お礼参りとは
お礼参りとは寺院や神社に願い事をして叶った時のお礼として礼拝や布施などを行うこと。
もう一つの意味
お礼参りのもう一つの意味として、犯罪を犯して投獄された者が刑期を終えて社会に戻ってきた時に、自分を警察に通報した人や訴えた人に対して仕返しをするという意味があります。
逆恨みや仕返し、敵討ちなどの行為は仏教では認められていません。
ここでは仏教的な意味について説明致します。
願いが叶った時
寺院や神社にお参りして願い事が叶ったということは神仏の加護があったということで、もちろん願い事をした時には布施や御供は献上したでしょうけれど、願い事が叶った感謝の気持ちを表すためにはお礼という事が必要です。
願い事が叶った時に神仏に対してお礼をするのは人として当たり前のことですが、願いが叶わなかったからと言って感謝の気持ちを表すことが出来ない人には神仏の加護はありません。
神仏は衆生に対する活動の見返りを要求するすることは決してありませんが、時には私達の本心を試すことがあるのです。
願い事を願うにしても全く自分が努力することが無ければ神仏はおそらく見ているだけでしょうし、「願いが叶ったらお布施しよう」などの見返り報酬型のお願いもやはり聞いてもらえません。
たとえ願いが叶わなかったにしても神仏は私達に対して力を授けて下さったのですし、場合によっては今は願いを叶えない方が良いと判断されたのかもしれませんから、そういったことに対してお礼をするのは礼儀というものなのです。
神仏から好かれる人はたとえ願いが叶わなくても常に感謝の心を持ち、御礼を述べるだけの人なのです。
御礼は「いつも有難う御座います」だけでも構いません。
「毎度あり」が商売の基本であるように「いつも有難う御座います」は物事がうまくいくための基本なのです。
神仏との関係
私達と神仏との関係は常に対等ではありません。
神仏は常に私達に対して幸せになるようにと願って居られ、真の幸せへと導いて居られるのです。
私達は神仏の加護を只ひたすらに受けるばかりの身ですから、神仏に対しては常に感謝し、御礼を述べるだけの関係で良いのです。
正しいお礼参り
真の意味での正しいお礼参りとは、願いが叶ったからお参りするということではなくて、常にお礼参りすることです。
神仏に対してはお礼参りだけしていれば、知らないうちに私達の願いも叶えて下さっているのです。
気が付いたら願い事が叶っていた、それで充分なのです。
神仏やご先祖様に対してあまり願い事ばかり言うべからずと昔から言われていますが、神仏や御先祖は願い事を叶えてくれるために存在しているのではなくて、皆の幸せを願っているだけなのです。
神社や寺院から頂いた御札は一年間お祀りしたらお礼参りをしてお返しし、新しい御札を頂くことが礼儀です。
古い御札はお返しした寺社が焚き上げてくれますが、遠方で行くことが出来ない、引っ越ししたなどの理由でお返し出来ない時には高野真言宗やすらか庵のお焚き上げ供養を御利用下さい。