金運上昇とは

金運上昇のイラスト

金運上昇とはお金に関する運勢が上がっていくことで、出るお金以上に入るお金があって不自由することなく、お金がよく廻っている状態のこと。

金回りとは

お金を回すイラスト

「あいつは金回りが良い」と言えば、たくさんのお金をよく使うけれどすぐにお金が入ってくる人のことで、常にお金に余裕があり気前の良い人のことを言いますが、お金というものは使うことと入ってくることが必ずセットになっていて、使うよりも入るお金の方が多ければよく貯まって金持ちになり、入ってくるお金より使うお金の方が多ければ借金ばかりの貧乏人になってしまいます。

お金は「円」と言いますが、「縁」があって廻ってくるものであり、円(まる)い車輪のように廻し続けるものですから、経済は廻すものであり、世の中も経済と共に廻っているというのがお金の正体なのです。

お金と幸せ

お金がたくさんあれば豪邸に住んで好きな物を躊躇なく買ったり、おいしい物を食べたり、海外旅行に出かけたりなど、この世の楽を享受出来ますのである意味とても幸せなことです。

極楽浄土悟りを得た者が住む世界で、何不自由ない快適な環境でありますが、お金さえあればこの世に極楽浄土に似せて快適な環境と快楽に満ちた世界を作り出すことも可能なのですが、極楽浄土と決定的に違う所はこの世での快楽が何時までも続く訳ではないということです。

釈迦は一国の王子として国王になるべく大切に育てられ、季節に応じて春・夏・冬の宮殿で過ごし、季節の花が咲き誇り、常に最上の香が焚かれ、最上の衣服をまとい、心地良い歌舞音曲が提供されるなどの全く不自由の無い生活を捨てて出家したのは、そういう生活が何時までも続かないことを悟っていたからこそ、真の意味での幸せの境地を求めたのです。

この世での最高の幸せを味わっていたにしても、歳を取れば味わうことが出来なくなりますし、必ず訪れる死は最大の苦しみであり、死によって終わってしまうのです。

人生なんてあっと言う間に終わってしまうから、いくらお金があっても死んでしまえば使えないから、お金で幸せが買えないから、という事を釈迦は分かっていたのです。

金運について

しかし私達は人間世界に生きていますから、最初から悟りを得る事なんて無理であり、せめてこの世で生きている限り小さな幸せで構わないから楽しく過ごしたいものです。

人間として生まれたのならまずは人間として幸せになるべきです。

人間としての最高の幸せは天の世界につながる幸せです。

天の世界は私達の世界のすぐ隣にあり、毘沙門天の居られる世界、他を幸せにする世界です。

毘沙門天はお金を持つことを否定しませんし、毘沙門天王功徳経には

福徳(ふくとく)を得(えん)と欲(ほっ)する者(もの)は 丑寅(うしとら)に向(むかっ)て 名号(みょうごう)を 一百八遍(いっぴゃくはっぺん)称(しょう)すれば だ大福徳(いふくとく)を可得(うべし)

と書いてあるように丑寅の方角に向かって真言を唱えなさい、と福徳を得ることをすすめています。

但し天の世界では福徳にしてもお金にしても自分のためにだけ使うのではなく、人を幸せにするために使うのです。

毘沙門天と金運

毘沙門天と金運

お金というものが元々は神々に供えるための札であって供物であることを思えば、私達は神に供えた後のお下がりを使わせて頂いてるのであって、皆が幸せになるように使いなさいよという目的がある訳で、目的通りの使い方をして初めて神々に応援して頂けるのです。

毘沙門天は妃の吉祥天、子の善膩師童子と、天の世界にありながらも人間世界での家族の姿と同じ姿をとっていることから、まずは家族を幸せにすることを説いておられるのです。

お金を自分のためではなくて家族の幸せのために使う事、これが毘沙門天の説く金運上昇の秘訣であり、更には他を幸せにすること、そして世の中を幸せにすることにつながっているのです。

金運上昇の秘訣は家族の幸せ、そして他を幸せにすることにつながっているのですが、私達人間には欲望、そして執着というものがあり、苦労して得たお金だから、自分のためだけに使いたい、誰にも渡したくないと思うのは当然の事ですが、そこがお金に秘められた罠なのです。

たまには家族に奮発しておいしいものを食べさせてあげること、欲しい物を買ってあげること、好きなように使いなさいと渡すことが大切な事で、たとえ感謝されなくても「勿体ない事をした」なんて狭い心になってはいけないのです。

500円で個別に拝んでお送りする手作りお札

毘沙門天祈願

500円で個別に拝んでお送りする手作りお札です。

毎朝毘沙門天の礼拝をしていますので、その時に個別に拝んだ御札を送りますので効果抜群です。一枚一枚手作りですから、気合の入り方が違います。私の手書きメッセージ付きです。

金運上昇の御札