空也上人とは

空也上人のイラスト

空也上人は平安時代中期に活躍した念仏僧で、阿弥陀聖(あみだひじり)、市聖(いちのひじり)、市上人(いちのしょうにん)とも呼ばれています。

空也上人の生涯

空也上人のイラスト

延喜3年(903)生まれとされ、醍醐天皇の皇子とも言われる空也は、延喜22年(922)に尾張国分寺で出家して空也と名乗り、在俗の修行者として「南無阿弥陀仏」の名号を唱えながら道路や橋、寺院を作るなどの社会活動に邁進し、天慶元年(938)京都洛中を中心として口称念仏を称える活動を本格的に実践しました。

天禄3年(972)東山西光寺(現在の六波羅蜜寺)にて70歳で示寂しました。

時代背景

火山爆発のイラスト

空也上人の活躍した時代は平安時代中期の混乱の多い時代であり、自然災害や政情不安、疫病の流行、盗賊の横行などで庶民の生活は困窮しきっていました。

同時代に活躍した恵心僧都源信は「往生要集」を表して六道地獄餓鬼畜生阿修羅人間天界の世界の詳細を克明に表してこれらの世界から離れるべく阿弥陀如来の念仏「南無阿弥陀仏」をすすめ、人の死に際して阿弥陀如来来迎図から繋がれた糸を握りながら念仏することで救われるという教えを広めました。

源信の教えが貴族階級に広く受け入れられたのに対して空也上人は修行僧として市井の中に身を投じ、社会活動を実践しながらの念仏を布教したことで多くの庶民階級の人達の支持を得ることが出来ました。

空也上人の踊念仏は一遍上人に引き継がれて社会的な流れとなり、更にその流れは大きくなっていくのです。

口から南無阿弥陀仏

 

空也上人仏像
重要文化財 空也上人立像 康勝作

空也上人の口からは念仏を称える度に「南無阿弥陀仏」の仏が出ていたそうです。

その様子を表した京都六波羅蜜寺の仏像は空也上人没後約250年経過して作られたもので、仏師、康勝による「空也上人立像」は世界でも類を見ない珍しさもあって一度見たら忘れることが出来ない仏像です。

念仏踊りは盆踊りのルーツ

念仏踊りのイラスト

空也が「南無阿弥陀仏」を唱えながら鐘を叩いて踊れば、それに釣られて次々と踊る人が増えていき、皆が恍惚状態で極楽浄土の阿弥陀如来様に救われていく一種の独特な世界が出来上がる、これこそが誰もが救われる宗教としての感覚を味わうことの出来る修行なのです。

京都市中で鐘を叩きながら念仏踊りを広めていった空也は念仏することと踊ることを組み合わせた画期的な布教を編み出した宗教者です。

この大きな流れは盆に先祖の居るであろう阿弥陀如来の世界への入り口が提灯の灯りに灯されて浮かび上がる中で、苦しい時代にあっても誰もが必ず救われるという希望が持てる盆踊りの伝統につながっているのです。