高野山奥の院の周辺には、樹齢700年を超える杉の木が林立しています。
壇上伽藍のお堂が立ち並ぶのもすごいのですが、
この長きに亘って守り続けられてきた自然もまたすごいのです。
高野山は標高1000メートル近い山の上にあるものですから、
雷がよく落ちて、こういった高い杉の木も、
700年もそこに動かずにいると、落雷を受けたような木があることに気付きます。
一瞬で莫大なダメージを受けて瀕死の状態になっても、
また生命を復活して伸び続けるという大変な苦難を乗り越えているからこそ、
とても神々しいのだと思います。
数百年、数千年、数万年と言う時間の中では、私達の生きている時間は、
ごくわずかなもので、密教では、「弾指」と言って、
曲げた人差し指を弾くことによって「パチっ」と音を鳴らすことで、
魔よけの所作でありますが、瞬間、刹那の意味があり、
この指を弾く、ごくわずかな時間しか私たちは生きていないのです。
このわずかな時間に私達は今何をするべきか、
与えられた使命は何なのかを探さなければいけないのです。
この大きな杉の木の前に佇むと、私たちの如何に小さいこと。
人生を考え直すには、とても良い散策です。