大日経とは

大日経-久米寺のイラスト

大日経とは7世紀の初期に西インドで成立した経典で、正式名称を「大毘盧遮那成仏神変加持経」と言う密教の根本経典です。

大日経の由来

大日経のイラスト

「大毘盧遮那成仏神変加持経」( 七 巻)は7世紀の初頭に西インドで成立した経典で、唐の開元13年(725)にインド僧の善無畏三蔵が80歳の高齢の身でありながら中国にもたらし、中国人の弟子一行の協力を得て漢訳されました。

善無畏三蔵は不空三蔵より真言の法を授かった僧で、東インドで王子の身として生まれましたが出家してナーランダ寺で真言密教の奥義を授けられ伝持の第五祖になります。

善無畏三蔵のイラスト

一行阿闍梨は善無畏三蔵より真言の法を授かった僧で、中国人初の密教の相承者であり、伝持の第六祖になります。

一行阿闍梨のイラスト

大日経は真言密教の成立以前に伝えられていた呪術的な儀礼や瞑想法などを仏教の思想として体系づけて、成仏を目的とした経典としての重要な位置付けがあったのです。

空海と大日経

歩いて修行する空海-静止画その5

空海は18歳にして今日の大学に入学。成績は常に優秀で、このまま進めば間違いなく当時のエリートである官吏になれるはずでありましたが、一人の沙門(官の資格を持たない修行僧)と出会い、「虚空蔵求聞持法」という行法を授かって以来、将来を約束された大学を突然飛び出してしまいます。

大学を飛び出してからの正確な足跡は不明で、山岳修行の日々を過ごしていたようですが、「久米寺の東塔に大日経がある」との夢のお告げを受けた空海が実際に久米寺を訪ねて大日経を発見して心打たれ、その完全なる理解のための師を求めて入唐求法を決心したと言われています。

大日経の内容は非常に難解で空海が発見するまで全く日の目を見ることが無かった経典ですが、その内容の大切さを痛感した空海は激しく求法の心を動かされたと思われます。

大日経の内容

仏教の経典は教主である釈迦が説いた内容を弟子が聞き取って会議を開き、まとめあげた形式になっており「如是我聞」つまり「このように私は仏から聞いた」という出だしから始まりますが、大日経では宇宙の真理を神格化した大日如来諸菩薩の代表である金剛薩埵(こんごうさった)の質問に答えるという形式になっているのです。

内容としては真言宗の理論の「教相」と実践の「事相」部門から成り立ちます。

教相の部分では金剛薩埵の問いに対して毘盧遮那如来が菩提心を説くなど、密教の理論的な根拠が説かれています。

事相の部分では胎蔵界曼荼羅の描き方や真言、密教の儀式などが詳細に説かれていますが、師僧からの直接的な伝授が無い限りは完全に理解出来ないとされ、そういった師子相伝の秘密の部分であるが故に密教と呼ばれるのです。