死神とは

死神とは

死神(しにがみ)とは人に取り憑いて、人を死に至らしめる、または死にたくさせる神のことです。

死神と閻魔大王

閻魔大王の写真

死神は西洋では頭からマントを被って長い棒の付いたカマを持つ骸骨の姿で表現され、人の死を司るとされる神ですが、仏教では人を死にたくさせる死魔に憑かれることによって死にたくなる衝動に駆られる死魔のことを死神と言うとされます。

閻魔大王は神々の世界から人間界に降りてきた最初の兄妹であるヤマとヤミーのヤマのことで、そのうちヤマとヤミーは結婚することになったのですが、ヤマの方が先に死んで、人として最初に死んだ者として「死の道」を発見して死者の国の王になったのが閻魔大王なのです。

閻魔大王は死者の国の王として君臨すると共に、死者を裁く役割も持つことになりますが、人の死を決定するような役割ではなくて、死後の世界の裁判官としての要素が強く、仏教的には生前の行いの結果として死後に裁かれることから、勧善懲悪の教えに結び付いているのです。

仏教と死神

釈迦は悟りを得る前の瞑想の修行の時に、釈迦が悟りを得ることによって安楽の世界が築かれることを阻止しようと魑魅魍魎や魔物の類がこぞって美女の形で誘惑したり、恐ろしい魔物や死神の姿として襲い掛かったそうですが、釈迦はそういった者たちの真の姿を見抜き、決して心を動かすことがありませんでした。

仏教では私達が生まれながらに持つ、生老病死の四つの苦しみの内の最大の苦しみである死というものが最も恐れられているのです。

突然死のように何の前触れもなく亡くなるような場合には、死神が死魔という魔物として突然襲い掛かってくると考えられるのは当然のことと思われます。

しかしながら仏教は人として生まれた以上必ず来るものとして捉え、それまでの時間を無駄にすることなく修行しなさいと説くのです。

死神の役割

私達は物事が上手くいかなかったり失敗したり、絶望的に落ち込んだ時などには生きていても仕方ないと思い、死にたくなる衝動に駆られるものです。

私達に苦しみがある以上、私達の苦しみを取り除こうとする神も居ますが、私達が苦しむ姿を喜ぶ神も居る訳で、貧乏神はお金と人の心を貧乏にして、疫病神は病や災いを持ち込み、死神は死をもたらす神として存在しているのです。

死神は「死にたい」と言い続けている人に取り憑いて、どんどん状況を悪くして、最悪の状況になることを望んでいるのです。

死にたくなるのは死神のせい?

今の時代、新型コロナで業績悪化、リストラ、会社倒産などの影響で大切な人やお金を失って、借金地獄の毎日で毎日が修羅場なら、もう地獄に堕ちてもいいからこの苦しみから逃れたいと死を選ぶ人が増えています。

死にたくなるのは死神が憑いたからなのですが、元々心の中にあった死にたいという願望に取り憑いただけのことであって、死にたいという願望が最初からなければ取り憑くようなことはありません。

しかしながら私達の人生の中ではどうにもならないような状況になってしまうことがある訳で、そういう時に落ち込むのは人として自然なことですが、最後まで決して諦めないことが大切で、そういう人に死神が取り憑くことはありません。

もしくは完全に諦めて開き直り、後は罪滅ぼしの人生を歩むのみ。

出家と言うものは俗世間のつまらぬ執着や恨み、妬みなどから離れて心を清浄にすることです。

俗世間の垢にまみれている間は人に裏切られたり騙されたりするのは当然で、世渡り術というものは人を騙し裏切り傷つけながらも自分を守るための術であり、仏法に照らし合わせて善か悪かということで判断すれば悪の道ということになり、皆が揃って悪の道の実践方法を磨いているのが現実なのです。

死神に憑かれたと思ったら

毘沙門天が手を差し伸べている写真

死神に憑かれたら真っ暗闇の地獄への階段を転がるように落ちていき、止まらなくなります。

こうなってしまったら自分で止めることが出来なくなってしまいますので、毘沙門天のような強い神に付いてもらうのが一番の方法です。

何故毘沙門天かと言えば天の世界は私達の世界に隣接していますので、すぐに助けに来て下さる身近な神であり、魔物を寄せ付けないという使命を持ち、強大な力を持っておられるからなのです。

私達はこの世の世界でも一人では生きていくことが出来ません、多くの人の支えによって成り立っていますが、更に目に見えぬ神々の力を頂くことにより、今まで解決しなかったことも解決するようになるのです。

毘沙門天信仰ご覧ください、祈りの真言「オンベイシラマンダヤソワカ」はとても役に立ちます。

お願いするのに必要な真言は是非唱えてみて下さい。