やすらか庵(安羅迦庵)の裏には、樹齢50年を超える栗の木があり、
毎年たくさんの実を付けます。秋の気配が漂いだしたと思ったら、
上から落ちる落ちる、1日でバケツ1杯分になります。
毎日人に差し上げてばかりいます。
実が大きいので大味なのですが、折角の秋の味覚、頂くことにしました。
栗ご飯と言えばお米に栗を入れて炊いたものですが、
栗の量があまりにも多いので、栗100%だけでお腹いっぱいになりそうです。
栗は大きな鍋に水を入れ、ただ茹でただけの簡単調理。
あとは水切りボウルに入れて広告紙を広げ、スプーンを持ってくるだけです。
栗がご飯の代わりになったということでお米無しの100%栗ご飯です。
歯で割って、スプーンでかき出して食べるのに、結構時間がかかりました。
パサパサしていて、甘みが少なく、水がないと食べられませんが、
今の時代のように、お金を出せば何でも買える世の中で、
いつ何時、何が起こるか分かりませんよ、もしスーパーやコンビニが突然消えたら…
そういう時にはとても貴重な食糧で、奪い合いになりますよ。
また落ちてきた、みたいな贅沢な心がどうしてもあるもので、
まだ綺麗な栗ばかりを選べること自体、栗に対して申し訳ないと思います。
自然に感謝する気持ちを忘れないためにも、こういった季節の恵みを感じれば、
「いただきます」と素直に合掌できます。
栗は何も言わないけれど、いろいろと考えさせられた次第です。
「御馳走さまでございました」、そして
「パサパサしてるとか、食べるのに時間がかかるとか、文句を言って申し訳ありませんでした」