懺悔とは

懺悔とは

懺悔とは自分が犯した過去の過ちを神仏や師僧の前で告白して悔い改めることです。

仏教教団での懺悔

釈迦在世当時の仏教教団では、教団に入門した出家修行者が守らなければいけない多くの戒律がありましたが、とても厳しい戒律を守り続けることは困難を極め、時として気の緩みから守ることが出来なかったり破ってしまうことがあり、過ちを犯してしまった場合には師僧の前で告白する「布薩」(ふさつ)という行事がありました。

出家者の男性、比丘が守るべき戒律は250戒、出家者の女性、比丘尼が守るべき戒律は348戒あって、生活の規律の細かいところまで決められていましたので、入団して間もないような出家者にとって覚えるだけでも大変な戒律を正しく守ることは困難なことで、師僧から指摘されて初めて過ちを犯したことを分かるようなこともあったのです。

布薩とは

布薩とは仏教の教団に所属する出家修行者が毎月二回、新月と満月の時に集まって具足戒の戒本を読み上げて、戒に触れていないかを確認し、過ちを告白して反省する行事の事で、誰もが必ず参加しなければいけない行事でした。

一人一人の修行者が戒律を守るということは仏教の教団の規律を守り、平等かつ平和で安全な団体生活を維持していくのに必要なルールだったのです。

仏教では戒律を守ること自体がとても意味のある修行であり、悟りに近づくための絶対条件なのです。

四波羅夷罪とは

追放のイラスト

四波羅夷罪とは破った時点で教団追放になりますので、懺悔しても許される過ちではありませんし、再出家も認められませんので、特に気を付けなければいけない戒とは

  • 婬戒…性行為をしない
  • 盗戒…他人のものを盗んではいけない
  • 殺戒…生き物を故意に殺してはならない
  • 妄語戒…嘘をついてはいけない

釈迦の在世中は特に戒律などはなく、誰でも出家出来ていましたが、出家者にとって戒律が出来たのは、釈迦の教団が出来てから十三年目のことで、それは家系を絶やさないでほしいと母親に泣きつかれた比丘が、出家する前の妻と子供を作る行為をなすという事件のことでした。

それに対して釈迦は、「たとえ毒蛇の口の中に男根を入れることがあっても、女根の中に入れてはならない」とその比丘を呵責し、ここに初めての禁戒である淫戒(いんかい。淫をおこなってはならない)が制定されたのです。

この戒があるために我が国でも明治時代までは僧侶の妻帯は許されず、子供をもらってきて後継者として育てたり、弟子として入門した小僧を育成して後継者にしていたのです。

不妄語戒にしても嘘をついただけで教団から追放されるのですから、自分の犯した過ちについては、嘘をつくことなく正直に告白して反省することが最善の方法であり、皆が自らの過ちを包み隠すことなく告白することで教団としての規律が保てたのです。

三通りの懺悔

親鸞聖人の高僧和讃によれば懺悔には三通りの懺悔があり、下品、中品、上品となっていて、この懺悔を行えば罪が消えるのですが、これは普通の人が出来る技ではありませんので不可能だと思います。

  • 下品の懺悔…目から熱い涙、全身の毛穴から熱い汗を流して懺悔
  • 中品の懺悔…目から血の涙、全身の毛穴から熱い汗を流して懺悔
  • 上品の懺悔…目から血の涙、全身の毛穴から血の汗を流して懺悔

最も浅い懺悔が「下品の懺悔」で中ぐらいの懺悔が「中品の懺悔」最も深い懺悔が「上品の懺悔」になります。

誠に申し訳ありません私が悪う御座いました、二度と致しません、罪を償う人生を歩みますと心から反省して、血の涙と汗を全身から流すまで全身の細胞に言い聞かせることが最高の懺悔なのですが、果たしてこのようなことが出来るのでしょうか。

本当に懺悔をしようと思うのなら、これ位難しいことだから、過ちをしないように心掛けた方が良いということなのです。

修行としての懺悔

同行二人のイラスト

誰でも過ちは犯すものですが、善い行いをするように努力し、過ちを犯さないように、そして過ちを犯した時に懺悔することは仏教の修行です。

正しい行い

正しい行いとは戒律を守ることで、在家の方は五戒を守り、出家の方は十戒を守れば自然と正しい行いに結び付きます。

正しい行いが出来なかった時、正しくない行いをした時が懺悔すべき時です。

五戒について

五戒は在家の人が守るべき戒です。

五戒は五つの戒から成り立ち、最も重要度の高い順から並びます。

  • 不殺生戒(ふせっしょうかい)…生き物を故意に殺してはならない
  • 不偸盗戒(ふちゅうとうかい)…他人のものを盗んではいけない
  • 不邪婬戒(ふじゃいんかい)…不道徳な性行為を行ってはならない
  • 不妄語戒(ふもうごかい)…嘘をついてはいけない
  • 不飲酒戒(ふおんじゅかい)…酒類を飲んではならない

十戒について

受戒、授戒とは

十善戒とは仏教に於ける十悪を否定する形にした戒律のことです。

  • 不殺生(ふせっしょう)…生きものを殺さない
  • 不偸盗(ふちゅうとう)…盗まない
  • 不邪淫(ふじゃいん)…淫らな行いをしない
  • 不妄語(ふもうご)…嘘をつかない
  • 不綺語(ふきご)…お世辞などを言わない
  • 不悪口(ふあっく)…悪口を言わない
  • 不両舌(ふりょうぜつ)…二枚舌を使わない
  • 不慳貪(ふけんどん)…むさぼらない
  • 不瞋恚(ふしんに)…怒らない
  • 不邪見(ふじゃけん)…間違ったものの見方をしない

毎日の勤行

祈る

懺悔は本来、神仏に対して行うものであり、自分の為した行為の原因と結果は神仏のみ知ることなのです。

そういう意味では毎日お勤めする中で神仏に対して懺悔をすれば心が洗われてくるのです。

真言宗の勤行の仕方、お経、次第無料ダウンロード

特に何宗と言うことにこだわらなくても結構です、御縁がある神仏を礼拝し、御縁がある経典を読誦すれば自然と神仏が導いて下さるのです。

懺悔文について

懺悔のイラスト

懺悔文は真言宗のお勤めの中にもあり、勤行をする人なら毎日唱える経文です。

我昔所造諸悪業 [がしゃくしょぞう しょあくごう]
皆由無始貪瞋痴 [かいゆむし とんじんち]
従身語意之所生 [じゅうしんごい ししょしょう]
一切我今皆懺悔 [いっさいがこん かいさんげ]

その意味は

「私が遥かなる昔から造ってしまった諸々の悪業は、無限の過去からの貪り怒り無知が原因の身体と口、心から出てきたものであり、それらの行いの全てに対して今私は懺悔致します」

私達人間は罪深い存在であって、知らないうちに過ちを犯していて、それは遥か昔に犯した過ちかもしれませんし、今の記憶には無い過ちかもしれないのです。

過ちに対して常に意識する

過ちに対する意識-懺悔

相手に対して過ちを犯していることに気が付かない人が案外多いもので、知らないうちに人を傷つけていたり、悲しませていたとしたら、とても罪深いことです。

自分では気が付かない過ちでも罪になりますので、常に正しい行いを意識するようにしましょう。

謝るつもりのない「ごめん」の連続も罪を深くしてしまいます。

人に対して謝ることが出来なかったら神仏に対して謝ります。

一回謝れば良いだろうというのは間違いで、謝り続けるのです。

言葉だけではなくて態度で実践し続けるのです。

自業自得、自分の為した行いの結果は自分で受けるという真実は不変であり、過去の過ちに対して悔い改めることが出来るのは自分自身しか居ないのです。

そういったことを意識した上で仏の心を持ちましょう。

この世が極楽浄土になることは困難ですが、天の世界に近づくことは可能であり、自らの行いを正し、他を思う心を持てば良いのです。

早速今日から懺悔を始めてみませんか?

何かが変わって、今まで動かなかったものが動き始めるはずです。