作務もまた修行也

作務という言葉は元々禅宗の言葉で、禅寺では修行僧が自給自足の集団生活をするにあたって、庭掃除から建物の修繕までの一切の仕事を行います。

一般的には作業、掃除などの事ですが、掃除と作務は何が違うのでしょうか。

禅寺では座禅をしたり経を詠んだりすることはもちろん修行なのですが、静的な修行だけの悟りでうわべだけの悟りになってはいけないので、作務を通して目に見える物の垢を落とすことにより、同時に目に見えない心の垢を落とすことでより深い悟りの境地を求めるのです。

仏教では煩悩を心の垢とし、煩悩によって心のが汚れてしまっているから真実が見えないのであって、煩悩を取り払えば綺麗な鏡に真実が映し出されると説かれますが、普通に行うお掃除も考えようによっては心の鏡を磨く仏教の修行になるのです。

仏教の修行は難しそうだと思われがちですが、草取りであっても読経しながら、誰かの供養のために、或いは無の境地で、或いは草をよく観察しながら行う事で、立派な修行になるのです。

子供は草取り1時間でゲーム1時間延長の特典を付けたら喜んで手伝ってくれていますが、外の新鮮な空気が吸えてお日様にもあたり心のお洗濯、外の作務はコロナ対策にもなります。