は一切行いません。

出家者は神仏に仕え、修行をしながら衆生の幸せを祈るだけの生活に専念すれば良いのです。

神仏に奉仕

写仏の歴史

神仏にお願い事をして叶ったような場合にはお礼参りをするのは当然のことですが、出来る事なら自分の出来ることでお役に立ちたいと思うもので、寺院の境内をお掃除や作務のお手伝いをすることで、体を使ってお役に立てて嬉しいという感謝の労働は実に清々しいものです。

神仏は私達に対して見返りを要求することなく加護していることに気が付けば、感謝の気持ちとしての神仏に対しての無償の奉仕は当たり前のことなのです。

御先祖様に奉仕

五輪の塔の写真

私達の御先祖は子孫の者の繁栄を願っています。

わが国固有の土着の信仰によれば先祖は死後50年或いは100年経てば家の守り神になると言われています。

家の屋根瓦の一番高い所にある鬼瓦は、そういった先祖が守り神になって周囲に睨みを利かせている姿なのです。

亡き人の法事をするのは、常に亡き人が私達を護ってくれていることに対する感謝の気持ちの表現です。

毎日のお茶湯やお勤めなどもご奉仕ですし、家族仲良く感謝の日々を送ることもご奉仕の行です。

常に護って下さっているご先祖に対して奉仕することは当たり前のことなのです。

災害で困った人に奉仕

台風被害

災害の被災地に行って復旧などのお手伝いをすることで被災者の方の苦しみが和らぎ、喜びの表情に変わることが出来れば、行った甲斐があるというものですし、特に自分が災害の被災者となって困っている時に多くの人に助けてもらった立場であるならば、大きな災害が起こる度にボランティアなどの奉仕をすることが、自分が受けた恩に対する恩返しになるのです。

昔から「困った時はお互い様」と言われるように、自然災害の多い我が国では自分が人を助ける身になることもあれば、人から助けられることもあるのですから、どの立場であっても気持ちよく対応することで私達の祖先は命を繋いできたのです。

社会と国家に奉仕

社会奉仕

私達は社会と国家の一員としての役割があり、社会や国家が平和で安泰であるためには、個々の一員が安心して暮らせること、貧困や病気、災害などで苦しんでいる社会的弱者の人達を皆で支えることなどが必要です。

今私達が平和な日本の社会に生きていることはある意味とても幸せなことであり、世界中を見渡せば自由の無い民族や慢性的な貧困の国、戦争や紛争の続く国もあるのです。

一人一人が社会と国の平和を願う国は安泰であり続けられますので、社会奉仕という意味では私達の行うべきこととして周囲のゴミ拾い、環境美化活動、社会的弱者の方の援助などがあります。

また社会奉仕の団体への寄付や支援なども奉仕になります。

世のため人のため

世のため人のため

私達は死後の世界に持って行くことが出来るものは何もありませんが、善行と悪行だけは持って行くことになり、善行だけ持って行けば良いのですが、悪行も付いてきますので、どれだけ善行を積んだかという事で次の世界が決まるのです。

奉仕は菩薩行でもあり利他行でもありますから、善行として積み立てられます。

奉仕の大切なところは「見返りを期待しない」ことで、せっかく奉仕したとしても見返りを期待してしまえば善行としての効果が無くなってしまいます。

あなたも「世のため人のため」そして「神仏のため御先祖のため」に見返りを期待しない労働をしてみませんか。

もちろん自分の生活が成り立った上でのことなのですが、本来であれば見返りを期待しない奉仕だけを無我夢中で純粋に行う人に対しては、神仏やご先祖が放っておく訳ないのであって、必ず支援して下さるのですから、奉仕が自分の仕事になってしまえばとても素晴らしいことだと思います。