糞掃衣とは

糞掃衣

糞掃衣(ふんぞうえ)とはゴミとして捨てられた布を拾い集めて縫い合わせた僧の衣のことです。

なぜ糞掃衣?

釈迦の時代には修行僧は毎朝托鉢に出て食べる物を集めて回るのが日課で、あとは修行のみの生活で、普通の人のように生活のために働くということをしませんでしたので、身に付ける衣は、捨てられていた布を拾い集めて縫い合わせて作っていたのです。

当時では布はとても高価な物であり盗賊に襲われることもあったので、そのような被害に遭わないためにもぼろ布が使われたのです。

禅の曹洞宗を開いた道元禅師は「正法眼蔵」で、「糞掃衣には火焼衣(かしょうえ)=焼け焦げのある衣、牛嚼衣(ごしゃくえ)=牛によって痛んだ衣、鼠噛衣(そこうえ)=鼠によってかじられた衣、塚間衣(ちょうかんえ)=神廟や塚に捨てられた衣がある」と述べています。

美しい着物で着飾りたい、新しい服が欲しい、もてたい、少しでも自分を良く見せたいということは欲望であり、煩悩なので、修行者としてそういった煩悩を捨てるためには着る物に対して一切のこだわりを持ってはいけないのです。

当時は裸で修行する人も多く、何も持たない、欲望が無いということで尊敬されていたのです。

糞掃衣の縫い方

糞掃衣の材料は、捨てられていた布ですから、ボロボロになっていたり、汚れていたりしていたからこそ捨てられているのですが、そういった布でもまだ少しでも使える部分があれば洗ってからまだ使える部分を切り取って、さらに小片にしてバッチワークのように縫い合わせていくのです。

死者を包んでいた布などても使われていたようですから、汚いとか汚れている、怖いなどの感情を捨て去らないと着用することは出来ません。

仮に大きな四角い布があったとしても小片にするのは、他に流用出来ないようにして布に対する執着を捨てるためなのです。

仏教の基本としての糞掃衣

我が国で僧侶が身に付ける袈裟は僧としての位が高ければ高い程豪華な生地が使われていて、その生地にしても捨てられていた物では無くて、特注で作られた物ですが、その特徴は一枚の布では無くて、敢えて田の字のように継ぎ接ぎして作られていることです。

これは釈迦が身に付けていた糞掃衣の精神を引き継いでいるからなのです。

その由来は釈迦が水田の傍を通った時に弟子に美しい水田のような衣が作れないかという問いかけに応じて作られたとも言われていて、ぼろ布を集めて作るという統一感の無い作り方であっても枠組みに規則性を持たせることによって一目で僧侶と分かるように改良されて現代に受け継がれているのです。

しかし袈裟だけがその精神を受け継いだところで、それを身に付ける本人がそういった仏教の精神を知らない、或いは学ぼうとしない、人に説こうとしない僧が数多く存在します。

近年では僧侶が豪華なアクセサリーを身に付けて高級車に乗り、贅沢三昧の生活を送って、法事やお葬式では豪華な袈裟を付けて臨んだところで、釈迦が見たら嘆かれることでしょう。

糞掃衣を作る

釈迦の精神を受け継ぐ糞掃衣、仏教の基本は「持たないこと」、僧侶に許された持ち物は托鉢の時の「鉢」と「糞掃衣」のみなのです。

実際に使える糞掃衣

糞掃衣

これは私が全て手作りした糞掃衣で、七條袈裟、地蔵袈裟とも言われるものです。

布地はゴミ捨て場で拾ってきたものではありません、買ってきたものですが縁は金襴生地で縁取りして、中のオレンジ色の部分は無地の金襴です。

本当は全部手縫いでしかも縫い目が見えないように縫わないといけない決まりがあるのですが、ミシンでダーっと直線縫いして1週間程度で仕上げました。

袈裟って買えば結構な値段がするもので、この程度でも〇十万円するものです。

もうこれを作ってから10年程度経過しますが、当時は袈裟を買うお金が無くてやむを得ずに作ったという次第ですが、今思えば自分の袈裟を自分で作ること自体がとても価値のあることではないかと思います。

こんな立派な物では糞掃衣とは到底言えませんが、それでも釈迦の精神は引き継ぎたいと思っています。

今度は本当にボロボロの布で挑戦してみたいと思います。