身体健全、無病息災-御札

人として生まれたら避けられない苦しみに「生老病死」があります。これは四苦と言いまして、お釈迦様が悟りを得る修行を始めた大きな要因であり、これらの苦しみから脱却するためには解脱と言いまして、悟りを得ることしか無かったのです。

身体健全

体の状態が全く健康であり、機能が全て正常である人はなかなか居ないものですが、それでも全く健康である人が普通に過ごしていれば、健康に対して何とも思わない訳で、健康に気を付けようとか、健康が有難いという意識も少ないものです。

そういう人でも一度大きな病気でもすれば、健康の有難さが身に染みて分かるものですが、また健康な状態が長く続けば健康の有難さが無くなってくるのです。

健康であることに感謝

病気になって寝たきりになったりしますと、痛い、辛い、苦しいの日々が続きます。仕事が出来ません、動けません、お金が減るばかり、やりたいことも出来ません。ひょっとしたら死ぬのではないかと思えば生きる希望さえ無くします。

しかし実際に世の中、病気で寝たきりの方がたくさんおられます、それでも希望を持って生きているのです。そういった方に比べたら健康であることが、何と贅沢なことでしょうか。

今現在健康である人は健康であることに感謝しなければいけません、毘沙門天に対して「今日も健康で有難うございました」と感謝の言葉を述べるのです。健康は自分が得たものではありません、与えてもらったものであり、感謝することによってより一層の健康を与えて頂けるのです。

健康の使い方

そして自らの健康を社会的に弱い人達に少しでも役に立つようにいたしましょう。杖をついて歩いている人が困っていたら手を差し伸べましょう。車椅子の方が困っていたらお手伝いして差し上げましょう。電車の中でお年寄りの方がいたら、席を譲って差し上げましょう。災害のボランティアなどの社会貢献も良いものです。困っている人を助けることは、功徳となり、自分自身の大切な宝物になります。

無病息災

病気もしなくて災難も無いということは、まさに平和な状態であり、理想なのですが、病気や事故、怪我、火災や水難などの災難というものは突然やってくるものであり、避けようがないということもあるものです。昔は怖いものを例えるのに、地震雷火事親父と言ったものです。

災難とは

災難には自分の内から出てくる災難と外からやってくる災難があります。

内なる災難

自分の中から出てくる災難としては病気や仕事上の失敗などです。ある程度気を付けていれば、或いは正しい判断が出来ていたら災難にならずに済むこともあります。

外から来る災難

事故や怪我、火災や水難などですが、全く予測が付かないことで、自分だけが被害に遭うこともあれば、周りの人が皆被害に遭うこともあります。近年では気候変動による異常気象が引き起こす災害が顕著になって参りました。天災では無くて人災としての災害は無くすよう、私達一人一人が日頃の生活を改める必要があるのです。

災難に対する心がけ

災難はなるべくなら避けて通りたいものですが、厄払いと同じく、通り抜けてこそ以前より強くなるという大切な役割があります。

災い転じて福となす

災難と福は同じ材料で出来ていて、考え方や味方にょっては災難にもなるし、福にもなるものであり、心の持ち方でどうにでもなるものです。

災難がやって来ても、これは自分に与えられた課題であり、これを乗り越えればもっと強くなれるからこそ天が与えて下さったのだと納得できれば、必ず良い方向に向かいますし、何で自分だけがこんな目に遭わなくてはいけないんだろうかと不満ばかり言っている人は更に悪くなるものです。

災難がやって来て感謝出来るような人は中々居ないものですが、不平不満ばかり言っていても何事も解決する訳ではないのです。落ち込んでばかりいないで、どうせなら一度立ち止まって考え直せという有難い試練だと思い直して立ち上がれば必ず以前より良い結果となります。

毘沙門天王様、どうか立ち直れます様、お力をお授けくださいませ、という祈りの心で頑張れば、応援してくださいます。