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恋愛とは

恋愛とは男女が寄り添うものであり、夫婦、家族の始まりです。人は一人では生きていけないもので、社会の中で支え合い、喧嘩をしたり仲直りしたりしながら人として成長していくものです。

男女はお互いに自分の持っていない部分を持ち合わせているので惹かれるというのが自然の摂理であり、生き物のの宿命です。

恋愛は仏の道にも通じる

相手のために何かしてあげたいと純粋に思うのが思いやりであり、どんなに利己主義である人でも、相手を喜ばせたいとか、相手を楽しませたいなどの気持ちが自然と出てくるもので、多少は自分を犠牲にしてでも相手のために尽くすという心は仏の心に通じるものがあります。

仏の心とは、常に自らの幸せではなく、相手の幸せを願う心で、苦しんでいる人がいたら、その苦しみを取り除いて楽しみに還ることが仏の役割です。

恋愛に於いては誰もが、自分が妙に優しくなったり、細かい所まで思い遣るようになったことに気付くことと思います。恋愛は相手の気を引いて自分のものにするという独占欲の表れで、自己満足のようなものですが、それでも恋愛を通して優しさや思い遣りを学んだ方は多いはずです。

そういう意味では恋愛は単に自己満足ではなくて、相手を思う心を養う修行だと思えば、立派な修行になります。

恋愛の相性とは

人と人とのお付き合いには必ず相性というものがあります、絶対に良いという相性はありませんし、絶対に悪いという相性もありませんが、どちらも生まれながらに持った、どうしても変えられないものやこだわるものがあり、お互いに理解した上でお付き合いしないと破綻してしまいます。

特に相手の性格に関しては、少しずつ変わっていくものと絶対に変わらないものがあり、絶対に変わらないものを変えさせようとしても無理であったり、大変なストレスになってしまうこともあります。

恋愛では相手を思う心を養うと共に、自分を変えることを養います。相手を変えようとしてストレスになるよりは、自分が変われば済むことであればとても楽なことです。

例えば喧嘩した時、相手を謝らせようとしても無駄な努力であり、かと言って自分が先に謝るというのは、自分が悪いということを認めることであり、どうしてもプライドというものが邪魔して先に謝ることなんか出来ないものです。

仏の心は争わない心です、いいとか悪いは別にして謝ることで平和になるのであれば謝り、その謝るという行為に対して何のプライドも持たない、只ニコニコしていると、喧嘩することがバカバカしくなります。

高野山真言宗やすらか庵の恋愛成就祈願

恋愛成就-祈願

神様の世界ではお願い事をするに際し、人道的に良くないことに関しては祈願しても無理だという返事が返ってきます。また、全く気のない人を振り向かせることもおそらく無理でございます。

また気持ちばかりあせって早急に結果を出そうと思えば却って失敗することもあります。然るべき時が来たかどうかということも大切なことであり、高野山真言宗やすら庵の祈願ではお互いの相性も見た上で、お互いの成すべきことをお伝え申し上げます。

全くご縁の無い方に関しては良きご縁が参ります様ご祈願させて頂きます。

高野山真言宗やすらか庵ではお供え料はお気持ちで結構でございます。