貧乏神とは

貧乏神のイラスト

貧乏神とは取り憑いた人や家を貧乏にしてしまうという神のこと。

貧乏神の姿

貧乏神は薄汚れて継ぎはぎの服装を身にまとい、痩せこけて顔が青ざめ、頭は髪の毛がぼさぼさの年寄りの姿として表され、憑いたひとを貧乏にしてしまうことから嫌われ者の存在になっています。

仲間内同士の会話でも、その人が居るためにお金が回らなくなったり、お金を食い潰すタイプの人のことを「あいつは貧乏神だ」という言い方をするものです。

貧乏神は杖を突いていたり団扇を持っていたりしますが、貧乏神は味噌が好物なので、その味噌の香りを嗅ぐために団扇を持っているとのことです。

貧乏神は自分が貧乏なのはもちろんですが、誰かに取り憑いて、その相手を貧乏にすることが特徴であり、神様らしくない格好をしていて、相手を不幸にするのに神として扱われるのには訳があります。

貧乏神の由来

貧乏神は神である

江戸時代のの随筆家津村淙庵の著書「譚海」によると、ある者が昼寝をしていた時にボロボロの服を着た老人が座敷に入ってくる夢を見てから貧乏になってしまったけれど、4年後に再び夢に現れて、貧乏神が家を去るため、そして二度と来ない方法として言われた方法として

  • 少しの焼き飯と焼き味噌を作り、おしきに乗せ、裏口から持ち出し川へ流すこと
  • 貧乏神は味噌が好きなので、焼き味噌を作らない、生味噌を食べないこと

を実践した結果、貧乏ではなくなったということで、実は人を幸せにする神のようです。

井原西鶴「日本永代蔵」によれば、嫌われ者の貧乏神を祀ったら七草の日に貧乏神が夢枕に現れて感謝の意を伝えられ、お礼に金持ちにしてもらったということで、貧乏神は正しく祀れば良い神様だという事が分かります。

しかし貧乏神は家から出ていっても、また次の家に取り憑くことを繰り返しますので、歓迎すべき神ではありません。

貧乏とはお金が無い事

貧乏神は家の中の押し入れに住むと言われていますが、押し入れとは物をしまい込んでおく場所で、一日中暗い所ですから、貧乏神にとっては格好の住処になるのです。

貧乏神が住み着きますとお金が出るばかりで入ってくることが無くなることで貧乏になるのですが、入ってくるお金以上に出ていく場合にも貧乏になります。

またたくさんのお金を持っている人でもまだ欲しいまだ欲しいと走り回っている人も貧乏人です。

お金が無い、物が無いということは俗世間で暮らす私達にとっては不幸なことで、服を買うことが出来なければ寒くても我慢するしかなく、食べ物すら買えないともなれば飢えに苦しむということになってしまいます。

お金はたくさんあった方が豊かになって良いに決まっていますが、たとえたくさん持っていてもまだ欲しくなるのがお金であり、人の物であっても欲しくなるのがお金なのです。

仏教と貧乏

釈迦の仏教では所有することが欲望であるとして、欲望は解脱、つまり悟りを得るためには最大の障礙となるので、徹底的に欲望を排除するために出家した僧侶は自分の持ち物を持つことを許されませんし、家族を持つことも執着になるとして妻帯も認められませんでした。

出家者がが持つことを許されたものとしての三衣一鉢は着るものとしての衣と托鉢をするための鉢のみで、その糞掃衣と言われる衣でさえもゴミ捨て場から拾ってきた布を継ぎはぎして作るという徹底した「無所得」の姿勢が貫かれていたのです。

しかし物を持たないことは決して貧乏なのではなくて、たとえたくさんの金品を持っていても死後の世界に持っていけない事、金品を必死で守ろうとする欲望が悟りを邪魔する事、そして悟りの世界の素晴らしさを知ってしまったら、この世の宝物を全部集めても何の価値も無いことが分れば、こだわる必要が無いことに気付きます。

衆苦の源は貧苦にしかず

毘沙門天と青空

毘沙門天王功徳経毘沙門天の功徳が書いてある経で、礼拝する勤行で使われる経典ですが、その中には「衆苦しの源は貧苦にしかず」という内容があり、皆が苦しむ原因は貧しい事であると説かれています。

功徳経には福徳を得るための礼拝法が細かく書かれていて、八方向に向かって「オンベイシラマンダヤソワカ」の真言を唱えることで願いが叶うとされます。

毘沙門天は金運の神としても有名ですが、「貧乏にだけはならないように」と説かれているのはお金の貧乏はもちろんのことですが「心が貧乏ではいけない」という意味なのです。

心が貧乏と言うことは具体的に

  • お金を自分のためだけに使う
  • いくらあっても満足しない
  • 人のために使わない
  • 神仏や先祖のために使わない
  • 困っている人に分け与えない
  • 人のものを奪い取る
  • 感謝の気持ちが無い
  • 使い方が汚い

こういうことを心の貧乏と言うのです。

心が貧しければ決して幸せになることが出来ないから、心を豊かにして、そうすればお金を使うにしても人の幸せのために使うことが出来、そうしたお金は廻り廻ってさらに増えて戻ってくるのです。

お金は御札であり、「おさつ」と読みますが「おふだ」とも読みますので、元々は神様にお供えするものだったのです。

貧乏神の反対は福の神

七福神と宝船無料イラスト素材

どうせ家に来てもらうなら、貧乏神よりも福の神に来てもらった方があらゆる面で家が繁盛して豊かになり、家族が健康で仲良く平和に過ごすことが出来ます。

心の中が貧乏で自分のことにしか使わない、家族にさえ渡さないような人は貧乏神の格好の餌食になります。

たとえ持っているお金が少なくとも、家族の幸せのために使い、家族の笑顔が幸せだと心の底から思える人には福の神がしっかりと付いてくれます。