抜苦与楽とは
菩薩や仏が衆生の苦しみを取り除いて楽を与えること。
苦しみとは
苦しみとは衆生が生きていく上で感じる苦しみのことで釈迦は私達人間が生きている限り苦しみから逃れることは出来ないとし、その苦しみは四苦八苦であると説きました。
四苦には
の苦しみがあって、八苦になれば「生老病死」の他に
- 「愛別離苦」…愛するものと別れてしまうこと
- 「怨憎会苦」…嫌いな人と会わなければいけないこと
- 「求不得苦」…求めたものが得られないこと
- 「五蘊盛苦」…人間の体の感覚や心から出てくる五つの作用による苦しみ
が加わります。
これらの苦しみは私達が生きている限り次々と襲ってくるものであり、その苦しみから逃れる唯一の方法が悟りを得て解脱することだと説くのです。
楽とは
楽とは楽しい状態、苦しみから解放された状態で、一切の苦しみが無いことです。
悟りを得て解脱した者が行くことの出来る境地であり、人間世界で経験したような苦しみが無く、永遠に安楽の境地で居ることが出来ます。
菩薩はこの境地に衆生が楽の境地にたどり着くように案内するのがその使命であり、そのために自ら修行しているのです。
抜苦与楽は誰がする?
人の苦しみを取り除いて楽を与えることは仏教に於ける大いなる功徳になることであり、それは如来になるために修行している菩薩の仕事です。
菩薩は困っている人を救うことで如来になることが出来るのですから、菩薩の中でも特に宝蔵菩薩は全ての衆生を救わなければ如来になることが出来ないのです。
宝蔵菩薩は既に阿弥陀如来になっているのだから、全ての衆生が既に救われていると説くのが浄土教です。
しかしこの抜苦与楽は菩薩だけが行うものではありません。
天界に於いても、浄土に於いてもその住人の全てが行っていることで、浄土のような苦しみの無い世界では与楽だけの実践になりますが、争いの無い平和で穏やかな世界では他に楽を与えることが自らの楽になるのです。
私達も「抜苦与楽」の実践で苦しんでいる人を助け、そして楽にして差し上げることで平和で穏やかな関係を築くことが出来るのです。
抜苦与楽を実践して居れば騙したり騙されたりと言うことがありません。
お互いに本当に信頼出来る関係になるのです。
抜苦与楽は身近な所で実践できるのですから、まずは家族の中で実践してみましょう。
夫婦間の抜苦与楽
夫婦間でお互いに抜苦与楽を実践すれば本当に信頼出来る関係になります。
まずは相手の困っていることや苦しんでいることを真剣に聞いてあげましょう。
お互いにあまり話をしない夫婦では、相手の苦しみを聞いてあげる事なんていうことがあまりありませんが、相手の苦しみを只聞いてあげるだけでも心が楽になるものです。
一方的な意見を言ったり、相手の言うことを途中で遮ったり、自分の事しか言わない人に対しては心の扉を開いて苦しみをさらけ出すようなことは絶対にしません。
相手の身になって真剣に聞いてあげることが大切なのです。
何か言いたくなっても、たとえ自分が非難されることであっても、とにかく聞いてあげること、満足な意見が言えなくても構いません、言うだけで苦しみが無くなるようなこともあるのです。
苦しみを取り除いてあげることが出来たなら、苦しみが取れたことを喜んであげる事、それが楽につながるのです。
こういった基本的なことをすることを忘れた夫婦が破滅の道を歩んでいるのです。
親子間の抜苦与楽
親は子の苦しみを只ひたすらに聞いてあげましょう。
面倒くさいからとか、時間が無いから、忙しいからという理由で聞かないことで、何も言わないようになってしまいます。
親の思いを子に押し付けては絶対にいけません。
ああしなさい、こうしなさいという命令口調もいけません。
相手が子供であるから、こちらが大人であるからと言う理由で上から目線で意見を述べてはいけません。
充分に聞いてあげて、何か出来ることがあったらすぐに行動してあげましょう。
聞くだけで放ったらかしにしているのは聞かないことと同じです。
すぐに動いてあげることで信頼関係が築けるのです。
たとえ無駄なことが分かっていても、動いてあげることです。